22 / 112

6-4

「岬、今日は帰れ」 「今の人って志摩センセェの元恋人なんだろ」 「はい?」 「前に見かけた、胸がすげぇ女の人とは雰囲気違ってたもんな、清楚系っていうか」 ひどく冷たかった声色がいつも通りの淡泊な物言いに戻っており、ほっとした岬はひんやりした壁に預けていた背中を浮かせ、志摩と向かい合った。 「何があったのか知んねぇけど、さっきのは言い過ぎだぞ。最初っから具合悪そうにしてたし、目の前走って通り過ぎていったときなんか泣いてたからな」 志摩は淡々とした眼差しのまま腕組みした。 言い訳を述べるでもなく、岬を注意するでもなく、担任は抑揚のない口調で指示する。 「帰りなさい」 岬はむっとした。 彼女との関係を教えるつもりなんて皆目ない、余計なことは話さない、お堅い唇にイラついた。 「元恋人なんだろ? さっきの女の人誰だよ、教えろ!」 真っ向から問いかければ。 志摩は答えた。 「いち生徒にプライバシーを侵害されたくない」 ……よくそんなこと言えるな、この死んだ魚の目キョーシ。 ……セフレについてはベラベラ話しやがったくせに。 プライバシーの保護を訴えられて腹を立てるよりも。 「いち生徒」と呼ばれたことがショックで、悲しくて、空しくて。 ろくな反応もできずに岬がかたまっていたら。 「君こそ誰?」 それまで沈黙していた男が志摩の隣にすっと並び、ほんの束の間途方に暮れていた岬に尋ねてきた。 「いち生徒と言うからには志摩の教え子なんだろうけど。岬くん、不思議な匂いをしてるね」 ……また匂いかよ? ……俺、そんなにくせぇのかよ? 「同類だってことはわかるけど」 それにしてもほんと男前で美形な奴だな……、……。 「は? 同類? あんたも淫魔なのかよ?」 「阿久刀川だよ」 「芥川……龍之介……?」 「漢字も名前も違う」 すかさず志摩にツッコミを入れられ、膨れっ面で聞き流した岬に、阿久刀川はジャケットの内ポケットから取り出した名刺を渡した。 赤地の紙面に黒で印字されたクラシカル調のフォント。 英語表記のため正直一目では把握しづらく、一般企業の会社員でないことは瞬時に理解できた。 「あくたがわ……とー……?」 「阿久刀川(あくたがわ)(とお)だよ」 自己紹介するや否や、阿久刀川は、了解も得ずに岬の顎をクイッと持ち上げた。 「優性(ドミナント)とも劣性(レセシブ)とも違う匂いだね。興味深いな」 人生初の顎クイにワナワナしている岬をまじまじと覗き込んで品よく色づく唇を綻ばせる。 日に当たるとうっすらブラウンを帯びる黒髪、凛と整った黒眉。 澄んだ黒曜石の瞳は純粋そうに煌めき、初対面らしからぬ至近距離に戸惑う吊り目を直視して。 肌艶もよき眉目秀麗な顔は好奇心旺盛な少年さながらの笑顔を浮かべた。 「抱いてみたいな」 少年さながらな笑顔からはかけ離れた大胆発言に岬が口をパクパクさせていたら。 「阿久刀川、俺の生徒にオイタはやめろ」 身長188センチの阿久刀川より十センチ低い志摩は教え子から彼を引き剥がした。 「岬、早く帰りなさい」 「じゃあ僕と一緒に帰ろう、岬くん」 「お前はここに残れ。どうして連れてきたのか、経緯をちゃんと説明してくれ」 彼女について触れた志摩に、帰宅を促されてばかりの岬は苦しげに眉根を寄せ、阿久刀川は教師と生徒を交互に見てあっけらかんと言う。 「彼女は志摩の双子の妹だよ」

ともだちにシェアしよう!