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「バーカ」
志摩は珍しく動じていた。
敵意に漲る両手でジャケットを引っ掴まれ、問答無用にバランスを崩されたかと思えば、突然のキス。
直後に暴言。
唖然となるしかなかった。
「隙だらけのへなちょこドミナント」
暴言の連発に、死んだ魚の目と揶揄される双眸に警戒心を忍ばせ、志摩は初対面である濡宇朗と改めて対峙した。
「濡宇朗君、だったか」
「君付けとか気色悪い」
「……どこかで聞いた台詞だな」
一見して、鬱々としていて厭世的な美貌を持つ少年だが。
「味気なくて刺激ゼロ、しょーもない唇」
なかなかな底意地の悪さのようだ。
「校章らしきものが見当たらない。その詰襟はどこの学校だ」
「さぁ。アンタには関係なくない?」
「当校の生徒相手にふしだらな真似に至った生徒の在籍校は把握しておきたいんでね」
「どのツラぶら下げて言ってるんだか」
凄味を覚えるほどの冷笑を浮かべた濡宇朗は、志摩から離れ、えらく黙り込んでいる岬の元へ。
「へなちょこ眼鏡なんか放置して、行こう、岬?」
志摩に対して見せていた態度を一変させ、猫撫で声で擦り寄ってきた濡宇朗を見下ろし、岬は。
自分の腕に届こうとしたか弱げな手を思いきり振り払った。
「帰る。誰もついてくんじゃねぇぞ」
それだけ言い捨てて、くるりと回れ右、階段に向かって歩き出した。
ついてくるなと言われたにもかかわらず、小走りになった濡宇朗がまた腕をとろうとしたら。
「触んじゃねぇ!!」
カッとなって、つい、手を出した。
さも軟弱そうな体を突き飛ばした。
「あ」
瞬時に我に返り、手を伸ばそうとした岬の視線の先、ふらついて転倒しそうになった濡宇朗を受け止めたのは志摩だった。
「歩道橋の上で危険行為はやめなさい、岬」
冷静に注意されて、岬は、濡宇朗を背後から支える志摩に焦点を合わせた。
「……なんで、俺以外と……」
「うん? なんだって?」
「ッ……うるせぇ!! バーーーーカ!!」
「ッ、岬、おいーー」
「志摩センセェのバーーーーーーーカ!!!!」
濡宇朗よりも感情のこもった、こどもみたいな悪口を全身全霊でもって叫び、岬はその場から駆け出した。
呆気にとられた志摩は、あっという間に階段を駆け下りて歩道を突進する教え子を欄干越しに目で追った。
「可愛くて可哀想な岬」
眼鏡のレンズ下で僅かに波打った双眸。
視線を下ろせば同じ方向を見つめて微笑む濡宇朗がいた。
「また会いにいくからね」
ただの友達に向けるには有り余るほどの、今にも溢れ出しそうな愛情に満ち満ちた微笑。
自分に向けられた冷笑からは想像もつかない慈悲深い眼差し。
狂気にも近い濡宇朗の二面性に、志摩は、言い知れない胸騒ぎを覚えた……。
なんで、なんでだよ、どうして。
俺の目の前で俺以外の奴とキスなんかするんだよ。
「……志摩センセェのバカヤロー……」
好きなのに。
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