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絹のようにやわらかく、バターのようにとろけたい②
どのくらい経った時だっただろう。
ポケットに入れたスマホに、何度目かの着信が来た。
僕はどうしようかと逡巡した挙句、震え続けるスマホの画面をタップした。
「はい」
『今どこ』
「んー……いつものラーメン屋の裏」
『あっ……んだよ、そっちの方かよー。今から行くから。それでこのまま、聞いててくれる?』
ざっ、ざっ、とズボンの布地が素早く擦れるような音と、翔の息の上がった音が聞こえてきた。
僕をずっと探していたに違いない。
やっぱりこの人はあの冷淡な四宮 翔じゃないんじゃないかと錯覚したが、翔は僕が何か言う前に声を発した。
『葵ってさ、関南小の四年一組だった?』
確信した。翔は思い出したのだ。かつては同じ教室にいたということを。
普通だったら、かつてのクラスメイトと大学で再開し、さらには恋人にもなっているのだから、奇跡だと感慨深くなれただろうに。
「……んー、そう」
『……俺、当時、両親が家で毎日喧嘩してて、嫌気さしてたんだ。だから学校で威張り腐ってて、弱そうな奴見つけて弱いものいじめしてて』
ハッキリとそんな風に言われて、なんだか出ていた涙も引っ込んだ。
『ムカついてたんだ。親に大事にされてて幸せそうなやつに、片っ端から目付けて。その顔から笑みを消して、俺と同じところまで落ちてくればいいって思ってた』
何か言おうと思ったけど、目の前を人が通り過ぎたから何も言えなかった。
無言を憤ってると受け取ったのか、翔はますます切羽詰まったように続けた。
『転校して、親が離婚した後で自分は馬鹿なことしてたんだなって気付いた。今まで俺が攻撃してきた奴らに謝りたいって……あぁ、けどこんなこと言っても、信じてはもらえないよなぁ』
信じられない、とは思わなかった。
だって翔は、封じ込めてしまいたい自分の恥ずかしい過去を恋人に話してくれているのだから。
「んー……信じるよ」
『俺のこと、軽蔑したろ』
「……」
『別れたいって、思ってる?』
「それは――……」
翔の品位ある穏やかな声を聴いたら、そうは思えなくなった。
半年間の楽しかった思い出が走馬灯みたいに蘇る。
初めて二人で、ホットドックを食べたこと。雨に濡れたり、一緒に傘を差して並んで歩いたこと。図書館でこっそりキスをして、帰りの夕景の下、甘い台詞に酔いしれながら隣にいる決意をしたこと。
それらのことは、あの忌々しい過去なんて簡単に払拭できるんじゃないか。
「俺は、別れたくない。勝手で申し訳ないけど、俺は葵を幸せにしたい」
気付けば目の前に立っていた翔は、いつのまにか電話を切っていた。
僕もスマホのボタンを押して仕舞って、涙は滲んでないかと、慌てて目蓋をごしごしと擦った。
「左手、出して」
立たせてくれるのかと思い、僕は言われるがまま左手を翔の方に差し出した。
スッと左の薬指に、シルバーのリングが嵌められたので茫然とした。
「……何これ」
「指輪」
「いや、見れば分かるけど。買ったの?」
「本当は、誕生日に渡す予定だった。おソロです」
翔も自らの左手の甲をこちらに向けた。その薬指には同じように光るもの。
吸い寄せられるように手を重ねた。
「ごめんなさい。もう、悲しい思いはさせません。ずっと、大切に扱うって約束します」
悪戯がバレて叱られたあとの子供が言っている台詞みたいで、僕は笑ってしまった。
まるで小学四年生の四宮 翔みたいだった。
「もう、バターみたいに、溶けてなくなりたいだなんて思いたくないよ」
安心させるためにふふ、と笑んでみせたが、翔は「あぁ……」と頭を抱えてしまった。
僕はまた笑って、翔の頬にキスをした。
僕は、今の古川 翔が好き。
溶けてなくなるのは嫌だ。どうせなら、翔と一緒に蕩けてやわらかくなりたい。
原型を留めなくなったとしても、この気持ちが続く限り、ずっといつまでも翔の側にいてあげるんだ。
*END*
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