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コーダ 凍てつく星のあわいの道

   * 「それからどうなったんだ?」  飲み干した杯を円卓に置いて若い兵士が問いかけた。応答を待って円卓の全員がひとつの方向へ視線を向ける。 「目覚めた迷宮の鳴動に応え、王は神官と共に迷宮の扉をくぐりました」  声は酒場の喧騒のさなかを凛と通り抜けた。  言語は帝国の共通語だが、この土地独特の抑揚が歌うような響きを重ねている。言葉をつむぐ語り部の美貌も人々の注目のまとだった。むさくるしい兵士や商人の顔のなか、鋳造されたばかりの硬貨のように際立っている。 「王は神官とともに迷宮の闇をさまよいました。凍てつく星のあわいの道をね。長い時間がたちました。迷宮の扉は閉ざされたまま、王と神官の姿をみたものは誰もいません。悪しきものが王国を侵すことは二度とありませんでした」  若い兵士は円卓に肘をつき、なめらかな声に聞き入った。彼が帝国の兵士として各地を巡るようになってまだ半年も過ぎていない。遠い昔は独立した小国があったというこの土地もいまは帝国の辺境にすぎなかった。帝国の領土は広く、大陸のほとんどすべて、半島や海洋の島々までも含む。  兵士の所属部隊は皇帝の辺境めぐりの警護を担っているが、このあたりは騒動もなく、彼は同じことの繰り返しにひどく退屈していた。上官の酒場遊びにつきあいはしても、田舎の歌い手や語り部などたいしたことはないと馬鹿にしていたのだ。ところがここにきてめぐりあったのが、この美貌の語り部である。  上官は気軽に歌い手に花を贈り、語り部へ硬貨をはずんだが、兵士はこれまで一度もそんなことに金を使おうと思わなかった。若さゆえの驕りとあやふやな自信のせいで、田舎のつまらない娯楽に関心を向けていると周囲に思われたくなかったのだ。いずれは中央に戻って活躍し、今の上官の地位どころか、もっと上まで昇りたいと思っている。未来は無限の可能性を含んで自分の前に広がっていた。  そんな彼としたことが、この語り部には硬貨を渡したくてたまらない気持ちに襲われている。本当は硬貨ではなく、歌い手や娼婦のように花を渡したいのだが、いくら美貌でも男相手では憚られた。  迷っているうちに語り部は物語を終わらせようとしている。帝国英雄の軍記物をひとくさり語らせたあとで円卓にいる誰かが注文した物語、この地方だけに伝わる伝説を披露していたのだった。 「いつしか扉は苔に埋もれ、神殿は忘れられ、森に呑まれて消え去りました。しかし本当は、迷宮は消えていないのです。森の奥深くで静かな眠りについています」  語り部の男はうすく微笑した。白金の髪が酒場の明かりに照り映える。 「これは物語ともいえない、遠い、遠い昔のいい伝えです。今夜はこのあたりにしておきましょう」  拍手があがり、語り部の前に硬貨が何枚も投げられた。つられたように若い兵士も服の内側をさぐり、手に触れた貨幣を取り出した。帝国の発行した貨幣ではなくこの地に到着した日に屋台で受け取った、この地方独自の硬貨である。庶民は帝国貨幣よりこっちの方を喜ぶのだ。 「ありがとう」  席を立ってそばに行き、硬貨をじかに語り部に渡しながら意を決して話しかける。語り部の指は白くしなやかで、握りたい衝動がわきあがる。 「興味深い伝説だったよ。神官の髪はあんたみたいな白金だったのか?」 「さあ、どうでしょう」語り部はさっと手をひき、卓の硬貨をすばやく集めた。「私のような髪の子供はこの地方ではたまに生まれますから」 「なあ、俺は皇帝の軍に所属してる。帝国の各地を回ったあとは中央に戻るんだ」兵士はぼそぼそとささやいた。「俺たちと来ないか。商売の材料になりそうな面白いことがたくさん起きるぜ」  わざとらしいため息が背後で聞こえ、上官が軍服の肩をつついたのがわかったが、誘わずにはいられなかった。しかし語り部はあっさりと「つれが来ました。私は行かないと」といってふりむいた。兵士もつられてふりむき、いつの間にか背後に出現している偉丈夫に思わずぽかんと口をあけた。 「待ったぞ」 「余分に話しすぎました」  短く交わされた言葉からは長年のつきあいだと察せられた。語り部のつれは堂々として歴戦の勇士の風格をもっていた。大部隊の指揮官や将軍といわれても納得しそうだ。ふと去っていく横顔に見覚えがあるように思った。どこで見たのだろう。 「あっさりフラれたな」上官がにやにや笑いながらいった。 「おまえも大胆だな。あれだけ綺麗な男がひとりもんだなんて、ふつう思わんぞ」  兵士は肩をすくめた。この上官にはしばらくのあいだ、機会あるごとに今夜の話を繰り返され、からかわれるにちがいない。知ったことか。  円卓には貨幣が一枚残されていた。ギザギザの縁でこの地方の硬貨だとわかる。何気なく拾い、浮き彫りにされた横顔をみつめる。この人物は誰だったか。かつてこの地方をおさめた伝説の王、そんな人物ではなかったか。 「どうした?」上官がまた肩を叩いた。「いくぞ」 「あ、はい!」  どういうわけか、突然夢から醒めたような気分になった。酒場の喧騒のただなかに迷宮の闇と静寂をもたらす、白金の髪の神官と偉丈夫の王の夢。  上官は軍人らしいまっすぐな足取りで店の戸口へ向かっている。硬貨を手のひらに握りしめたまま、兵士はそのあとを追った。

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