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第49話
「おはようございます……!」
スタジオ「ピアンタ」の扉を開けて、ドアベルを鳴らしながら挨拶する。一年前は、こうして声を出すことすら恥ずかしくてできなかったものだが、今はもう慣れた。
「おはよう、みんな揃ってるよ」
「わっ、ほんとですか。急がないと……!」
店番をしている「ピアンタ」の雇われ店長の声に急かされるようにして、ハナは吹き抜けになっている螺旋階段を上り、ロッカールームで着替えると、鏡張りのダンススタジオのドアを押し開けた。
「おはようございます! 遅れてすみません……!」
途端に、スタジオ内の中央で、柔軟をしていた美女たちが振り返る。
「まだフィンがきてないよー」
「ハナにゃん、遅いぃ!」
「おはよ。今日からまた新曲やるって」
声を上げた順に、ミキ、ネネ、オトハだった。そして、顔を見せていないフィンを入れて、総勢四人が「フィオーレ」のメンバーだ。
「フィン、遅れるって。ハナ、何か聞いてる?」
「ぼくのところには何も。今日は途中までフィンさんの代わりですか?」
「そ。よろしく」
ハナは素早く準備運動を済ませると、流れている曲に合わせて軽くストレッチをした。
それから、四人で持ち曲の振り付けをひととおり確認する。ハナはフィンの代役として、フロントメンバーとして踊った。
しばらくして、
「ごめん、遅れたー!」
と言って入ってきたフィンが揃い、次いで明がスタジオに入ってきた。
全員で挨拶を済ませると、各々が位置につく。
新曲の振り付けを施していく明と、それを追う「フィオーレ」たちを見ながら、ハナは少し後方に下がって、軽くステップを踏み、振り付けと位置を頭に叩き込む。
踊っているうちに、明がハナのところまできて言った。
「ハナ。テラの奴に、早く次のライブ曲を出せって言っておいてくれ」
「え? はい……」
「それと、殴って悪かったな、って伝えておいてくれ」
「兄さん……」
ハナが顔を上げると、明はガリガリと頭を掻きながら、また「フィオーレ」たちの指示へと戻った。
あのあと、結局、無断外泊をしたハナは、翌朝、久しぶりに実家に帰ってきた明に、たっぷりと叱られたのだった。
「……お前が選んだ人間なら、文句は言わないが、何かあったらただじゃ済まさないとしっかり言っておけ。それと、もしもつがいになるなら、その前に俺に一言くれ。内祝いをする関係上、父と母にも俺から話すから。こういうことは、ちゃんと段階を踏んでするんだぞ。わかったか?」
とハナに向かって凄んだ兄の声の怖さは、尋常ではなかった。けれど、それも、ハナのことを想ってのことだと思うと、納得できる。
牧野とは──別れの電話以降、逢っていない。
けれど、ハナは彼のことを、憎むことができなかった。
最終的に離れていくことになってしまったが、牧野がいたからこそ、「フィオーレ」と出逢えたのは、事実だし、彼が抱えることになった荷物の重さを思うと、いつかいい相手と出逢えれば……、と願わずにはいられなかった。
フィンは、もうすっかり想い人だった彼女のことを、忘れたふりをしているが、まだ時々、ひとりきりになると、遠い目をすることがある。ハナは、そんなフィンに、折を見て、テラとのことを話そうと思うのだが、まだ実現していなかった。
彼女の前途が明るいことを、今は祈るばかりだ。
そして、内祝いをすることになったら、「フィオーレ」たちにも報告をするべきだろうか、と少しハナは悩んでいた。知られたくない、というより、恥ずかしくて仕方がないのだ。
テラは、少しだけ表情が柔らかくなったが、いつもの調子でプライベートは引きこもり生活を満喫している。ただ、ハナが訪ねてゆくと、作業を一時的に止め、その辺を散策することが増えた気がする。
ハナは、大学に通い、学業に精を出している。
その一方で、今までどおり「フィオーレ」のバックアップを務めている。「フィオーレ」のライブは裏方から見守ることに徹しているが、定点カメラの向こうにテラの視線があると思うと、何やら面映ゆい気持ちになるのだった。
テラとは、週末に逢う生活が続いている。
今年の夏休みには、テラと二人でイギリスへ、二週間ほど遊びに行く予定になっている。
あのあと、テラはハナに、「ひとつだけ、後悔していることがある」と打ち明けた。
「何ですか? やり直せることなら、ぼく、頑張りますけど」
テラがしたいことなら、協力できることがあれば、尽力を惜しまないつもりのハナだった。
すると、テラはちょっと間の抜けた顔つきになり、うなじの髪を引っ張りながら、告白した。
「何、どうということでもないのだが……、できれば会場で──きみを推したかった」
グッズがあれば、買いにいき、チェキのお渡し会に並ぶ。サイリウムを振って応援するテラの姿を想像したハナは、それからしばらくの間、腹が捩れるほど笑うハメになった。
=終=
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