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第10話 汗と涙と浴衣姿の、温泉旅行編

「ソフトボール大会!?」 「そう、来月の第一週の日曜日なんだけどぉ。総務課は男子率が低いから、いつもどこかの課と合同でチームを組んで、社内レクという名のソフトボール大会をするのぉ」  いつもならそんな行事は「かったる〜い」って、甘い声でディスりそうな先輩が、その昭和感満載の会社行事を嬉々として話し出した。  さては……俺は、背中に寒気を覚える。 「今年は二課となんだってぇ。京田くんもお兄さんと一緒で嬉しいでしょ?」  やっぱり。  先輩やその他の女子も心なしか、うかれてるような、ソワソワしているような。そんな先輩たちを尻目に、寒気の走った舌の根も乾かぬうちに。俺もソワソワしてしまった。  だって、さ。恵介と同じチームっつったら、またバッテリー復活じゃね、って思ったんだ。 「それでね。大会のあとぉ、温泉旅館に一泊するのぉ」 「温泉……旅館」 さらに追い討ちをかけるように、先輩が甘い声で言う。昭和感……てんこもりな行事なのに、めちゃめちゃココロオドル響き。 〝温泉旅館〟  未だに昭和な行事が、社内レクに盛り込まれてることに驚いたけど。その昭和レクに浮つく先輩たちも半端ない。しかし、俺は妙に納得してしまった。  だってさ、温泉。温泉なんだぞ!?  こんなに早く恵介の浴衣姿が見られるなんて……僕はツイてるのかもしれない。ただし、二人っきりじゃないってとこが、最大にして最強の壁だな……。 「ってか、紘太さ。ウィンドミル投げられるんのかよ」 「アンダースローなら、多分。ウィンドミルは練習次第だけど……」 「紘太ぁ、おまえさぁ。大事なこと忘れてないか?」 「そういや、俺、ノーコンっての忘れてた」 「そんなこったろうと思ったよ。もう、キャッチボールすら何年ってやってないのに。今の僕じゃおまえの球、抑える自信ないぞ?」  恵介がネクタイを緩めながら、困った顔をして言った。  いや、だってさ。それが例え、お遊び程度のものだったとしても、久しぶりに恵介とバッテリー組めるんだぜ? カッコいいとこを恵介に見せたいし、久しぶりに頭空っぽにして楽しみたいんだよ、俺は。……その後の温泉は、そのオマケとしてだな、うん。  そんな邪念を抱いていると、なんか、欲求が止まらなくなってきて。スーツをハンガーにかけている恵介の後ろから。俺は寄りかかるようにして、その華奢な体を抱きしめた。 「紘太、ちょっと……まてってば……」 「一緒、風呂入ろうぜ。恵介」 「……今日のご飯、何?」 「タコライス」 「じゃ、一緒に入る」 「なんだよ、それ」 「だって、タコライスなら準備も簡単だし……。紘太と……その。ご飯の時も、寝る時も、ずっと一緒にいたいから……」  やべぇ……なんつー破壊力。  その色素の薄い大きな目を潤ませて、その言動で俺を試すように心を乱してきて。肩越しに見上げる恵介に、俺は深いキスをした。  こうなったら、もう止まらない。シャワーの湯気で紅潮する恵介の肌にムラッとしながら、その細い腰を掴んで後ろから突き上げる。自宅の風呂場でさえ、こんなんなんだ。  妄想の果てに存在する露天風呂なんか……! ぶっ壊れるくらい、ヤバいんじゃないんだろうか?  俺の頭の中は、ソフトボール大会から温泉旅館へと完全にシフトチェンジしてしまって。あれだけ恵介とバッテリー組みたいって切望していた感情が、フワフワと軽くなる。そしてシューってと小さくなって、正直どうでも良くなってしまった。ソフトボール大会とかさ、誰か得意なヤツがやってくれるだろ? それよりも何よりも、宿泊先の温泉旅館に貸し切り露天風呂があるのかググンなきゃ。  そんな欲望塗れなことをを考えてると。つい、力が入ってしまって……。 「やっ!こ、たぁ!! ムリ! ムリだって!!」  また、恵介をとばしてしまう寸前まで、力まかせに突き上げいて。恵介の体がビクビクッと震えて仰け反った。 「け、恵介っ!?」  次の瞬間には、俺に入れられたまんま。恵介はその細い体をくたーっとさせて、力尽きてしまったんだ。  やっべぇ……また、やっちゃった。  だよな、そうだよ。考えてみたら、あれだよな。  親睦をはかるためのソフトボール大会だからなバッターボックスに、素人感丸出しの女の子がたっても全然不思議じゃないよなぁ。  待ちに待った温泉旅行……じゃなくて、ソフトボール大会に来て、俺は変に納得してしまった。社内レク、あくまでも社内レク。怪我なんかもっての外のゆるーい昭和の行事なんだ。こんなとこで本気のウィンドミルなんてかましたら、みんなドン引くよなぁ。おそらく。  結果、俺は変に安心して肩から力が抜けた気がした。多分、ノーコンでも大丈夫だ。 「紘太、女子の中でもソフト経験者とかいたら、長打コースくるぞ。その時はサイン出すから思いっきり投げろ、もちろんアンダーで」  ほぼ、成り行きで。  俺たちの混合チームは、ノーコンの元ピッチャーと言う肩書の俺がピッチャーになって、肩の弱い元キャッチャーの恵介がキャッチャーをすることになって。たかだかお遊び程度のソフトボール大会だと自覚しているに。チキンな俺は、久しぶりすぎて、緊張してきたんだ。 「大丈夫だよ、紘太! ガキの頃みたいに、僕が全部とるからさ」  やっぱり、恵介は色んな意味でいい嫁だ。俺のことを不安をいち早く察して、フォローをする。恵介がフワッと笑って、キャッチャーミットで俺の肩を軽く叩くからさ……。そのフォローがいつも、そう、昔から絶妙で。一気に懐かしさが膨らんで、安心して……。 お遊びのソフトボール大会だっていうのに、俺のやる気スイッチが入ったのは言うまでもない。 「優勝は、総務・営業二課チーム!!」  宴会場で上機嫌に叫ぶ社長の一言に、一同が歓声を上げる。  まさか、あれよあれよという間に。俺たちは優勝してしまった。  一同が歓声を上げるには理由があって、これに優勝すると社長からポケットマネーで金一封がでるらしく。どうりで、上の人たちの空気が必死感アリアリだったんだ。 「俺、ファーストいたんだから、もうちょっと頼ってくれてもよかったんだけどなぁ。ランナーがあんまり来ないから、めちゃくちゃヒマだったぜ」 「内村先輩、本当それです! オレだってセンター守ってたのに、くるのはヘロヘロのフライばっかで、めっちゃ暇でしたよ!!」  宴会場でちゃっちい優勝カップを手にした内村と大原が、不満を口にする。  だって、しょうがない。俺はただ、投げただけ。  たかだかお遊びの割には、恵介の配球がうまかったんだよ、マジで。  おかげで「京田兄弟って、すげぇな」ってのが広まって。見ず知らずの社員にまで声をかけられるようになった俺は、宴会場でお酌までされるようになってしまった。  恵介の、おかげだ。やっぱり恵介は、俺をいい方向に導いてくれる、いい嫁だ。 「紘太」  宴会場で横に座っていた恵介が、おもむろに俺の耳元に近づいて、そっと囁く。 「ここ、貸し切りの露天風呂があるんだって。こっそり抜けだして、行かね?」  って、なんか企んでる悪戯っ子みたいに笑う。やっぱ、考えることは一緒だったんだな。そんなのリサーチ済みだなんて、恵介は……。そして、それ以上に用意周到な俺を恵介見せつけてやりたい! 実はケシカランことに、とうの昔に予約済みなんだよ。嫁のためには、一肌もふた肌も脱ぐんだぜ? 「紘太、ちゃんと鍵閉めた?」 「当たり前だ。戸締りに関しては、ひきこもり時代にこれ以上ないってくらい培ってんだ!」 「なんだよ、それ」  恵介がタオルを腰に巻きながら、楽しそうに笑う。  普段とは違う。いつも恵介の裸なんて、それ以上に恥ずかしいとこまで見てんのに。この非日常感が、恵介の一挙手一投足が全部、俺の心にひっかかって、全部俺の感じるとこに刺さって……。  「なんだよ、それ」って俺が言いたい。のぼせる前に鼻血が出そうだ。  タオル一枚まとっただけで、ここまで恵介をエロく感じるなんて……。吉岡チックなダークサイドな俺がが出現中なのかもしれない。 「みろよ、紘太! 星、めっちゃキレイだ!」  明るい都会とは違って。敷地内の雑木林からそのまま露天風呂に繋がる。静寂と暗闇の中、恵介の声とお湯が流れ出す音だけがこだましているから。さっきまで、宴会場で人にまみれてたのが、嘘みたいだ。  二人しか、いない……そんな感覚になる。そう、二人っきりで、温泉旅館に来たみたいな。そんな感覚と妄想が、俺の頭を支配していくんだ。 「こんなとこ初めてだよなぁ。小さい頃に行った旅行とか、こんなのなかったし」 「……うん、そうだな」 「何? 紘太、緊張してる?」 「……お、お湯が、熱いんだよ!」  横に並んで湯船に浸かっていた恵介が、俺の顔を覗き込むように近づいて、優しく笑うから……。  ドキッ、として。体温が否応なく上昇する。 「久しぶりに紘太の球、とった」 「……うん、俺も久々に投げれて、気持ちよかった」 「……また、紘太のファンが……増えちゃったかもなぁ」 「え?」 「だってさ。女の子たちが口々に言ってたんだよ? おまえが、めちゃめちゃカッコいいって」 「恵介、何言って……」 「僕もカッコいいって思った。カッコよすぎて、目が釘付けになって、惚れ直して……」 「なんだよ、テレるじゃん」 「でも、僕は……置いてかれるんじゃないか、って思った。紘太に」 「恵介……」  今まで俺にずっと楽しそうに笑顔を見せていた恵介が、急に涙目になった。  泣くのを我慢してるみたいに軽く唇を噛んで……。湯船の中で、俺の手をそっと握る。 「僕、わがままなのかな……。紘太はカッコよくて自慢の弟で、大好きな……大好きな僕の旦那なのに。心の隅っこでは、不安が渦巻いてる。いつか、好きな女の子ができて……僕から離れていくんじゃないかって」  なんだよ……いじらしいこと。言うなよ、恵介 「……今さら、なんだけど。紘太のことになると周りが見えなくなる。紘太のことしか考えられなくなる。だから、自分自身に自信がもてない……。本当に……本当に……僕が隣にいていいの……? 紘太」  こ、この! このシチュエーションで!こんな表情で、こんなこと言うとかさ……。  煽ってんの?でなきゃ……あぁ、もう! この際、なんでもいい!  恵介の気持ちは十分すぎるくらい、俺に伝わった。 あとは、その気持ちに俺が答えるだけだ!  恵介の華奢な体を引き寄せると、俺はその体を持ち上げて膝の上にのせる。  恵介が泣くなんて滅多にない。そんな恵介が、今にも泣きそうに瞳を揺らして俺を真っ直ぐ見つめるから、俺はその頬にそっと手を添えた。 「前にも言ったよな? 俺は恵介しか見えないし、恵介しかいらない」 「……紘太」 「俺にはもったいないくらいなんだよ、本当は。それ言ったら、俺の方が不安だよ。俺はチキンだし、弱いからすぐひきこもりたくなるし。でも、そうなりたくないのは、恵介がそばにいるから。恵介が俺の嫁だからなんだよ。だから、さ……そんなこと、言うなよ。な、恵介」  恵介は俺の肩に手を置いて。  俺は恵介の腰に手を回して。  恵介の嬉しいそうな、それでいて泣きそうな顔を見ていると。俺も同じ顔をしてるんじゃないかって錯覚する。  ーーそして、どちらからともなく。  唇を重ねる、舌を絡ませる。 「紘太ぁ……好き……大好きぃ」 「俺も……恵介が、恵介が好きだ」  恵介は、いつもそう。昔から、そう。  しっかりしてて、なんでも器用にこなすにも拘らず。俺と一緒にいる時は途端に甘えくるし、俺に見せるとびきり笑顔がかわいくて……その全てを、離したくない!  恵介のしなやかな体をなぞると、俺だけにしか聴かせないかわいい声で喘ぐ。  恵介だけが、俺にハマってるんじゃない。恵介にズブズブにハマって抜けだせないのは俺の方なんだって、自覚せざるおえないんだ。  ……ヤバい、な。今日は、マジでぶっ壊れるかも。あくまでも、社員旅行なんだけどな。  あくまでも、な。 「………きもち、わりぃ」  あの非常にケシカラン雰囲気のまま、露天風呂で一回。その勢いはおさまらず、内風呂で二回。恵介と来たかった温泉で、さらに露天風呂ってのに興奮したのも相まって。お決まりの如く、俺はのぼせてしまった。さらに言うなら、華奢な恵介がでかい俺を引きずりながら部屋まで連れくるという、頼りない夫をしっかり者の嫁が引きずる、なんて。リアルでもありそうな構図ができあがってしまった。  情けないんだけど、どうしようもないくらい、体の熱が……引かない。 「恵介は、なんともない?」 「うん。見た目より頑丈にできてるから」  そう言って、笑いながら俺にペットボトルを渡す恵介は、俺が夢にまで見た浴衣姿。  恵介の浴衣姿、ヤバいな。なんてケシカランことを想像してい俺の頭は余計熱くなる。のぼせてるから、余計頭に熱が回ってんだ。  うわっ、鼻血が出そう。 「触りたい……」 「何? 紘太」 「恵介が浴衣着てる。こんなの滅多にないのに、触りたい。けど、触ると鼻血でそう……」 「なんだよ、紘太……早く言えって」  寝ている俺に顔を近づけると、恵介は優しく軽く俺にキスをした。そして俺の手を取ると、自らのはだけた胸元に入れた。 「こんなとこで……!! みんな帰ってくるんじゃね?」 「紘太が寝てる時、みんなカラオケ行くって言ってたから。しばらくは戻ってこないよ」 「カラオケかぁ、恵介も行けばよかったのに」 「やだよ、ヘタクソだし」  恵介が頭を俺の胸にのっけて、まるで猫が甘えるみたいに俺の体に指を這わせる。 「紘太を一人置いてけない。それに……二人っきりになれる貴重な時間だろ?」  近くに見る恵介の目は、怖いくらい澄んでて。形のいい唇はかすかに口角があがって、まるで、俺を見透かすような表情をして。  こんな、こんな顔しといて……なにが、自信がないだよ。  なんていうのかな。  そう、あれだ。小悪魔……そうじゃなきゃ、ツンデレ。あぁ、あんだけしたのに、そんな顔して乱してくんなよ、マジでさぁ。  恵介の浴衣の襟を手でなぞると、恵介はハッとした顔をした。またもやケシカラン雰囲気が出来上がった俺たちは、徐々に顔を近づける……。 「紘太ーっ!!大丈夫かーっ!!」  完全に酒が回っていい感じになった内村の声が。ケシカラン雰囲気を構築した部屋に響き渡って、見事なまでにぶち壊す。俺たちは慌てて、互いから身を引いた。 「……もう、だいじょうぶです」 「じゃあ、飲みなおそうぜ!! ツマミも酒も買ってきたからさ!!」 「優勝の立役者たちがいないと、始まんないだろ?」  あまりのタイミングに。一瞬、腕のいいスナイパーを雇いたくなったんだけどさ。  内村と大原の強引な笑顔に、つられて笑ってしまって。小さな優勝カップを、嬉しそうにかかげたりするからさ。恵介も楽しそうに笑って、なんかもう。  ……ま、いっかな? 散々ヤッたし、浴衣姿の恵介も見れたし。昭和な匂い漂うこんなイベントが、こんなにも楽しいなんて思いもよらなかった。修学旅行に来た気分になる。  ま、どっちかというと、積み上がった欲望が達成できたっての方が大きいし、ね。  昭和なイベントが終了して、二週間。  俺は先輩からの爆弾発言で、持っていたマグカップを落っことしそうになった。 「私ねぇ、二課の佐竹さんと付き合うことになっちゃったぁ」  先輩の甘い声が一オクターブくらい上昇しているから、よっぽど嬉しかったんだろうけど。  ……衝撃。  佐竹さんって言ったら、二課の中でもちょっと異色っていうか。  恵介をはじめ、結構スマートでスリムな人ばっかりで、〝できる男〟って言う感じの人が多い二課の中。佐竹さんは眼鏡をかけて、少しふっくらしている。しかし見かけによらず、と言っては失礼なんだけど。バックアップに回ることが多い佐竹さんが作る資料は、緻密で的を得ているから、すごく見やすいし、勉強になる。〝本物のできる男〟なんだよ、あの人は。外見はめちゃめちゃ〝いい人〜〟って感じの雰囲気なのに、中身はバリバリのできる男の佐竹さん。俺は勝手に佐竹さんに癒しを求めていたりする。  それが……それが!? その、癒しの佐竹さんが! 性格真逆だろって感じの先輩と付き合ってるなんて……。正直、眩暈を覚えるほどの衝撃に、俺は頭が真っ白になった。 「でねぇ、3月には結婚するのぉ。京田くん、お兄さんと一緒に披露宴に来てくれる?」 「は……はい! もちろんっ! 喜んで出席させていただきます!」 「ありがとぉ。……あのねぇ、お兄さんにお願いがあるんだけどぉ」  と、いつもの口元に指をあてて、俺を上目使いでみる。先輩がこんな表情でお願いごとをする時は、たいてい厄介なことが多い。  労働保険の概算払いの金額を一人一人計算しろだとか。社会保険料の算定基礎を一人一人計算しろだとか、さ。面倒なことが、ワンサカ。  ……恵介、マジで、ヤバいぞ!!

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