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記念日
「尚哉っ!」
会社から出てきたのを呼び止めると、走り寄って、その肩を抱く。
十時も過ぎようかと言うこんな時間まで、残業して疲れた顔の尚哉が私を見てほっとしたような顔になる。
「一樹…」
しかしすぐに俯くと、私にしか聞こえないくらいに小さな声で、
「ごめんな。」
謝った。
「あのぉ、こちらは?」
尚哉の隣で部下と思われる若いそこそこのイケメンが尋ねた。
「ん?あぁ、私の…親友だよ。今夜飲む事になっていてね。一樹、部下の新見君。」
紹介されて、尚哉の肩から手を離して、軽く会釈をする。
「尚哉、温かいコーヒーが飲みたいんだが、買ってきてくれないか?これで全員の分。」
そう言って金を渡すと、俺が行きますと新見が言う。
「大丈夫。それにみんなの好みを知ってるのは私だけだからね。」
そう言って自販機へと尚哉が去って行った。
すでに会社のあるビルには明かりもなく、少し秋から冬に向かうこの時期の肌寒い風が時折り私達の間を通り抜けて吹く音くらいしかしない、都心とは思えない静けさの中、新見が口を開いた。
「優しいですよね、尚哉さん。」
「上司を名前で呼ぶのか?」
「尚哉さんが僕にいいよと仰ってくれたんです。」
嬉しそうな顔で話す新見にふうんと気のない返事をする。
「今夜も、貴方にはは申し訳なかったが、僕の方を優先してくれた。」
「残業はお前のせいか…。」
「わざとですよ。貴方との約束を嬉しそうに話すもので、つい意地悪がしたくなったんです。」
ふふふと人を上目遣いにしながら笑う。
何とも胸糞の悪い奴だ。
「この後は私が尚哉を連れ帰るがね。」
ハッとして、その唇を噛んだ。
「何でここにいるんですか?僕の計画に貴方は出て来ない!」
ため息が出る。
「計画ねぇ?ならば、それを今夜にしたお前の落ち度だな。」
「はぁ?何をっ!」
「お待たせ!」
尚哉がコーヒーを抱えるようにして小走りで戻ってきた。
それぞれに渡すと、寒いねぇと言いながら一口飲んだ。
「さて、新見君だっけ?悪いがそろそろ帰らせてもらうよ。今夜は大事な日なもんでね。」
そう言って、尚哉の腰に手を添える。
「ちょっと、一樹っ!?」
尚哉がその身を捩るが、逆にそれを抱き寄せる。
「何をしてるんですかっ?!」
焦った新見が噛み付いてくるが、それを無視して尚哉の体を抱きしめた。
「一樹っ!!
私から離れようともがく尚哉の髪にキスをしながら新見に目を向ける。
「今夜は私達の結婚記念日。君には遠慮してもらうよ。」
「一樹っ!!!」
「結婚…記念…日!?」
驚きの余り、持っていた缶コーヒーを落としそうになる。
「ああ、危ないよ?新見君。」
「ぼ…僕に言ってもいいんですか?」
ワナワナと震える手が、缶コーヒーの中身を震わせ、地面にシミを作る。
「新見くん、違うんだ。た…ただの冗談…そう、冗談…んーーーーっ!?」
必死でこの場を取り繕うとする尚哉の唇を私の唇で覆う。
最初こそ抗っていたが、すぐに体から力が抜けていく。
「はああぁん…」
漏れた吐息に、新見の喉がごくりと鳴った。
今夜、この声を自分の手で上げさせるつもりだったのだろうな…。
心の中で意地悪くニヤッと笑った。
しかしと私の腕の中でとろんとした目をして、寄りかかっている尚哉を見る。
勘違いさせるような事はするなよとあれだけ忠告したんだが、やっぱりこのザマか。
まったくと大きなため息が出る。
「そろそろ、私達は行かせてもらうよ?」
私の言葉に、尚哉に釘付けになっていた新見の視線がこちらに向く。
「どこ…に…?」
「この近くのホテルを予約してあるんだ。尚哉には明日は有給を取らせてあるからね…分かるだろう?」
ふふと笑って、尚哉の首に舌を這わせる。
「一樹ぃ…あ、ダメだってば!…くぅっ!はぁ…やぁ…ん…」
一瞬、自分の状況を思い出して抗うが、すぐに私の与える刺激に夢中になり、尚哉の声が静かなビル街に反響する。
首に舌を這わせたままで視線を上げ、新見を見ながら、わざと強く吸った。
「あぁっ!」
尚哉の膝がガクンと崩れ落ちそうになるのを、しっかりと抱き止め、唇を離すと痕が残った。
それを何度も繰り返し、尚哉の首に証を刻みつけていく。
「これは私のだ…お前如きが私達の間に入ろうなんて、いくら時間をかけても有りはしないっ!」
バシッという光が夜の街を一瞬照らす。
「なっ?!」
「ああ、すまない。少々気が昂りすぎたようだ…尚哉、ここを離れるぞ。」
かけた声に、それまでとろんとしていた目で私に寄りかかっていた尚哉がため息をついた。
「お前にしては珍しいな。まあ、仕方ないか…その代わり今夜は搾り取らせてもらうぞ?」
尚哉が先ほどまでの人の良さそうな上司の顔から一瞬でその顔を変えると、ニヤリと私の股間に手を当て意地悪い笑みを浮かべながらぐっと握った。
「…っ!ふふ…寧ろだき壊して差し上げますよ?」
「ふん!勝手に言ってろ!!」
そういうと同時にブワッと強い風が吹き、尚哉の背中に黒い翼があらわれた。
私もそれに呼応するように一瞬呼吸を止める。
私の周りを風が吹き通り、背中から数本の白い羽が舞い散った。
「なっ…なんなんだ?!」
新見が青ざめた顔で地面に腰をついた。
「せっかくいい上司をやってたのに…新見、大丈夫か?」
尚哉の出した手から逃げるように新見が後ずさる。
「尚哉、行きますよ?」
「ちょっと待てって!なあ、机の中に仕事の引き継ぎの諸々入ってるから、それを読んで後のことはよろしくな。じゃあ、行くわ。」
とんと地面を蹴って飛び上がった尚哉の後を追うように、私がふわりと体を浮かせた。
「あっ!!」
遠ざかる地上に残された新見の手が私達に向かって伸びたのが見えた。
「また、引っ越しか。」
ため息をつく尚哉に顔を近付ける。
「その前に、二人の駆け落ち記念日をお祝いしましょう?」
「駆け落ちって、お前が俺を無理矢理地上に堕とした記念日だろ!?大体、眠らされて、気がついたらお前の下でやられ放題やられてたなんて…」
「だなんて?」
「今夜も期待してるって事だよ!」
「その期待に応えられますかねぇ?」
「その時は…食うよ?」
「ええ、どうぞ。でも今夜は、私があなたを…」
「あっ!」
この後のことを期待して敏感に反応する体を抱きしめ、その姿を消した。
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