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第5話

「……何かあったんですか」 斎藤は見兼ねて声を掛けてきた。 ラーメンの麺も伸び切っているというのに、店の隅に設置されているテレビをぼーっと眺めていたからだ。 時折だらしなく口元を緩める自分に、「いつまでそうしているつもりですか」と重ねて問うてくる。 スーパーの斜向かいにあるこじんまりとした定食屋で昼飯を食べているところだった。 お昼時を過ぎていたこともあって、客は俺と斉藤の二人だけだ。 「信じられるか、斎藤……」 「いえ、信じられません」 まだ何も話していてないというのに、キッパリと言い捨てた。 嫌な予感がしたのか、はたまた面倒臭く思ったのかはわからないが、想定内の反応だ。 「昨日の昼間、充輝がさ、店に来たんだ」 「…………頭、大丈夫ですか?」 常日頃から充輝の話ばかりしていたけれど、ついに現実と妄想の区別までつかなくなったのか。 そんな心の声が聞こえてくる相槌だ。 「探し物をしてたみたいで、たまたま声を掛けられたんだ。びっくりするよなぁ。何でうちの店にいるんだよって話だろ」 「そうですね」 「それに俺のことを覚えてたんだよ。『忘れる訳ないじゃないですか』なんて言われて」 「チャック全開のお兄さん」というフレーズはあえて伏せた。 きっと斎藤のことだ。 口は開かないものの、小馬鹿にするような目を向けてくるにちがいない。 せっかくこれ以上ない幸せの中にいるんだ。 もう少し味わいたいたい。 「それって本気で言ってますか?」 ラーメンを食べ進めていた彼が手を止めた。 俺の頭が本当におかしくなったとは思っていないが、それでも信じ難いようだ。 自分でも、昨日の出来事だったというのに、あれは夢だったんじゃないかと思えてしまう。 頭の中は、もう充輝のことで埋め尽くされていた。 大きな瞳が上目に見つめてくる。 形の良い唇で弧を描いて、人懐っこい笑顔を浮かべる。 のんびりとした調子で買い物をする姿は、普段の彼を垣間見ているみたいで堪らないくらい嬉しかった。 自分の名前を呼ぶ声も、照れる仕草も、俺に会いに来ると言ってくれた言葉も、何度も何度も思い返す。 彼の全てに惹かれていた。 もっと話をしていたかった。 彼のことを知りたくて、笑顔を見たくて仕方がなかった。 別れ際、足早に去って行く彼の後ろ姿を見つめ続けてしまったのも、そんな思いを強く抱いていたからだ。 そして今、視線を向けているテレビの中に、充輝はいた。 元気一杯にカレーを頬張る、食品メーカーのコマーシャルだ。 チャームポイントである笑顔を存分に振り撒く。 アイドルの長谷川充輝がそこにいた。 緊張で仰け反ってしまうほどの距離で彼と言葉を交わしていたというのに、随分と遠くなってしまった。 「本当に好きなんですね」 不意に耳に入ってきた言葉で目を覚ます。 斎藤はもう食べ終え、冷水を呷っていた。 まじまじと見つめる自分を、相手も真っ直ぐ見つめ返してきた。 アイドル、それも同性相手に年甲斐もなくハマる自分に対し、彼は至って平然としている。 突き放すこともせず、だからと言って茶化すこともしない。 えらく真面目に俺の気持ちを汲み取ってくれる。 思えば、斎藤は初めからそうだった。 自分が同性のアイドルに夢中になっていると知っても、その嗜好を否定することはしなかった。 熱の入れように多少呆れることはあったけど。 理解があるというのか、単に動じないだけなのか。 そういった面でも彼は誠実な人だ。 だからつい、ぽろりと心の内を吐露してしまう。 「なぁ、このまま恋愛なんかに発展したらどうする?」 「どうやってですか?」 「二度あることは三度あるって言うだろ。またどこかでばったり、とか」 「めでたい頭ですね」 「そうなったら間違いなく運命だよなぁ。密かな逢瀬を重ねていく内に、互いが惹かれ合って……って、おい!」 話の途中だというのに、斎藤は席を立ち上がる。 「時間なんで、戻ります」 言われて腕時計に目を落とせば、休憩時間は確かにあと十分ほどしかない。 その一言を残し、相手が背を向けたものだから、咄嗟に呼び止めてしまった。 昼飯ぐらいいくらでも奢ってやるけど、それにしても何かもう一言ぐらいあってもいいだろう。 こちらの物言いたげな目を、彼は何と読み取ったのだろうか。 「話、ちゃんと聞いたじゃないですか」 あっけらかんと言ってのける相手へ嫌味の一つも返せないまま、俺は急いで麺を啜った。

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