1 / 21

第1話 生生流転

 夜の新宿・歌舞伎町。 「おはようございま~す。」 挨拶の声が響く。街が目を覚まし始める。 ホストクラブ・ニュー椿にもホストが顔を出し始め、活気が出始めていた。 「おはようございま~す。」 ニコニコして挨拶を返すのはバーテンダー・青木雄介だ。 「雄介、タバコ買ってきてくれる?バージニアのライト。」 「俺は、ガラム。」 「はーい、行って来ます。」  代金を握り締めてドアを出ようとすると、ナンバーワンホストの瀬島薫と出くわした。 「薫さん!おはようございます。お使いに行くのですが、何かありますか?」 「いや、何もない。」 端正な顔であっさり返されると、ちょっとがっかりしたような表情をして雄介は表に出かけていった。  瀬島薫は、昼間はサラリーマン、夜はここでホストをしている。親が莫大な借金を残して亡くなったため、その返済のためにこうして夜の世界に身を置いているのだ。 (あーあ、なんで保証人なんてしちまったんだよ、オヤジ。) 身の上を悔いても始まらないのだが、水商売なんて軽蔑していた自分がその中にいることがどうしても許せないのだ。 そうは言っても、類まれな美貌と、夜の新宿にいながら擦れないあたりが受けていて、瞬く間に店のナンバーワンになったのだから人生は皮肉なものである。 「又来るのかなぁ、この間のブルドックみたいなオバサン。」 「あの人、ワガママだからなぁ。」 「でも、ガマンすれば金払いはいいよ。」 まだ客の来る時間ではないので、誰もがくつろいでソファで適当なおしゃべりをしている。 「おぅ、瀬島。ここの水にいい加減馴染んだか?」 そう言ってきたのは支配人の鍔木修一だ。学生時代の悪友で、当時もバイトでホストをしていたが、卒業後も夜の世界から足を洗わずにとうとう店を持ってしまった。 まとまった金を稼ぎたい瀬島と、これだけの上玉を店におきたいという鍔木。お互いのニーズがぴったり合ったこともありこうして親友のところに身を寄せている。 「まぁまぁだな。しかし、会社とクラブとで正直キツイぜ。」 「いっそリーマン辞めて、専業で行こうぜ。時給から固定に変わるし、いまやうちの店、カオル様々なんだからよ。」 「いや、借金を返済し終えたら足を洗う。鍔木には悪いが、俺には向いていない。」 そう言いながら、煙草に火をつける。 「ま、ムリ強いはしないさ。自由な心でないとお客様は癒されないからな。」  この晩はまだ月曜日でおまけに雨と言うこともあってあまり客の入りが多くない。瀬島はカウンタで雄介の作った水割りを飲んでいた。 「今日は、ご指名ないんですか。」 「そうらしいな。早めに上がろうかな。早く帰って休みたいよ、なにせ昼は会社員だからな。」 「大変ですね。身体壊さないで下さいね。」 雄介が優しく微笑むと瀬島も微笑んだ。 「雄介は普段、昼間どうしているんだ?」 「俺?うーん・・・。」 答えを濁すところを見ると学校などではないようだ。自分よりも明らかに年下のこの青年は、瀬島の目からするとこんな夜の新宿に身を潜めているのはそぐわないと思っていた。もっと青空の下が似合いそうで、例えばサーフィンをするとか、そう、ラクロスのラケットを持ってポロシャツを着て歩いていそうなのだが。  自分もそうだがみんな色々事情があるのだろう。この世界では誰もそんなことを詮索しないところは気に入っていた。正直、残業を最低限しかしないで6時過ぎに足早にオフィスを出る瀬島の行き先を詮索する人間が会社には多すぎて、辟易していたのだ。恋人とのデートもままならずぼやかれてばかりいる。決められた仕事をこなして帰って、何が悪いんだと思ってはいるが、会社では副業禁止だ。いつバレるかと思うとヒヤヒヤする。  それに、店では自分の容姿のことばかり引き合いに出されるのも面白くない。とにかく自分がextra-moneyを稼ぐ手段は限られているのだから、早いところ稼いで足を洗おうとそのことばかり考えていた。  結局あまり客もなく、瀬島は日付が変わる前には上がっていた。 (やれやれ、なんだか腹減ったなぁ。でも今食ったら明日の昼飯はパンだけになるなぁ・・・。独身寮の食堂なんて開いている訳ないし。) ぼんやり考えながら傘を差して新宿駅の方へ向かうと、後ろから肩を叩かれた。振り返ると、ビニール傘をさした雄介がにっこりしていた。 「俺も今日は早く上がっちゃいました。ねぇ、ラーメン食べに行きません?」 「あぁ・・・。」 「あ、俺今日チップ多めにもらっちゃったから、ご馳走させてくださいよ。」 ラーメンは食べたいが、懐がこころもとない。躊躇していると渡りに船のようなことを言い出した。 「そんな、悪いじゃないか。」 「いいんです。せっかくの臨時収入だから、有効に使わないとね。」 そう言った時には既に瀬島の腕を取っていた。  連れていかれた店は最近雑誌などで「行列の出きる店」と評判のところであった。 「ちぃーっす。」 「おっ、雄ちゃん。今日は早い上がりかい?」 店主の話し振りからするとここの常連らしい。 「そう。雨だし人来なくって。この人、俺の先輩の瀬島さん。」 雄介の方がニュー椿は長いのに年長の自分を立ててくれている。 「ステキなひとでしょ?俺、瀬島さんのファンクラブ1号なんだよ。」 ニコニコして話しているところへ金髪の少年が水を運んできた。なんとなくおどおどした目で瀬島たちを見ると、足早に下がっていった。ここのところパンばかりで、久しぶりに温かいものを食べた気がする。 「おいしい。」 「でしょ?おやっさんのラーメンは天下一品だよね。」 夜の疲れなどみじんも見せない明るい笑顔でカウンタの向こうの主人に微笑みかける。 「あんまり誉めたってオマケしないぞ。」 「ね、瀬島さんは休みの日は何しているの?」 「もっぱら寝ているかなぁ。あとは寮で洗濯したり、時間があればデートしたり。」 「ふーん。彼女いるんだぁ、やっぱり。」 「雄介だって、いるだろ?」 モデルをしてもよさそうなプロポーションなのだし、性格も良さそうだ。さぞモテるのだろう。 「・・・・・・。」 それには答えず黙ってスープをすすっていた。  「あー、おいしかった。」 結局店の主人を誉め殺しにした雄介は餃子にレバニラまでオマケしてもらって満腹の様子だ。 「雄介、ご馳走になってしまってわるいな。今度給料日になにかご馳走するよ。」 「本当ですか?俺、期待しちゃおう。」  もう雨はあがっていて、雄介は傘を肩に担ぐようにして歩いていた。不夜城・新宿はまだ昼間のようにネオンが明るく喧騒は静まることがない。前方からティーンエイジのグループがやってきた。瀬島にとっては正直言って煙たい連中だ。 目を合わせず、通りすぎよう。そう思うと向こうのグループの一団がこっちを見て、直前で路地に入っていった。 「何だ?」 きっと後ろに怖いお兄さんたちがいたのだろう。 やれやれ助かった、そう思ってふとその路地の脇を通るとき、瀬島は雄介の目が獣のような光を帯びてその路地の先を見据えたのを見逃さなかった。

ともだちにシェアしよう!