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第1話(陽太の章)

「今夜は、これがいい」  僕は、お気に入りの絵本をママに渡すとベッドに入った。主人公が魔法を使って、いろんな冒険をする話だ。 「このお話、本当に好きね」 「うん。僕も魔法使いになりたいのっ!」    僕の弾む言葉に、ママは目をキラキラさせて、まるで新しい悪戯を思い付いた子供のような顔で声を潜めて囁いた。 「あのね、内緒にできる? 絶対に誰にも言ったらダメなの。パパにも秘密よ」 「うん」  いつもと違う雰囲気に胸がドキドキする。僕は体を起こすと、両手を握りしめてママの言葉を待った。 「ママ、実は魔法使いなの」 「ええっ! 本当に?」 「うん。本当」 「本当の本当?」 「うん。でも、絶対に秘密よ。魔法使いってバレたら、悪い魔王に捕まってしまうから……だから、誰にも秘密なの、パパにも」 「僕は? 僕も魔法使いになれる??」 「……実は、もう、魔法使いなのよ。魔法使いの子供は生まれつき魔法使いなの」 「ええっ! じゃあ、僕も魔法を使えるの?? すごいっ!!」  興奮してはしゃぐ僕をなだめるように、握りしめた手をポンポンと優しく叩くと、それまでの笑顔を引っ込めてひどく神妙な顔をした。 「これだけは、覚えておいてね。魔法使いは魔法を使った瞬間、消滅しちゃうの……だから、魔法は1回だけしか使えないの」  ゆっくりと、言い聞かせるように囁いた。 「自分の命よりも大事で大切と思える人のためにだけ使うのよ」      ◇ ◆ ◇ 「コラーッ! 陵、起きろっ!」  村田陽太(むらたようた)は、大声で怒鳴るとカーテンを勢いよく開けた。薄暗くひんやりした部屋に、春の暖かな日差しが差し込む。その途端、ベッドの上の横山陵(よこやまりょう)の眉間に皺が寄り、瞼がプルプルと震えた。 「起きないと、悪戯するぞっ!」  陽太は、布団を捲り上げると、「えいっ!」と陵の脇をくすぐった。  陵は、「うわぁあああ」と世にも情けない声をあげると耐えきれないとばかりに跳ね起きた。  隣の家の幼馴染みは寝汚い。転勤で外国に暮らす陵の両親に頼まれて、毎朝、あれやこれやといろんな知恵を絞って起こし、お世話をするのが陽太の日課だった。 「早く、顔を洗って、着替えろ。 一時間目体育だし遅刻するの、俺は嫌だぞ」  寝癖のついた髪をゆらゆらとなびかせながら、のそのそと洗面所に向かうのを見届け、自分と同じだが一回り小さい制服一式をクローゼットから取り出して並べておく。  陽太の母親が作った朝食をテーブルに並べていると、戻ってきた陵が「いただきます」と小さな声で呟き、箸を動かした。  寝癖はすっかり消え失せ、いつもの隙のない「氷の王子様」に変身している。  「氷の王子様」というのは、陵のあだ名で、氷の結晶のように美しい容姿と、まるで凍りついてしまったかのようにピクリとも変化しない表情を揶揄されたものだ。  ――いつから、こんなんになっちゃったんだろう?  陽太はこっそりとタメ息をついた。  陵は、ほとんど誰とも話さないし笑わない。 「お前さ、もうちょっと愛想よくしろよ。昔は、もっと違っただろう?」 「必要ない」 「クラスの奴ら、お前の表情が変化するのをみたことがないって言ってるぞ」  陶器のような白い頬をムニッと軽く引っ張ると、少し怒ったように目の縁を赤くしながら、そっぽ向いて手を払われた。  自分と二人の時は、こんなにも表情豊かなのに……自分以外の人間との関わりを頑なに拒む陵の態度に陽太は首をひねった。   「陽太、おはよう」  隣のクラスの陵と別れ、教室に入ると委員長が笑顔で手招きをしてきた。 「委員長、おはよう」 「あの話聞いた?」 「1年のヤツが例の神隠しにあったって話?」  委員長は眉根を寄せて、声を潜めた。 「昨日、帰ってきたらしい。でも、今までと一緒でこの1ヶ月間の記憶が全くないらしい」 「うわ、身近でこえーな。一体、何が起こってるんだろう?」 「ここ最近、高校生ばっかりだしな。次は、2年かもしれないぜ」 「げげっ、マジかよっ」 「いや、冗談じゃなくて、全国に散らばっていたのが、県内から市内、とうとう校内って段々範囲が狭まってきてる。変だと思わないか?」  確かに委員長の言う通りだった。  テレビの向こうの自分とは無関係の事件と思っていたのが、いつの間にか身近に迫ってきている。  この神隠し事件というのは、ここ数年多発している拉致監禁事件のことで、被害者は1、2ヶ月行方不明になるのだが、戻ってくると何故か記憶を失っている。  最初、全国各地で、しかも様々な年齢層の被害者だったのが、いつの間にか、高校生男子のみが被害者となり、陽太たちの住む市内に限定して起きるようになった。  それでも、幼い頃から武道をたしなみ、大柄な自分が狙われるとは思えず、陽太にとっては、あくまでも他人事だった。 「ここ最近、狙われているのは美少年らしいぜ。お前の『氷の王子様』、ヤバいんじゃない?」  委員長は、陽太の目を覗き込むとからかうように笑った。

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