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第3話 もうダメだ

 誰に何があったって、時間は流れる。  おれがどう思おうとも、そんなのは関係ないのだ。  考えてもどうしようもない。  人の心はおれのものじゃないから、なおさらに。  考えても仕方がないことは、考えないに限る。  そしてそういうときにありがたいのは、仕事。  集中しないと捗らない仕事万歳。  今回ばかりは、ホントに無心で仕事できるってことに、感謝。  史料編纂。  おれの仕事は、ざっくりいうならそういう分野になるのだと思う。  あちこちで発見された古文書やら史料を収集したり、デジタル記録したり、解読したり。  他には史料の修復、木簡や紙・墨や顔料なんかの筆記具の物理解析、集められた記録の保存管理、かな。  そういうあたりの作業を丸っと史料編纂というのだ。  職場でおれが担当しているのは、主に記録と解読。  ホントはきちんと内容も理解できるのが理想なんだけど、そこまではなかなか難しくて、内容を読み解くのは別に担当がいる。  おれにできるのは、そこに書かれている「ミミズののたくったような線」にしか見えない文字が「何」かを判断して、活字として記録すること。  史料を撮影したりスキャンしたりして、デジタル媒体で保存すること。  あとはご指名があったときに現地へ飛んで史料を確認、必要に応じて修復の手配をしたり回収したりすること。 「ん~?」  おれは目の前に置かれた紙片と、モニタを見比べて首を傾げる。 「しめす偏……や、ころも偏?」  文章の中で出てくる文字なら、何となく前後の文脈で判断するのだけど、固有名詞は難しい。  手元にあるのは某神社から預かった古文書のコピーで、村の名前と人の名前が書かれているもの。  仕方がないので、背後の席で作業中の先輩に声をかける。  就業時間内はデスクワークでも作業着を着ているのがデフォルトなので、今は見た目ださいおじさん状態だけどオフはおしゃれさんな人。  かく言うおれも、作業着でマスクめがね着用の、ほぼ不審者スタイルなんだけどね。  扱っているものが古い紙類のことが多いので、埃や汚れがひどいのだから、仕方ない。  今日は手袋をしていないだけ、露出が高いくらい。 「先輩、この漢字知ってます?」 「ん? ……あー、これな……ん~どっかでみた記憶はあるけど、思いだせん」  そう言いながらも、おれのデスクに置かれたメモに、さらさらっと参考資料を書いてくれた。 「あざっす」 「たぶん、な。そのあたりにあると思うんだけど、確信は持てねえわ」  先輩に教わった崩し文字のサンプルを呼び出して、引っかかる文字と見比べる。  これで判別がつかなかったら、思い当たる単語をいくつか作って、検索をかけてみるか。  固有名詞は地名のことが多いから、地図アプリでも呼び出すか。  割とこのあたりの方法でヒットするんだけど、今回はどうなるかな。  取り組んでいる史料の時代と、地方、ざっくりの内容をメモしながら、解読できた文字を打ち込んでいく。  今、おれがすっげー「夢中」になっている「お仕事」。  プリント一枚分打ち込んで保存かけたら、次のやつ。  書かれている文字を、わかるものからどんどん常用漢字で打ち込む。  旧字体がPCに入っているときは、旧字体で入れて、注釈をつける。  わからない文字は後でまとめて調べるから、印をつけて飛ばす。  作業の手順は決まっているから、集中し始めたらサクサクとすすめられる。 「急ぎじゃないんだから、そろそろ切り上げようか」 「ひょ?!」  ふぅと耳元で囁かれて、手元が狂った。  漢字が並んでいた画面に、変な記号が打ち込まれる。 「何すんですか!」 「終業時間でーす。今日はお終い」  振り返ったら、先輩がにこにこと笑いながら、時計を指さした。 「さっき、チャイムなった」 「あー……じゃ、キリがついたら」 「ダメ。それ、急ぎ案件じゃなかろ? 君は集中しすぎるから、今日はお終い」  あー。  にっこり微笑まれているけど、圧がすごい。  急ぎの仕事の時はホントにどうしようもなくなるのだけど、確かに今はそうじゃない。  急ぎの時にがんばりすぎて、何度かやらかしたことがあるから、ここは言うことを聞くのが吉。  今は仕事していたい気分なんだけど、それはそれ、これはこれ、ということだろう。 「保存したら、あがります。おつかれっした」 「はい、じゃあお先に」  なんとなく埃っぽくなってしまうので、仕事中は作業着。  通勤の時はスーツだったり私服だったり、その日の予定による。  今日は外出がなかったし、冷え込むと予報が出ていたから、セーターを着こんできた。  着替えて職場を出る。  ぶらぶらと駅に向かいながら、見上げると暮れきった鉄紺色の空。  ぽつりぽつりと星が見えるけれど、ビルの近くは明るくて、妙に空が遠く見える。  にぎやかな笑い声と、楽しそうなBGM。  キラキラした街並み。 「サンタさんがーゲームでー、じいじに本体でー、ママにケーキかってもらうの!」 「ケーキは買うの? 作るんじゃなくて?」 「違うの。いっぱいフルーツの甘いのがいいから、サンタさんの乗っかったのがいいから、ケーキ屋さんのなの」 「そっかー」  向こうからきた、にぎやかな家族にぶつかりそうになって、慌ててよける。  母親に見える女が子どもを抱き寄せて、父親だろう男が、すいませんと会釈をよこした。  小さく首を振って見送る。  この時期によく見かける、絵に描いたような家族だ。  おれには縁のないもの。  相性って、あるじゃないか。  努力で補いきれない、うまくいかない部分。  たぶん、そういうもの。  おれの家族は、家族なのに、相性が悪かった。  両親はなぜ結ばれたのかよくわからないくらいに、冷え切った夫婦だった。  それでも何とか関係を残していたのに、ダメにしてしまったのはおれの存在。  子はかすがい|鎹《かすがい》だなんて、うちには当てはまらなかった。  赤ん坊の頃は癇性で、面倒な子どもだったそうだ。  少し大きくなってからは、喘息が悪化して手の掛かる子どもになった。  たぶん病院関係者だったのだとは思うけど、次々入れ替わる周囲の大人が怖くて、思うことを言えなくなっていった。  親の思うような子どもらしい子どもでは、なかったんだろう。  もう少しおれがうまく立ち回れたら、違ったのかもしれない。  けど、おれはできなくて。  親が望むことを叶えようと、言われることに従うのに必死で。  なのに、ダメだった。  親の希望の中学に進学した頃、気がついてしまった。  おれは親の望むような、いい会社に入って出世してかわいい嫁さんをもらって孫を親に見せる、なんて人生、送れない。  おれはたぶん、女が恋愛対象じゃない。  必死に隠したけど、隠しきれなかった。  どこからかバレた。  それがとどめ。  おれの健康や性癖や、ありかたのおかしいところをお互いのせいにして責め合って、両親は一緒にいることをとうとう放棄した。  忘れていたことを、思い出す。  おれはひとりだ。  高校大学と進学費用は出してもらえたし、生活費も学生の間は出してもらえた。  不幸ではない。  恵まれていると思う。  全寮制の高校でチュンに会えた。  今でもなんやかんやと声をかけてくれる友達もいる。  職場にも恵まれている。  おれのことを気にかけてくれる人は、少なくない。  なのに、時々足下をすくわれる。  どうしようもなく一人だと思ってしまう。  おれがこんなだから、家族はうまくいかなかった。  ナオは別の人と、きちんとした家族を作るために、離れていった。  ナオのこと、好きだった。  今でも好きかと聞かれたら、好きだと答えるだろう。  だけど。  彼女のことを知る前と、同じ好きかって聞かれたら、違うと思う。  ただ好きなだけじゃ、いられなくなった。  意地とか執着とか。  そういうのが混じっている気がする。  全部ひっくるめて、好き、なのかもしれないけど、なんだか違うっておれは感じてしまった。  いてくれたらいい。  おれを一人にしないでくれたらいい。  おれの気持ちを受け止めてくれたらいい。  それだけだったのに、そうじゃなくなった。  それだけだったのに、それだけが難しかった。  ああ、なんかダメだ。  このまま一人の部屋に帰ったら、おれ、なんかダメな気だする。  そんな気がして、ついうっかり、行先を確認しないまま電車に乗ってしまった。 「……あれ」  さんざん乗り継いで、どこを走っているのかわからない一両編成の電車に乗って、終着駅で下りたら、なんにもなかった。  見事なまでに、何もない。  空っぽのバスターミナルの端っこに、ぽつんと公衆電話ボックスがあるだけ。  かろうじて、飲み物の自販機はあるけど、コンビニもビジネスホテルもないって、どういうことよ?  って、振り返って目を疑った。  ホームの電気、消えてるじゃん。 「あれぇ……?」  たどり着いた場所で、おれは首を傾げる。  確認した時刻表、すっげえ、余白だらけ。  今、乗ってきた電車が、終電だったとかいうんだ?  まだ日付変わってないんですが、もう、終わり?  え、マジ?  いつの時代ですかって感じの寂れた駅前で、ここはどこですかっていう終電の時間で、何の仕打ちだって置き去り感。  いや、ここまで電車乗り継いできたの、おれだけどさあ。  世の中、もう、令和よ?  平成も終わったんだよ?  何なんだこの時代錯誤な感じは。 「マジかー」  はふと息をついたら、白い息がふわりと舞い上がった。  けど、次に吸い込んだ空気は予想より冷たく乾いていて、ケホンと小さな咳が出た。

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