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第5話 朝の風景

 朝の光。  まぶしい。  部屋のカーテン、閉め忘れたっけ? 「んう……」  寝返りをうって、いつもの布団と手触りが違うことに気がついた。  慣れない香り。  馴染みのない、音。  目が覚めたら、ぬっくぬくの布団の中でした。  旅館とかじゃなくて、誰かの家だなってわかる和室。  そこにのべられた布団の中にいた。  ええと。  ぼんやりと天井を眺める。  そうだ。  昨夜、なんかいろいろと無理だって唐突に思ってしまって、行先も確かめないで電車に乗ったんだ。  別に行方をくらませようとか、世を儚もうとか、そういうんじゃなくて。  うん、なんかホントに唐突にどこかに行きたくなったので、そうしてみた。  そうそう。  それで行きついた先で電車がなくなって、困っていたところを自転車で轢かれて、加害少年の家に泊まることになったんだっけ。  おれを自転車で轢いた少年は、名乗りもせずにぐいぐいとおれを家に連行していったのだ。  連れてこられた家にいたのは、少年が『テルちゃん』と呼ぶ相手で、保護者。  面差しはよく似ていたと思うから、多分父親。  おれより年上で、がっしりした体格の優しそうなその人は、|関照好《せき てるよし》という名前だと、名乗ってくれた。 「……っ」  ケフン、と喉が鳴って、やばいなって気がついた。  昨晩冷やしたせいか……ちょっと喉がイガイガしている気がする。  口元を手で覆って、ゆっくり息をする。  うん、まあ、気をつけていれば大丈夫なレベル、かな。  目に入る光加減が、少しだけ変わる。 「ん?」  顔を向けたら、障子の隙間からひょこんとのぞく顔。 「……おはよ」 「オハヨウゴザイマス」  きりりとした眉。  けど、目がくるんとしてて、たぶん関さんよりはっきりした顔立ち。  昨夜家に連れてこられて年齢を聞いた時は、引き留めて家に帰るように言ったおれグッジョブ! って思った。  小学五年生だって言うんだよ?  いや、ホントにおれ、グッジョブ。  じっとこっちを見てくる様子は、年齢相応にあどけない。  昨夜チラリとしか会ってないけど、関さんがおっとりした熊だとしたら、こっちは好奇心旺盛な洋種の子犬。 「テルちゃんが、起きてたら朝ご飯一緒にどうですかって」  興味津々、でも、どうしたらいいのかわからない。  そんな感じで障子から顔だけのぞかせて、少年が言う。 「ありがたく、いただきます」 「じゃあ、台所、来て。こっち」  うなずくと少年が手招いたので、案内されて台所に向かう。  昭和レトロな雰囲気の家。  廊下は少し寒くて、ぶるりと身体が震える。 「寒い?」 「ちょっとだけ。寒いのは苦手なんだ」 「ふーん」  引き戸を開けて中に入ると、ほわっと暖かかった。 「テルちゃん、呼んできた」 「おう、サンキュ。箸並べてって」 「はーい」  ガスコンロの前に立つ、関さん。  卵焼きと味噌汁がテーブルに並べられてた。  たぶん、時計の代わりのテレビがつけっぱなしになっていて、耳にうるさくない音量で「今日は傘の出番はなさそうです」なんて、お天気のお姉さんが話してる。  冷蔵庫の扉には、学校の書類と思われるプリントがマグネットで止められていて、壁にはなんかの賞状が貼ってあって。  雑然としてるけど、すごくしっくりする雰囲気で、生活してるんだなあって感じた。 「おはよ」  おれの顔を見て、関さんが笑う。  ラグビーとかやってますかって聞きたくなるような、背が高くてがっちりした体型の人が、台所でエプロンつけて朝の準備してるのが、なんだか妙にサマになっていてほほえましくて、おれもつられて頬が緩む。  テレビの中でしか見たことのない、朝の風景がそこにあった。 「おはようございます」 「好き嫌い、ない?」 「はい」 「よかった。これくらいしかないけど、どうぞ」  しめされた席に座ると、目の前に白飯が追加された。  それからしんなりしたキャベツと鰹節を混ぜた小鉢。  箸を並べ終えた少年が、姿を消したと思ったら戻ってきて、おれの背に綿入半纏を乗せた。 「あ、ありがと」  少年はコクンとうなずくと、自分の席に着く。 「シュン、時間は?」 「今日から冬休み」 「あ……そっか……じゃ、昼飯がいるんだ」 「いいよ、適当にやっとくから」  手を合わせてから、ありがたく朝飯をいただく。  すげえなあ、ちゃんとした朝食だなあって、しみじみしながら箸を進めた。  自分一人だと、いいとこせいぜい野菜ジュースにトースト。  下手すりゃ牛乳一杯、なんて日もある。  遙か過去に、家族と暮らしていたときだって、こんな朝の食卓をむかえたことなんてなかった。  いやまず、家族で食卓を囲んだ記憶がないんだけど。  おれが一人で勝手に感動しながら食事をする間に、二人はサクサクと食べながら会話してる。  そしていつの間にか、ヒートアップしてた。 「だから、テルちゃん、出かけてきなって言ってるじゃん」 「行かない」 「何で」 「時間がわからない。夜になるなら、お前一人で留守番させとくわけにもいかないじゃないか」 「遅くなったって大丈夫、オレ、留守番してるし! テルちゃんがどうしてもイヤだって言うんなら、じいちゃんのとこに行っててもいいし」 「そういうわけにはいかないだろ」 「何で」 「いいんだよ。お前が気にすることじゃない」 「オレがいて、テルちゃんがひーちゃんに会えないなら、オレ、じいじのとこに行くって言ったよね」 「その必要はないって言った」 「テルちゃんのわからずや! ごちそうさま!」  ものすごい勢いで言葉が交わされていて、おれが驚いている間に、少年は席を立つ。  すごい。  何がすごいって、あれだけしゃべっていたのにきれいに食べ尽くされていること。  それから、プンスカしているのに、挨拶をして食器を下げてから部屋を出ていくこと。  いや、君、行儀よすぎじゃね?  驚いて見つめていたら、関さんが眉を下げた。 「変なところを見せたね。申し訳ない」 「いえ……や、あの、謝られることじゃ……びっくりはしたけど、羨ましいなというか、すごいなって」  うん。  あれだけ言い合えるのも、なんか、すごい。 「羨ましい?」  関さんと少年にだいぶん遅れて、食事を腹におさめたおれは、二人に倣って手を合わせる。  関さんは、おれの使った食器をひいて、熱い茶を出してくれた。 「おれは経験したことないから、なんていうか……いい関係だなって思って」  言葉がこぼれる。  思わず出た言葉なのに、目を見張った関さんは、照れくさそうに笑って息をついた。 「ありがとう」  一宿一飯の礼、じゃないけど、申し出て朝食の片づけをさせてもらう。  その間に関さんは掃除洗濯。  さっきの言い合いはなかったように、しれっと少年は居間の机で宿題らしきプリントを広げている。 「シュン、部屋でしろよ」 「寒いもん」 「じゃ、ちょっとの間ケツあげて」 「ん」  息ぴったりに動きながら掃除機かけているのが、ほほえましい。  食器は洗ってカゴに伏せておいてくれたらいい。  そう言われていたので、それだけをして、少年の横に座る。  関さんは別の部屋に行っていて、手持ち無沙汰で、壁に掛けられている額に目をやった。 『照好』『春暁』  丁寧に墨で書かれて並んでいる二枚の額。  少年の手元にあるノートには、『関 春暁』とバランスが悪いけど、筆圧の高そうな角のある字で書かれている。  そうか、これ、二人の名前なんだ。 「しゅんぎょう……君、『シュン』って呼ばれてたのは、しゅんぎょうって名前だったからなんだ」 「読めるの?」  驚いたように、少年がおれをみた。 「読めるよ。いい名前だね」 「へえ……なかなか、読める人いないんだよ。すごいね」  そう言って、自分も額に目をやる。 「名前、じいじが決めて、あれを書いてくれた……ホントは『はるあき』って読むけど、オレ、シュンギョウの方が好き」  きゅ、っと口元を引き締めて、シュンが言う。  生真面目な顔。  声をかけようか迷ったところで、関さんが戻ってきた。

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