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 春は曙。どこかの国のは文学人の言葉らしい。  雪蘭(シュェラン)は梅の花のついた枝を片手に小さな王宮の庭を進む。 「帝姫、居られますか」  帝姫、帝姫、と呼びかける。  蘭や椿、水仙、さまざまな花が咲き乱れる花園は幼馴染の姫君お気に入りの庭である。季節によっては苺や桃など果物が実り、甘く芳しい香りで満ちる。  腰まである艶やかな黒髪を高い位置で結い上げ、麗しい(かんばせ)を微笑で綻ばせた雪蘭は黑花(コクファ)の國の騎士である。  青と白を基調とした漢服を身に纏い、腰には一振りの刀を提げ、白い肌を日の光に晒しながら庭を歩く。 「帝姫――」 「もう、雪蘭っ! 帝姫なんて呼ばないでって言ってるじゃない。名前で呼んでちょうだいよ」  ひょっこり、木の陰から愛らしい顔を覗かせたのは黑花の國の長姫・春麗(チュンリー)。  風に淡い茶髪を靡かせ、まあるい瞳に真っすぐ雪蘭を映し出す。ぷくっと頬を膨らませた我らが姫君は何やらご立腹らしい。  柳眉をハの字に首を傾げた雪蘭は「しかし」と言い淀んだ。  春麗は大切な幼馴染の女の子で、守らなければいけない存在で――護らなければいけない、大切な我が国の帝姫である。物も知らない歳じゃあない。春麗、と呼んでいい仲じゃないのに、我が姫君は雪蘭に主命である! と言い切ってまで名前呼びをさせたがる。  物心つく前から、雪蘭は春麗と共に学んで育った。下に妹背しかいない春麗は雪蘭のことを兄と呼んで慕い、それはきっと今も変わらない。何よりも、雪蘭に姫君扱いされることを嫌がって、「雪蘭が名前で呼んでくれなきゃ梃子でも動かないわ」なんて言ってはよく女給や兵たちを困らせた。そして教育係の(ラウ)(せんせい)に二人まとめて叱られるのまでがセットである。 「……春麗、外で梅の花が咲いていたんだ。君に贈ろうと思って」 「ふふっ、雪蘭のそういうところ、私大好きよ」  ありがとう、と笑みを深めて姫君は白梅の花が咲いた枝を受け取った。  まさに花が綻んだ微笑み。それだけが見たくて、雪蘭は幼馴染の姫君に笑いかける。  彼女が幸せなら、俺も幸せだから。ずっとずっと笑っていて。たとえその隣に俺がいなくても、優しい幸せの中にいて。 「雪蘭っ、お茶にしましょうっ」  軽やかに、沓音を立てて姫君は花園の奥へと(かく)れてしまう。

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