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第2話

「身長どれぐらいある?」 「一人っ子?」 「髪切れって言ったのに切ってないなあ」 「あ、ゆっきーの昼飯って弁当?」 「もしかしなくても真面目くんかあ。勉強、しなくたって生きていけますよ」 「俺の将来の夢はニート」 「誰かのヒモになりたい」 「志は低くしとかないときついからな」  弾丸のように喋る男は飽きもせず問いかけてくる。  答え終わる前に矢次に問われると思考の渋滞が起きて混乱した。マイペースに喋っているようで、会話が止まると久住が話せるまで律儀に待ってくれる。どんな答えでもにこにこ笑って聞いてくるから話す内容が面白いのかなんて考えなくてもいい。気が楽だ。  軽い口調でふざけてはいるが悪意はないとわかる。だから、少しだけ会話ができるようになっていた。  真野透真を知ってからまだ二週間と経っていない。  元々積極性のない久住にとって普通に会話できるだけでも早すぎるような感覚だった。きつく言われると口ごもってしまうところが誤解を招いてしまうようで、これも人を不快にさせる一因である。焦ると汗を掻いてしまい赤面してしまうし、吃音のように言葉が詰まってしまう。両親からもどんくさいと言われていた。  進学クラスに行くのも本当は嫌だった。  競争のような空気感が苦手で自分のペースが乱される。焦るほどに結果が悪くなっていくところが自分の悪いところだと知っていたので、できれば普通のクラスで個別指導の塾に通うほうが好もしく思えた。  塾に通う余裕はなく、また内申書や推薦のこともあり進学クラスに入れと両親に言われたから入ったのである。これもいまとなっては間違いだった。 「人の話聞いてないだろ」  窓のそばに立ってグラウンドの生徒を数えているのがばれていた。  校舎の三階。空き教室にいるのは二人だけ。 「……さぼっちゃった…な…」  現在、授業中であるにも関わらず久住がこんなところにいるかというと透真のせいだ。  学校に登校するなり昇降口で捕まり連行されたのである。  あれから勝手に登録されたアプリで連絡を取り合って、放課後呼び出されることはあってもこんなことはこれまでなかった。 「あーんま窓に近づくとバレるから気をつけてな」  そばにあったカーテンを引いて少しだけ身を隠す。  透真は残されていた机を並べてその上に寝ていた。横にはスマホがあり片耳にイヤホンをつけて音楽を聴いている。スナック菓子もある。自由だ。 「ドキドキしてる?」 「……うん」  授業をさぼったことがない久住は初めての経験に落ち着かないでいた。  寝返りを打ってうつ伏せになった透真は小さく笑う。  透真は慣れている。彼は進学クラスではない。しかも彼とは双子でありながら学年は一学年下だという。留年していた。  いくつかのコースがあり同級生の把握も難しいほど生徒数が多い学校だ。それに加えて病気でもなんでもなく出席日数の不足。久住が知らないのも無理はなかった。  授業を受ける気にならずさぼっていたら一年延長しちゃったと当人は深刻に受け止めていないようである。  メンタルが強い、というよりも図太くマイペースなのだろうか。  呆れるよりも自分とは全く異なる性格と行動力が羨ましかった。 「真面目だと辛いねえ。一回失敗したって死にはしないんだから大丈夫だよ」  気楽すぎるとは思うけれど間違ってないようにも思える。何が正しいのか判断できるほどできていない久住は彼のように一線を飛び越える勇気はない。 「真野くんは怖くないの」 「透真」 「と、うまくん」 「透真だって」  苗字だとどっちのことか分からなくなる。  あれと一緒みたいで気持ち悪いと唯一顔を歪ませた。  自分の兄弟をあれと表現するところを見るとあまり仲が良くないようだ。久住は透真の弟を中心として嫌われている。そこに対する罪悪感のようなものはないらしく、けれども彼らと同じように接することはなかった。  ゴミクズではなく久住という人間として扱ってくれる。  自分でも簡単なやつだと思うが、そうしてくれるだけで透真は神様のように見えてしまう。数少ない、久住を人間と見てくれる人。貴重だ。  ぷつりと切れそうになっていた何かを透真がいてくれることで繋いでくれている。  こうやって言葉を取り戻すたびに自分が人間だったと思い出す。びっくりするほど安心する。 「透真は強いね」  窓から離れて、並べられた机の端に腰かけた。 「これが俺の普通です」  特別なことは何もない。やりたいように振る舞う。  透真にとってそれは当たり前なのだ。宇宙人と思えるぐらい常識で話しても話にならなかった。出会った誰よりもマイペースな性格であるとすることで納得はしたがついていけないこともある。 「こっこわくない?」  どうしてもどもってしまうことがあるが透真は笑わなかった。  あのまま他人と話さないでいたらそのうち言葉まで失っていたかもしれない。ぞっとする。 「俺はこ、こわい、みんな、とちがうことをしたら、全部終わるような気がして」  重ねた指を久住は落ち着きなく動かしていた。  イヤホンから漏れた音楽が微かに聞こえる。 「終わったところで困らない。そんなくそみたいな世界。そう言った意味では一回死んだほうがいいんじゃね」 「ん……?」 「ゆっきーの言っている世界って、すごく狭い世界の話だろ?」 「狭いとか広いとかあるの」  つけていないイヤホンを指で転がす透真は少しだけ沈黙。「ある」上体だけ起こして窓の外を見やる。追いかけて久住も外を見た。  青い空がある。 「こんな小さな箱みたいな場所を世界っていうならつまんないじゃん」  箱は学校のことを言っているようだ。 「でも、勉強とか受験とかしておかないと、そんな、将来ど、うするの」 「ちょっと道が外れたから終わりって決めつけてるところが悪いところだよね」  久住は言葉を詰まらせる。 「あ、違うよ。ゆっきーだけじゃなくてみんなね。当たり前をあまりにも当たり前に思ってるってことが実は不幸なの、かも、みたいな?」  端っこに座っていた久住の隣にきて透真も並んで座った。  肩がくっつくほどの距離感。初めて会ったときから異様に近い。 「なんか難しいよ」  どきっとするのは人慣れしていないせいだ。  ここで距離を取ると嫌な気持ちにさせるかもしれないからそのままにしておく。ぎこちなく身動きしながら透真が何を言いたいのか考えてみる。 「怖いかもしれないけど壊してみたら世界が180度変わることもあるんだなあ」 「もっと悪くなったらどうする」 「それこそ自分次第でしょ。スクラップアンドビルド? 世界は作るものなんですよ」  先生のような言い方とポジティブな考え方に笑いが零れた。  笑うという顔の動作も忘れていて横頬が少しだけ痙攣するだけだったが。 「この世界が続いたところでゆっきーは自分が幸せになれる? 普通に生きたいってできると思う?」  胃がきゅっと締められるような感覚に陥る。 「きつい言い方かもだけど……ゆっきーが死んでも何も変わらないで続いていくよ世界は」  優しい声で残酷なことを言う。  彼と似ている。それもそうだ双子なんだから似ていないはずがない。 「普通には戻れない」  気づいているだろうと暗に突きつけられた現実。  教室に戻れば待っているだろう現実がぽっかりと胸に穴を作る。 「ケガは手当てすれば治る。でも、痛い、苦しかったっていう記憶は消えない。続いていく。同じ間違いを繰り返さないように気をつける」  ほくろのある口の動きを見つめていた。 「ビクビクして生きるうちは普通にはなれないよ」  沈黙が流れる。  返す言葉がなければ自分のやろうとしたことが酷い過ちだったと言われているようで顔が見れなかった。  手に薄くあるかさぶた。切り損ねた傷口。  自分は死ぬこともできない。出来損ない。ごめんなさいと言いながらまだ生きている。 「あんなのにやられっぱなしでいいのか?」  手を握り締めた。 「お、おれ、が悪いから……悪くない、から、真野くんは……」  なんでも中途半端で曖昧でどんくさいせいで迷惑をかけたのだ。  人を不快にさせてしまった自分が悪い。求められることも満足にできないから、努力しないといけないのにしていない自分が悪い。 「俺が言うのもあれなんだけどさーあいつ性格悪いぞ。ゆっきーが何かするなんて考えられねえし、多分ただの遊びでイジメてんじゃね」 「い、いじめじゃない」 「はあ? 死にたいって思うぐらいやられてるのにイジメじゃないって頭の中お花畑かよ」  相手の声に苛立ちが滲んでいたが久住はいじめではないと首を振った。 「不快にさせる、おれ、がわるいんだ」  息をするだけで不快に思わせる自分が悪い。 「……期待しているうちは諦めつかないかもな」 「きたい?」  互いに顔を向き合わせる。  真野兄弟は双子でよく似ているが細部はそれぞれ違う特徴があった。同じだけど違う。不思議な感覚になる。  弟の彼は久住を見ようとはしない。兄の彼は久住を真っ直ぐ見てくる。 「あんな場所で死のうとしたのは見つけて欲しかったからだろ」  どちらも久住の本質を見抜いている。  それを嫌悪したのが弟の彼で、理解を示しているのは兄の彼だった。違う。どちらも久住の心を揺さぶってくる。 「見つかって、周りが変わってくれるのを期待した。そんなことあるはずないのにね」  わずかに抱いていた期待と恐れていた可能性を言い当てられてしまう。  双子の兄である透真が口にした恐れた可能性が一気に現実味を帯びてしまった。 「わからない」 「分かるよ。だってクソみたいな話、俺はあいつの兄だから」 「……っからない……!」  机を倒して立ち上がる。 「どうし、て、おとう、となのに、そんなふうに」  座ったままで見上げてくる透真は動じる様子はなく穏やかに笑みを浮かべていた。 「ごめんな。そういうやつなのよ弟は」  淡々と告げられる。  タイミングを見計らったように授業の終わるチャイムが鳴り響いた。  転がった机にぶつかりながら久住は出口へ向かう。「見てくるといい。あの教室に居場所があるのかどうか。自分の目で」走る。背中に纏わりついてくる透真の声から逃げるように教室へと急ぐ。  現実を見ろと言われた。  ――少しぐらい、少しだって、期待してもいいじゃないか。  この世界が捨てたものじゃないと思わせてくれてもいいだろう。久住は強くない。透真のように物事を簡単に割り切れなかった。  意気地のない汚さも見抜かれているようで耐えられない。  教室が近づいてきて、足取りは少しずつゆっくりになっていく。休み時間がもうすぐ終わるから廊下にいる人間は疎らだ。  扉まで辿り着いた久住は心臓が痛いぐらい動いていた。ここ最近ずっとそうだ。教室が視界に入るだけで憂鬱として逃げ出したくなった。  それは許されない。学校から両親に連絡が入ったらどう説明すればいいのかわからないのである。だから学校を休まなかった。  チャイムが鳴る前には教室に入らなければならない。  いつも通り、俯いて教室の扉を開ける。  騒がしかった教室が不自然なぐらい静かになったのがわかった。足元だけを見て進む。窓側の後ろから三番目の席。どれだけの歩数で辿り着くのかも覚えてしまった。  自分の席まできて久住は身体を強張らせる。 「ぅ――――」  なんとか声を出すことだけは耐えた。  くすくすと笑い声。くすくすくすくす。  机の上には萎れた花。そして、転がる花瓶と濁った水。椅子にも水が滴っている。  チャイムが鳴ってそれぞれ席につきはじめた。  横を通りすぎる誰かとぶつかってしまう。席にしがみつくよう倒れると制服が濡れる。じわじわとこみ上げてくるこれは、 「ホモ野郎」  ぶつかったクラスメイトとは違う別の誰かの囁きが耳に届く。  頭が真っ白になって久住は逃げ出した。         ▼      △  カッターを持っていなくてよかった。  逃げ場のない久住が選んだのはあまり使われないトイレだ。個室に入って鍵をかけた途端に吐いた。今朝食べたものが胃液に変わるまで吐き、同じくらい涙が零れてしまう。  それから便座に腰かけてひたすら時間が経つのを待っていた。狭いトイレの個室は教室にいるよりもずっとマシだ。誰も笑わない。怒らない。久住を傷つけない。  ――もう限界かもしれない。  今度こそ死んだほうがいいのだと思う。  透真の話を聞かずに期待した結果がこれだ。心配を――してくれたのだろう。傷つかないよう真実を言うことで受けるショックを少なくしようとしてくれたに違いない。  あくまでも透真は現実を脚色することなく捉えて教えてくれていた。  彼の言葉が残酷だったのではない、現実がそうであるからああいう言い方になってしまったのである。 「ぁ、あ」  枯れてしまうほど泣いても涙は出てきた。  悲しさに底はないようだ。  ――期待してごめんなさい。  ――生きていてごめんなさい。  ――俺は、ただ。  トイレに誰かが入ってくる。嗚咽をかみ殺して足を浮かせる。誰も入っていないように装う。  扉が一つずつ叩かれていく。一つずつ順番に。隣まできて身を小さく小さく丸めて息を殺す。  そして、久住の入っている個室がノックされた。他は一回で終わっていたのに、しつこく何度も叩かれた。 「もっしもーし」  黙り込んでいると扉の向こうから気の抜けた声がする。 「あ、もしかしてウンコしてる? 悪いことしたなあ」  悪いと言いながらノックされ続ける人間の気持ちを考えないのかと思うが、多分常識なんて通用しないんだろうなと久住は息を吐く。「紙がないなら投げるけど」白々しく何かを言っているが、中に久住が入っていることを察しているようだ。 「ちっちが、うよ」 「その声はゆっきーじゃないですか。奇遇だね」 「う、ふうう、ふ」  無神経だと怒ればいいのだろうか。探しに来てくれたのと馬鹿みたいに期待すればいいのかわからなくて、間の抜けた声に笑うことしかできない。 「会いたくて会いたくて会いたかった俺の気持ちが通じたのかも」  少女漫画みたいじゃない。とどうでもいい話を次から次に口にしている。よくそんなに話せるものだ。 「あ、さも会ったよ」 「ええーそれだけじゃあ寂しくて俺死ぬよ。俺友達いないからすぐゆっきーに会いたいし、メッセ送っちゃうしで申し訳ないなと思いつつ送ってるわ」 「……っ……うそつきだ」  友達がいないわけがない。申し訳ないと思っているわけがない。  嘘なのか本当なのか分からないことばかり言うがどこかでほっとさせてくれる。 「ごめんね。怒らせた。酷いこと言った。思ってることだったけどもーちょっと優しく言うべきでした。反省してる」  久住は鼻を啜った。 「だからここ開けてよ。顔を見て謝りたい」  透真が謝るべきことは一つもない。  それなのに彼は自分を悪者にしようとしている。ほら、みたことかと笑うことだってできるのに関わらず、気遣われているのだ。  情けない。情けないが過ぎて死んでしまいたくなる。  勝手なのは久住のほうなのに透真は責めない。  内側からかけていた鍵を開けると扉が軋みながら開いていく。  泣き顔なんてもう見られているから隠す必要もなく久住は佇む。 「ごめん。……って、泣いてる」  制服の袖を指で引っ張って透真は濡れた目元にぐっと押しつけてくる。 「お、おれ、あのっ」 「ゆっくりでいいから」 「ぅっん、うん」  待っていてくれる。パニックにならず言いたいことを頭の中で整理した。  鼻水が出そうになっているのも「きったね」と言いつつも拭う。落ち着くように肩を横から優しくとんとんと叩く。  少しだけ身長差があって下から見上げてくる透真は目が合うと必ず笑ってくれる。その笑みは安心感を与えてくれてなんでも許されるような気がした。 「おれは」  どうして嫌うのか――本当はずっと分かっていて、理解することを避けていたのである。  これを周りに知られてしまえば本当の本当に久住は終わるのだ。  唯一気づいてとすれば彼だった。彼は、気づいていて久住を嫌悪したのである。別に遠くから見ていただけだった。何かを伝えるつもりも、行動するつもりもなかったからどうしてばれたのだろうと思う。 「おれ」  いざ、言葉にしようと思うと勇気が必要だった。  息が詰まる。呼吸が苦しい。声が出ないどころか息ができていない。 「この馬鹿」  異変に気づいた透真が舌打ちをした。  両頬を手で挟まれてぐっと前に引かれる。 「んっ――」  熱い。ぬるっと何かが唇の表面を撫でて、噛み締めていた歯列を突く。「ぁ」目を見開いた久住の緊張が緩んだ。その隙をついてぬるついたものが口に滑り込んできた。  舌だ。粘膜が重なって唾液を擦りつけ合う。自然と受け入れる口腔が開いていく。  顔が熱い。初めての経験だった。 「は――っ――んっ」  少し喘いだ久住にふっと吐息がかかる。 「はあっ」  唇が離れると呼吸がしやすくなっていた。 「なで」 「知ってた」  頬を優しく叩いて透真は身体を離す。背を向けて髪を搔きながらいつになく歯切れ悪く彼は言い放つ。 「わかるって、だって俺もそっちだから」    つづく  

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