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第10話
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その日からシアンはセシルの元で作法や国の歴史、文字などの勉強をすることになった。
セシルの教え方は丁寧でわかりやすく、シアンは知らなかったことをたくさん学んだ。奴隷のままなら一生知ることのなかった読み書きは特にためになった。今まで興味があっても読めなかった本が少しずつだが読めるようになったのだ。
セシルが勉強用に持ってくる本はシアンのレベルに合ったものばかりで、どれも面白かった。この国の普通の子供なら誰しも読むだろう本だとセシルから聞いた。
一方、作法の勉強は苦手だった。手づかみでパンを食べるくらいしかしてこなかったから、ナイフやフォークを持つと緊張してしまう。肉を上手に切ることはできても、小さな豆や果物を器用に切るのは至難の業だった。
王子は毎日、食事が終わるたびにシアンに与えた部屋にやってくる。
その顔色は酷く悪く、そのまま倒れてもおかしくない。それを気力でなんとか部屋まで歩いてやってきてはシアンに口付ける。
何度もそれを繰り返すたびに唾液を吸われるのは慣れてきたが、胸のドキドキは回数を重ねるほど強くなった。
唾液を摂取したあとの王子は顔色も良く、毒を食らったとは思えないほど元気だ。その姿を見るたびに自分には本当に毒を無効化する力があるのだと実感する。
自分では全くわからない。唾液は唾液だし、汗はただの汗だ。試しに自分の汗を舐めてみたが特別美味しいわけでもない。
それでも王子は夜になるとシアンをベッドに誘い、香を焚き、冷たいその手で優しく肌を撫でるのだ。
耳元で何度も赤い髪が綺麗だと囁かれるたびに勘違いしそうになる。王子は毒を治療するためだけに自分を抱いているだけなのに。
――ことが終わると王子は死んだように眠る。
いくら毒を中和しても身体には少なからずダメージが残っているのかもしれない。完全には毒を無効化できてないのかと心配になる。
そんなシアンの心配は朝になるとただの杞憂だったとホッとする。
ぐっすり眠って、起きた王子の顔色はとても良くて生命力で漲っているからだ。
(そういえば妻にするって言ってたけど、あれってなんだったんだろ)
その場限りの戯れ言だったのだろうか。どういう意味か訊きたかったけれど、答えを訊くのも怖かった。
「最近、毒の量が増えたみたいだ」
「え、増えたってどのくらい?」
その日の夜も王子はシアンの部屋へやってきた。中和のための口付けは食事のあとすぐに部屋にやって来て済ませてある。あとは寝るだけだ。
王子はシアンを抱く日もあれば、何もしない日もある。何もしない日は眠りにつくまでその日あった他愛のないことを話したり、セシルに教わった勉強がどこまでかなどを話したりする。
抱かれなくても普通に会話が出来るだけで楽しかった。こんな日常、奴隷の時には考えたこともなかった。
「俺がどんなに毒を盛っても平然としているからだろうな。料理の味にまで影響するような量を入れてきている。相手も焦っているんだろう」
「そんな……大丈夫なの? 致死量を入れられて死んだらオレにもどうにもできないんだけど……」
「確かに死んだら意味がないな。……ところでテーブルマナーは完璧に覚えたか?」
テーブルの上に置いてあった水差しからグラスに水を注いで一気に飲み干す王子に、シアンはふるふると横に首を振った。
少しは様になってきたけれど、完璧とまではいかない。セシルの前では緊張せずできるけれど、他の人の前ではきっと失敗してしまうだろう。
「これからはシアンも食事に参加しろ」
「えっ、オレも!?」
「最近、噂も流れはじめた。今が良い機会だろう。おまえを王族の連中に披露する。すぐそばで食事をしていれば俺に万一のことがあっても対処できるだろ」
対処とは王族の面々の前で王子に口付けをしろということか。想像しただけで嫌な汗が出る。
ここに来てからこの部屋と湯殿以外で出入りした部屋はない。セシルから外には出ないように言いつけられているからだ。せめて王族にばったり出くわしても焦らずにやり過ごせるようになるまでは、と。
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