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第2章  白き海賊船ルナティス  *10*

 グレンの差し出した手に、カシスはそっとナイフを乗せた。 「なんか食っとくかい?」  元の場所に果物ナイフを戻しながらグレンが声をかけてくる。カシスは首を横に振った。 「いいえ」 「海賊の食い物じゃ口に合わねーか?」 「そんなことは……」  ガハハと豪快に笑うグレンを前に、カシスは言葉を濁し俯く。食事を作ってくれていたであろう張本人を前にしては、さすがにバツが悪い。ほとんど手をつけずに返した食べ残しを見れば、カシスにその気はなくとも『口に合わない』と言っていたようなものだと、今さらながら気づいたからだ。 「口に合わないわけじゃなくて……」 「海賊相手にそう気を遣ってくれんでもいいさ。ちっと待ってな。良さそうなモンを見繕って持ってきてやるから」  カシスが応える間もなく、グレンは調理場へと姿を消した。  バーのすぐ脇に押せば開く簡単な造りの扉があり、奥が調理場になっているのだと分かる。  気を遣うなと言われたものの大人しく待っているわけにもいかず、カシスもグレンを追って調理場への扉を押し開いた。  いくら人が好さそうだといっても、グレンとて海賊なのだ。無闇に好意を受けて良かろうはずがない。  帝国の王子として海賊などと馴れ合うような真似はできない。  調理場に踏み入るとすぐに気づいてグレンが声をかけてきた。 「おいおい仔猫ちゃん、心配せんでもまともなモンを食わせてやるよ。大人しく向こうでイスにでも座ってな」 「あの……」  カシスは意を決して口を開く。 「気持ちは嬉しいけど、俺……食べるわけにいかないから」 「―――うん?」  鍋を火にかけようとしていた手を止め、グレンが顔を顰める。慌ててカシスは畳み掛けるように言った。 「口に合わないとかそういうことじゃないんだ。でも俺は好意を受けるわけにいかない。気を悪くしたなら…………」 「ボウヤの言いてーことは、よく分かる」  再びグレンは動き出す。点いたままの火に鍋を置いた。 「海賊に甘えたりできねー。つまりはそういうこったろ?」  グレンの穏やかな声に仕方なくカシスは頷いてみせる。やれやれとグレンは頭を掻いた。 「帝国の王子なんてモンは気遣いが多くていけねーな。海賊からの施しなんぞ受ける謂れはないとでも言うかい? けど食わないままでいたら、お前さんは間違いなく死んじまう」  グレンの目がそれまでにない険しさでカシスを見据えた。 「もう何日まともに食ってないんだ、ボウヤ?」 「………………」  カシスはギクリと肩を揺らす。  まともな食事など、思えばこの海賊船に来て以来とったことのないカシスだ。  このままではいけないと、カシス自身が何度も考えたことだった。  しかしそれとこれとは話しが別だ。 「俺は……ッ」 「こう考えちゃどーだい。海賊の好意を利用するってな」 「……利用?」  言葉の響きにカシスは眉を顰める。グレンはあっけらかんと言い放った。 「自分が生きるために海賊の好意を利用するのさ。どうだい仔猫ちゃん? なかなか上手い考えだろ?」  火を止め、鍋の中味を皿によそう。  こんなもの一杯のためにさんざん理由をつけねばならないカシスが、グレンには不憫に思われた。  まともに食事をとらないカシスを、ウルフも気遣ったのだろう。  見かけによらず世話焼きなグレンだ。食事の面倒もしっかりみる。もちろんそれを見越して、カシスをグレンの手伝いに寄越したに違いない。  身体を動かせばカシスにとっても気晴らしになるだろう。 「そら、これを持ってテーブルに行きな」  カシスはまだ戸惑っていた。  皿を持たされ背を押されて、おずおずとテーブルに着く。グレンも向かいのイスに腰を下ろし、自分には大ぶりのマグカップに溢れるほどのコーヒーを注いでいた。 「この時間なら誰も顔を見せたりしないだろうよ。安心してゆっくり食いな」 「あの……」 「おお、そうだ、礼はいらねーよ。船に乗ってる奴らにメシを食わせるのが俺の仕事だ。これからはお前さんが手伝うことになる仕事でもある。分かるな?」  カシスがこっくりと頷く。グレンは満足気に目を細めた。 「よし、それじゃあな、冷めないうちに食っちまいな」 「……俺が手伝う仕事って」 「なあに簡単なことさ。食事をつくる、連中に食わせる、後片付けして終わりだ。酒樽を担いだりもせにゃならんが、他の連中に手伝わせりゃなんとかなるだろ。その細腕に力仕事は向かねーからな」 「頑張ってみるよ」 「そーかい? なら期待しておこうか」  冗談ぽく笑うグレンにつられ、カシスも顔をほころばせる。  いただきますとしっかり改まってから、カシスは食事に手をつけた。  湯気の立つ皿の中味は細かな具の入ったクラムチャウダーだ。  一さじを口にすると忘れていた空腹感が押し寄せてきて、カシスはみるみる間に皿の中味を平らげていく。 「どうだ? 美味いだろう?」  聞かれるまでもない。カシスはこくこくと頷いた。  そうだろうそうだろうとグレンも自慢げだ。 「図体のでかい野郎どもと同じメニューじゃ、咽喉の通りも悪かったろう。キャプテンもひと言伝えてくれりゃあな。相手がこんな仔猫と分かれば、メニューにもひと手間加えてやったってのに。なあ?」  同意を求められカシスは憮然として口を噤んだ。応える代わりにボソリと呟く。 「『カシス』です」 「んん?」  どうかしたのかと首を傾ける相手に、カシスはきっぱりと言い放った。 「俺の名前。『仔猫』でも『ボウヤ』でもなくて『カシス』」 「ああ、そうかそうか。カシス、カシスだったな」  ワッハッハッと大口を開け笑ったグレンは、やけに楽しそうだ。 「名前ってもんは大切だぞ。ちゃんと『カシス』と呼ばんと失礼だ。なあ、ボウヤ」 「『ボウヤ』じゃなくて『カシス』だったら!」  笑うグレンに通じているかどうかは甚だ怪しい。  カシスは何度も念を押し続けた。

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