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第2章 白き海賊船ルナティス *11*
カシスは3日で根を上げた。
グレンの手伝いはいい。調理場でのこまごまとした動きにカシスはすぐ慣れたし、グレンとの息も合っていた。手順を覚えたばかりのカシスに、グレンがさりげなく合わせていてくれたということもある。それでも大した支障もなく、上手い具合に事は進んでいたのだ。
問題はウルフだった。
食事のたびにウルフの姿を探すことが、カシスにとってとんでもない難問だったのだ。
いや、きっとカシスに限ったことではない。他の誰がやったにしても難しかったと言える。
まずひとつ処にいたためしがない。大人しく待っていてはくれない。
こちらが動けば向こうも動く。
カシスが奔走している間、ウルフも船内を移動するのだから、追いつけるわけがない。
かと思えば船内に不慣れなカシスが知りようもない場所に、落ち着いていたりするのだ。
3日目の夕食時にカシスは独りきりで食堂のテーブルに着いた。同じテーブルに着くはずのウルフの姿が今はない。
1時間ほど船内を駆けずり回り、ついにカシスは諦めたのだ。
「どーしたい、仔猫ちゃん。旦那様は留守中か?」
食堂に入るなり冷やかしてくる海賊の声に、カシスはプイと顔を背けた。その、いかにもな子供らしい仕種に、海賊たちの豪快な笑い声が響き渡る。
肉を細かく切って詰めたミートパイに、カシスは不機嫌な顔をしてフォークを突き立てた。
不貞腐れながら食事をとっても、なぜだか味気ない。
海賊たちにしてもからかうのは初めだけで、すぐ目の前の食事に興味を移し離れていく。
カシスの存在を物珍しそうに遠目で眺めていたのは、ウルフに連れられ食堂で食事をとった1番最初の時だけだった。
存在を認められ受け入れられるのとも、興味を失くし突き放されるのとも少し違う。
カシスは男たちと同じ空気の中に穏やかに包み込まれるのを感じていた。
同じ船に乗り、同じ食事をとる。そこには確かな連帯意識が育っている。
いつもどこかで特別と扱われた帝国の艦船では、触れることのできなかった空気だ。
カシスは王子として丁重に突き放されていた。
帝国にあってはどこにあっても異端でしかなかった。
海賊の中にあって最も異端であるはずの自分が、男たちと同じ空気に包まれていることが、カシスには奇妙で少し滑稽に思えてならない。
この海賊船の中では誰もが同じ位置にいる。
キャプテンであるウルフも、キイ・ブレインのルナも、奴隷と言われたカシス自身にしても、他のクルーたちとなにひとつ変わらない位置に。
カシスはフォークを持つ手を止めた。
食堂の中は賑やかさを増しているが、ウルフは一向に姿を現さない。
この3日で戻りつつあった食欲も今は失せてしまっている。気にするまいと思えば思うほど、食事は手につかなくなってしまう。
グレンが苦笑混じり言ったものだった。
「キャプテンは仕事にのめりこんじまう性質でな。食事や睡眠なんてモノは完全に後回しだ」
放っておけば1週間は食事もとらず不眠不休を続けるだろう、と。
「倒れるほどヤワでもねーしな。俺たちとは桁外れの体力の持ち主だぜ、キャプテンは」
見るからに屈強なグレンが、我が事のように自慢してみせる。
そんなウルフが相手でも、だからこそ心配なのだとグレンは言うのだ。
「自分の限界を見誤ったりしねーかとな。まあ、あのキャプテンに限って見誤ったりなんぞあるはずねーんだが」
仲間としての信頼がグレンに告げさせる。
「食事のたびにキャプテンを引きずって来ようってのはな、言うほど楽な仕事じゃない。かなり骨の折れる仕事だ。けどできるならな、メシぐらいはゆっくり食わせてやりてーのさ。それになぁ…………」
言いかけて頭を掻くグレンに、カシスはキョトンと首を傾げた。
ウルフを呼ぶことでカシスも決まって食事をとることができる。ウルフがカシスの体調を気にかけているのだとは、思ってはみたものの本人にベラベラと打ち明けるに躊躇われるグレンだ。
続く言葉の先を、結局カシスは聞かされていない。
カシスはカシスなりにウルフを探すことの意味を考えた。
与えられた仕事として。同じ船に乗る者として。
自分を奴隷へと貶めた男を追い求めるようなことはしたくはない。馬鹿げているとすら思える。
けれど仕事と言われれば、遣り遂げないわけにはいかない。
海賊を相手に与えられた仕事すら満足にできないようでは、帝国の王子として名折れだ。
フォークを皿に置く。カシスはイスから立ち上がった。
そこかしこからヒューヒューと冷やかしをこめた口笛が聞こえてくる。
「ご主人様をお迎えかい、仔猫ちゃん?」
「キャプテンならブリッジで見かけたぜ」
「バカ、いつの話しだよ。それより格納庫を見てきた方が早いだろうよ」
「格納庫にいたのだって3時間も前の話しじゃねーか」
ドッと起こる笑いの中、カシスは耳をそばだてた。
彼らの情報はいつだって正しい。有り難いのだが、いかんせん情報が古すぎた。
ウルフの現在いる場所がカシスは知りたい。それを知るためには古い情報を掻き集め繋げていくしか手はなかった。
食堂の入り口に新たな人影が現れて、カシスは咄嗟に目をやる。残念ながらウルフの姿ではない。入って来たのは巨漢のライアスだった。
「なんだボウヤ、まだキャプテンを見つけらんねーのかい?」
イスにどっかりと腰を下ろしたライアスは、考える風を装ってからおもむろにカシスを見やる。
「キャプテンなら通信系統のトラブルとかでなあ、回線を調べに行ってるはずだ。新しく組んだ基盤が上手く作動してくれんらしい。第2デッキをまわった先に制御室がある。そこにいるだろうよ」
カシスはキョトと漆黒の双眸を見開く。
なんとも無愛想なライアスへ向け、とたんにカシスは満面の笑みを返した。
「あ……、ありがとう!」
その素直すぎる笑みにライアスがすっかり照れて柄にもなく頬を赤らめたのだが……。
勢い良く食堂から駆け出して行ったカシスは知る由もない。
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