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第2章 白き海賊船ルナティス *12*
カシスがウルフに連れられ歩く時は、クルーたちの誰もが息を潜め声ひとつかけようとせず成り行きを見守る。しかしカシスが独りきりで船内を駆け回ると、彼らの様子はまるで違った。通り過ぎようとするたび幾つもの声が軽口混じりにかけられるのだ。
「いよぉ、仔猫ちゃん。キャプテンをお迎えか?」
「こっちではキャプテンを見かけてないぜ」
「大丈夫。第2デッキの先にいるって聞いてきたから」
確信を持ってカシスが告げると、「そーか、そーか」とにこやかに返ってくる。
「足下に気をつけな。あんまり急ぐと転んじまうぞ」
分かってるというように、カシスは大きく手を振った。
繰り返される遣り取りは食堂でのものと大差ない。これじゃあ幼い子供のお使いのようだと、カシスは胸の内で苦笑した。
まだ母親が生きていた頃に辺境の惑星で暮らしていた時分は、今と同じに宮殿の中を走り回ったものだった。
あれこれと頼まれごとを引き受けては宮殿の中を駆け回る。
宮中で働く者たちは、皆、カシスを気にかけ柔らかな眼差しで見守ってくれていた。
あちらこちらで幾つもかけられる声は、あの頃に似ている。幼いカシスを見守ってくれた、あの宮中の者たちと。
「珍しいのかな……」
カシスはこっそりとごちる。
子ども扱いは気に入らないが、仕方ないとも思えた。海賊の中には若いクルーもいるにはいるが、カシスの倍ほど年齢のいった者が大半だ。
ウルフなど1番若く見えるくらいで、だからグレンが悪ガキなんて悪態をついたりもするのだろう。
彼らにしてみればカシスはまだまだ幼い子供でしかなく、脅威の対象とは成り得ない。「転ぶぞ」と口をついて出てしまうのも、カシスが危なっかしく見えてしまうからに違いないのだ。
決してバカにされているということではないのだが、どうにも抑えきれない情けなさを感じずにはいられない。
こんな風に海賊たちと馴れ合っている場合でもないはずなのに……。
それもこれもウルフが下らない仕事を押し付けるからだと、脳裏へ浮かんだ彼へ向け口には出さない文句の限りを並べ立てる。
第2デッキを過ぎる頃にはすっかり不機嫌になって、カシスは制御室にダンと踏み入った。
横開きのシャッター扉をくぐると、今さっきまで頭の中で文句をぶつけていた相手の声が聞こえてくる。
「問題は通信系統ではなく電気回線の方だろ。安定した電力が確保できりゃ、こいつだって動くんだよ」
傍にあるタワー型の機器にバンと拳を打ちつけるのが見えた。多少苛立っているのか響く音が荒い。
「なら回線を繋ぎ変えてみますか?」
ウルフの他にも3、4人のクルーがいて、神妙に顔をつき合わせている。ウルフは「ダメだ」と首を横に振った。
「仮にこいつが動いたとしても間違いなく電力不足は起こる。他に支障が出るとマズイ。―――待て、フリッツ! それを繋ぐな!」
ウルフが止めるよりも先に、床で作業をしていた男の手がコードに伸びる。別のコードと繋ぎ合わせた瞬間、カシスのすぐ脇で火花が散った。
「うわッ!」
思わず叫びをあげ、腕で頭を庇い火花を避ける。
コードを繋げたとたんに回線がショートしたのだ。
すぐにウルフがカシスの元へ駆け寄ってきた。
「バカ! お前、なにやってんだ!?」
怒鳴りつけるなりカシスの腕を掴み取る。片方の手で顎を掴み、頬をみる。傷がないことを確認して肩へ触れた。
「怪我は?」
「……平気」
「ボサッと突っ立てるからだぜ。こんなトコになにしに来た?」
「食事の……時間だから」
「ああ、そうだったな」
ウルフは舌打ちする。顔色を変えているフリッツへ目を向けた。
「おい、ボヤボヤしてねーでショートした回線を調べあげろ。故障箇所を全てチェック。今すぐだ」
「イ……イエッサー」
「基盤を組みなおして回線を繋ぎ変えろ。ロイ、長距離通信は捨てていい。短距離で組なおせ」
「長距離への変更を計算に入れて?」
「できればな。どっちみち電気系統そのものにも手を入れる必要があるだろ。短距離通信に支障がないならそれでいい」
「アイサー、キャプテン」
ロイの返事に頷くと、ウルフはおもむろにカシスへと向き直った。
「で? なんだって?」
「…………食事の時間」
「―――にしちゃ、えらく遅すぎやしねーか? 時間は厳守と言ったはずだな?」
そんなの知ったことかとカシスは仏頂面になる。
「捜したけどどこにもいなかったのはあんたの方だろ。こんなトコにいたんじゃ分かりっこない」
「捜した?」
「たっぷり1時間はね」
「随分のんびりとお捜しになったもんだ」
フンとばかり背けたカシスの顔を掴んで引き寄せ、その口許に着いた汚れをウルフは舌で舐め取った。
突然のことに驚いたカシスが、バッと身体をはがす。
「な……ッ、なにす……ッ!?」
「今夜はパイ料理か。さぞ美味かったろうよ」
ミートパイのソースがカシスの口許を汚していたのだ。
ウルフの突飛な行動にか、向けられた言葉のせいか、カシスは真っ赤になる。料理をまともに味わったわけではないが、このさいそれは問題ではないだろう。
グッと応えに詰まったカシスを嘲るように鼻で笑い、ウルフは上目遣い睨んでくる目を覗きこんだ。
「言いつけを守らない仔猫にはお仕置きが必要だ。だよな、ケビン?」
「違いないぜ、キャプテン」
フリッツを手伝い回線を調べていたケビンの手が止まり、笑い混じり請け負う。
満足気に咽喉の奥で含み笑ったウルフを見て、カシスはピクリと身体を揺らした。
腰が退け、後退さろうとする。が、刹那を待たずにかかった両腕の重みに、逃げることはかなわなかった。腕が床に引き寄せられるかのように落ちる。
「わッ!」
勢いその場に跪き、カシスは悔しそうに頭を擡げた。噛み付かんばかりにウルフを睨みつける。
腕輪が酷く重い。手を僅かに上げることすらできない。
見下ろすウルフが残酷に告げた。
「言ってきかせるより身体に分からせる方が早い。―――それともこの場で許しを乞うか?」
できるはずがない。
カシスは身体の震えを必死で抑えた。怯えているのだと悟られたくはない。
いつだってウルフの言葉はカシスへと残酷に向けられるのだ。
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