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第2章 白き海賊船ルナティス *16*
カシスがベッドから起きだすことができたのは、4日目の朝だった。
これもまたウルフに言わせれば、《サナギ》の毒ということになるだろうか。
散々に弄ばれた身体のダメージは大きく、精神が受けたショックは身体以上に大きなものだった。ウルフの手で酷い扱われ方をした記憶は、今も生々しくカシスの裡に残っている。
宇宙標準時で丸3日、カシスはベッドから這い出ることすらできなかったのだ。
4日目の朝にカシスはようやくベッドから脱け出すことができた。昼には部屋を出て食堂へ行き、グレンの用意してくれた食事をなんとか半分まで平らげられるようになるほど、身体は回復を見せていた。
5日目の朝になると顔色もすっかり元へ戻り、見た目にはダメージも残らず消え去ったかのような回復ぶりだった。
しかしダメージが本当に消え失せたかといえば、それは誤解となる。
精神に受けたショックは色濃く残り、カシスを苛み続けた。
意地を張っても強がっても、ウルフにはことごとく挫かれてしまう。
さすがにカシスは懲りていた。
殺がれてしまう虚勢を無理に張ろうとするからいけない。
従順に従えばいいのだ。せめて『フリ』だけでも。
逆らった挙句に《サナギ》を使われ捩じ伏せられるなんて、それこそ堪らないではないか。
5日目の夜にカシスは以前と同じく船内を駆け回るはめとなった。
それまで食事のたびにふらりと現れていたウルフの姿がどこにもない。
呼びに来いということなのだろう。無言の圧力がカシスにかかる。
急なアクシデントに捕まってしまったからか、カシスの身体が回復したと知ったせいか、それとも……。
「気紛れに決まってる。絶対に」
カシスは愚痴を零す。
なんにせよ、どこにいるとも知れないウルフを探し出せなければ話しにならない。
時間は刻々と過ぎていく。
探し出せなければまた、あのおぞましい玩具に身体の奥底まで嬲られることになるのだろうか。
這い登る悪寒に、カシスはぶるりと背を震わせた。
情けないマネは死んだってごめんだが、背に腹はかえられらない。
「ルナ!」
第5デッキへ伸びる通路の半ばで、カシスは声を張り上げた。
「聞こえてるんだろ!? 返事くらいしろ!」
「―――なんの御用かしら? 王子さま」
目の前に少女の姿が現れる。宙に浮いているのが不思議なほどリアルな姿で、彼女は愛らしく微笑む。
「あなたほど暇じゃないの。用件は手短にね」
にっこりと笑って嫌味を言うなど、他のキイ・ブレインでは決して真似できまい。
相変わらず驚かされることしきりだが、カシスにしても今はのんびりと驚いてやっている暇などなかった。
ともかく時間が惜しい。
「ウルフの居場所が知りたいんだ」
「キャプテンの居場所?」
単刀直入なカシスの問いかけに、ルナはわざとらしく小首を傾げてみせる。
「さあ? どこだったかしら?」
口許には艶然とした、それでいて意地の悪い笑みが浮かぶ。
「ご自分でお探しになるといいわ、王子さま」
からかって遊んでいるつもりなのか、ルナは投げキッスを1つ寄越してあっさり姿を消してしまった。
呆然として彼女の姿を見送ったカシスは、すぐさま己を取り戻し両の拳を握り締めた。力んだ肩がわなわなと震える。
「こ……の、役立たず―――ッ!」
声を限りの叫びが通路に大きく響き渡った。四方の壁反響し、エコーまで響かせるほどの雄叫びだ。
「なんだよ! 自分で探せなんて言って、ウルフがどこにいるのか分からないだけなんだろ!? 所詮はその程度なんだよ、このおんぼろキイ・ブレイン!!」
堪っていた鬱憤をこれでもかとぶつけて、カシスはハアハアと荒く息をついた。
たかが電気仕掛けのホログラム(立体映像)ごときにバカにされるなど冗談じゃない。
もちろんそこには多分に八つ当たりめいた感情も含まれていたのだ。
ところがこの海賊船のキイ・ブレインときたら、カシスより1枚も2枚も上手だったらしい。
怒りのあまり猫が毛を逆立てるようにして鼻息を荒くしているカシスの眼前で、唐突にシャッターが閉じられた。
「え……?」
カシスは眸を真ん丸にする。
驚きに怒りを忘れたカシスの耳に、ルナの冷めた声がさらりと落ちてきた。
「キャプテンは貨物室にいるわ」
「―――貨物……?」
貨物室へ行くには第5デッキのすぐ脇にある搬送用シャフトを使うルートが最も早い。
ようやくカシスにも状況が飲み込めた。
つまり眸の前のシャッターに、1番の近道を封じられたわけだ。
まったく、まったく、まったく……!
なんて根性曲がりなキイ・ブレインなんだ!!
「いつか船ごとプレスして、鉄屑にしてやるからなッ」
激しく吠え立て踵を返す。
ここからだと第3デッキを通りライブラリーの傍にあるシャフトを使うか、第1デッキをブリッジの方向へ抜けてコンピュータ・ルームの先にある階段を使うしかない。どちらもかなりの遠回りとなる。
カシスは迷わずライブラリーの方向を目指した。シャフトを使う方がいくらか近道になるのだ。
だが、駆け出したはずの脚がピタリと止まる。
急な警報。けたたましく鳴る警告音に、無機的なルナの声が重なる。
『敵機確認、敵機確認。射程圏内到達まで残り6分』
彼らにとっての敵、ならば……!
「帝国の船?」
カシスは瞬間躊躇した。
どうすればいいのか分からない。
待ちに待った時が訪れたのだ。戸惑う必要など、どこにもないはずなのに。
「そうだ、ライブラリーへ……!」
ライブラリーからの通信を試みるか?
しかしルナティスの通信設備は、現在かなり不安定なはずだ。通信コードが極端に異なる帝国の航宙船へ、簡単に繋がるとも思えない。
だったら今は……。
「ブリッジへ行く!」
きっとなにか自分にできることがあるはずだ。
カシスは向きを変え、第1デッキを抜けた先にあるブリッジを目指し、再び駆け出した。
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