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第3章 闇よりも黒き淵  *13*

 ふとカシスは顔を上げた。  背が奇妙にざわつく。  予感めいたもの。迫りくるなにか。  ―――音が聞こえる。 「…………?」  カシスは虚ろに首を巡らせた。ぼんやり音の正体を探る。  気力が萎えて動く気になれなかった。  危険がある。予感がする。  けれど身体は緩慢にしか動かない。  遅々としてゆっくりと。  のろのろとした仕種で、カシスは微かに聞こえる音を追った。  空気の流れ。気体の流出だろうか。  シューと長引く不気味な音に、カシスは蒼褪めた。 「酸素が……漏れてるのか?」  先ほどの攻撃で外壁が傷ついたためかも知れない。  立ち上がろうとするカシスの足が縺れた。背にしていたコンテナーに寄りかかり、なんとか立ち上がる。  動くことも億劫なカシスの耳に、今日何度目か分からない警告音が届いた。 『酸素濃度低下、クルーは直ちに避難して下さい。繰り返します……』  ルナの声が幾度も危険を告げる。  カシスはよろめきながら出入口へと向かった。シャッター扉に辿り着く。  しかし扉は堅く閉ざされ開かなかった。  扉のすぐ脇にあるパネルを操作するが上手くいかない。手動へと切り替わってくれないのだ。 「ダメだ、開かない……」  カシスは扉に両手を打ちつけた。呼吸が荒くなる。 「ク……ッ」  助けて欲しいと叫ぶことも喚くことも、カシスはしなかった。  どうだっていいのだと思える。  助かろうと助かるまいと、大した違いはない。 「俺ってバカだな…………」  カシスは苦く笑う。  勝手に浮き足立って、つまらない強情ばかり張ってしまった。  海賊船を守るだなんてバカな見栄をきって、役にも立てずこんな処に閉じ込められて。 「もう……終わりか」  密閉された部屋だ。酸素もじきに無くなってしまうだろう。  既にカシスは息苦しさを覚え始めている。 「呆気ないな……」  海賊船の貨物室で死ぬ羽目になろうとは、思いもしなかったけれど。  膝が崩れる。カシスは床に倒れこんだ。  朦朧とする意識の中、カシスは幼い頃を思い出す。  帝国の城でも倉庫に閉じ込められたことがあった。ほんの偶然から扉の鍵がかかり、出られなくなってしまったのだ。  暗闇が怖くてカシスは泣き喚いた。助けて欲しいと何度も叫んだ。  けれど叫びは届かなくて。  丸1日が経過してから、カシスは助け出されたのだ。  運びこまれた自室のベッドで、まだ意識もはっきりしないカシスに、冷たい眸をした側近の男は言ったものだった。 「このように軽率な行動をとられては迷惑です。2度と繰り返されませぬよう」  労わりもなく、無事な姿への喜びもなく、ただ彼は冷ややかにそう言った。  自分が王族として望まれた存在ではないのだと、カシスが思い知った瞬間でもある。 「バカだよな。全然成長してないんだもん」  カシスは幼い口調でごちた。  同じことばかりを繰り返す自分に嫌気がさす。  苦しさに忙しなくなっていた呼吸が、段々に静かなものへと変わっていった。  緩やかに、弱々しいものへと。  これで終わる。全て終わる。  孤独も寂しさも感じなくてすむ。  誰かのためにとおごった考えに、振り回されることもなく。  なにかを望むことも、誰かに望まれることもなく。  夢見ることも、これで終わりだ。 「……母……さま?」  虚ろに霞む意識の中、カシスは懐かしい母親の姿を見た気がした。  美しく鮮やかに浮かぶ少女の姿。 「ル……ナ……」  彼女は優しく穏やかな表情をしていた。いつもカシスを見守ってくれた母親と同じ、慈しみに満ちた眼差しだ。 「ルナ…………」  カシスは微笑んで眸を閉じる。  傍らに跪いたルナが、そっとカシスへと腕を伸ばした。 「カシス、諦めないで」  手の中にカシスの身体を抱きしめる。  ホログラム(立体映像)には有り得ない柔らかな肌の温もりを、掠れる意識の中でカシスは確かに感じていた。

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