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第1話(第1章)

 夜の街に出たのは、初めてだった。  外への出入りは王立学校に行く時だけ。しかも通学中には護衛付きだ。  王宮の中でも作法や剣術の稽古がある。自由に使える時間もなければ、使用人や護衛の目がない場所も無い。  もう、こんな窮屈な生活は嫌だった。 「殿下ー! お戻りください、フィオラート殿下ー!」  どこからか自分を呼ぶ声が聞こえるが、それに応えてはいけない。せっかく何日もかけて警備が薄弱になる時間帯と経路を調べ、鍵がかかる直前の通用門から抜け出したというのに。 (ひとまず、どこかに隠れなければ……)  フィオラートは蝋燭(ロウソク)の外灯が揺らめく街を疾走する。そこは日が沈んでからは人々の喧騒ではなく、ほの暗い静寂が支配していた。  陽が昇ってから沈むまでに教会の鐘が十二回鳴らされるのだが、最後の鐘が鳴ってからもうだいぶ時間が経っている。  追っ手はどれほどいるのだろうか。一国の王子が行方をくらませているのだ、相当な数に違いない。いやそれとも、大事(おおごと)にしたくないが故に、少数精鋭で捜索している可能性もある。いずれにせよ、今は逃げ切る方法を考えるのが先決だ。 (王宮から出られたは良いが、先のことを全く考えてなかったな)  しっかり計画を立てたのに、大切なところを失念していた。逃げ出すことで頭が一杯だったので、今日の寝床も明日の食料も当てが無い。だからといってあっさりと王宮に戻る訳にもいかず、目先の暗闇に向かって走り続けた。 (どうせなら街の造りも調べてくんだった。これでは自分の居場所すら分からぬ)  どこへ行くとも知れず、曲がり角にさしかかった時だ。 「うわ!?」 「! いってぇー」  目の前に突如として誰かが飛び出してきて、避けきれずに衝突してしまった。フィオラートはその反動で道路に腰を打ちつけてしまう。  見るとぶつかったのは少年で、フィオラートと同じく地面に尻餅をついていた。随分みすぼらしい格好をして、手には何かが入った紙袋を握りしめている。 「済まない、怪我はないか?」 「ったく危ねーな。気をつけ――」 「待てー、このクソガキがー!」  不機嫌そうな少年を遮って、すぐ近くから低い怒鳴り声が聞こえてきた。 「其方(そなた)も追われているのか?」 「ああそうだよ。あんたなんかに構ってる暇は――」 「私に良い考えがある。そこに隠れていろ」 「はあ!? ちょ、おい!」  この、ほんの数秒である良案が閃いた。そこで早速少年の手を引いて立ち上がらせると、適当な路地裏に押し込んだ。 「おいあんた、この辺でガキを見なかったか? 俺のパンが盗まれたんだ」  すぐにやって来た身体(からだ)の大きな男性は、鬼のような形相をしていた。あの少年が持っていた紙袋の中身は食料だったらしい。そして、それは男性にとって貴重な食べ物のはずだ。  少年ほどではないが彼もあちこちがすり切れた服を着ていて、ズボンには泥汚れが目立つ。 「子供なら見ておらぬが……其方、食べるものが無いのか?」 「まあな。あんたみたいに裕福じゃないんでな」  男性はフィオラートの、ほつれ一つない服を見て言う。街の人間に溶け込めるよう派手な装飾品は控えて耳飾り(ピアス)と指輪しか付けていないが、持ち前の気品は隠せないようだ。 「では、これで其方が好きなものを買うが良い」  フィオラートは衣嚢(ポケット)から金貨を三枚取り出して男性の手に握らせる。彼のような労働者階級の者ならば、金貨一枚で一ヶ月は暮らせるはずだ。 「フィオラート殿下ー! どちらにおいでですかー」  その時、またしてもけたたましい声が聞こえてきた。さっきよりも近付いている。 「くっ、見つかるのも時間の問題か」 「あ、あんた……フィオラートって、まさか」  どうやら男性にも気付かれてしまったらしい。第一、陽が落ちてからフィオラートのようないかにも高貴な青年が出歩いている時点でおかしいのだ。  金貨を握らせた男性の手を取ると、念を押すように畳みかける。 「良いか、其方は何も見ておらぬ。ここには誰も居なかったし、金貨はただ落ちていただけだ」 「は……はい」 「恩に着る。それではな」  未だ動揺している男性を置いて、フィオラートも少年を押し込んだ路地裏に身を隠す。煉瓦(レンガ)造りの住居の隙間を抜けて奥に進むと、少年が腕を組んで壁にもたれかかっていた。

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