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第2話
「あのおっさんは?」
「見逃してもらえたぞ」
「何でオレを助けたんだ。あんたみたいな貴族のぼんぼんは、オレらみたいな人間には興味ないだろ?」
さすがにこの少年まではフィオラートの正体に気付いてないようだ。
「興味がない訳ではないが……其方、あまり見ない顔だな」
先程は急いでいたのでじっくりと彼の姿を見ている余裕はなかったが、今は夜空から降り注ぐ月光と無数の星の煌 めきが、互いの顔をぼんやりと浮かび上がらせている。
「黒髪に焦げ茶の瞳とは珍しい。其方、異国の者か?」
「ふざけんな! オレは正真正銘、生まれも育ちもこのラジオーグ王国だ!」
触れてはいけない話題だったのか、少年が声を荒らげる。
「す、済まない。気を悪くしたのなら詫 びを言う」
「チッ」
少年は舌打ちをすると、眉間にしわを寄せてフィオラートを見上げてきた。つぎはぎだらけの服は色がくすんでいたが、彼の大きな眼はまだ無垢 な子供のそれだった。
手入れは行き届いてないけれど、柔らかい月の光など吸い取ってしまいそうな漆黒の髪が、背伸びをする少年の動きに合わせて揺らめく。
「じゃああんたは何が目的だ? オレみたいな貧乏人に見返りを求めたところで、大したものは期待出来ねーぞ」
「ほう……」
こちらの考えは見抜かれているらしい。それならば話が早い、とフィオラートは目を細めた。
「其方の言う通りだ。私には目的があるから恩を売った」
「何だよ。言ってみろ」
この少年とぶつかった時から、もうフィオラートの戦略は始まっていた。
ありきたりな表現だが、これは運命かもしれない、思った。フィオラートが王宮の追跡から逃げ切れるかどうかは、この少年にかかっている。
「私は訳あって追われている身なのだ。そこで、其方には私が隠れられる場所を提供してほしい」
姿をくらませるには地位のある家では駄目だ。追っ手側も、さっきまで華やかな宮殿で暮らしていた王子が下流階級の住宅に身を寄せるなど、夢にも思わないだろう。
少年には貸しがある。断られはしないと思うが……。
「はあ!? あんた何やらかしたんだよ。罪人を匿 なんてごめんだ」
「ち、違う! 私は罪を犯したのでは――」
(罪を犯したのではなく……何だ? 素直に王宮から逃げてきたと打ち明けるのか?)
正体が知れたら余計に庇ってもらうのが難しくなるだろう。むしろ、行方不明の王子を連れ戻したという報酬目当てで王宮に突き出されないとも限らない。
「――わ、私はただの貴族だ。父親と喧嘩をして、家出した」
この台詞には、嘘と真実が織り交ぜられている。
もちろん貴族であることは嘘だが、家出をしたのは事実だ。父親と喧嘩、というのも嘘に近い。ラジオーグの国王である父とは、実の息子であるフィオラートでさえ謁見(えっけん)できる日は稀だ。喧嘩どころか話す機会すらない
果たして、少年はフィオラートを受け容れてくれるだろうか。
「うーん……、まあ不本意だけど、あんたに借りを作ったのは確かだしな。それで、何日泊めてほしいんだ?」
「私の気が済むまで」
「なっ、ふざけんなよ! たかが貴族の家出に、いつまでも構ってられるか」
少年の言うことはもっともだ。いくら貸しがあるとはいえ、長い間居られては割に合わない。
だがフィオラートの決意は固く、このくらいの障害では揺らがなかった。
「私は出来るだけ長く身を隠したい。其方の家で世話になる間、私にやれる事があれば何でも引き受けよう。だから、其方のところに置いてはくれないか」
「…………」
少年は顎に手を当てて考え込むと、そのまま動かなくなってしまった。目を伏せて、どこか一点をじっと見つめている。
風の音すら届かない路地裏にしばしの静寂が訪れた。フィオラートは息をするのも忘れて少年の返事を待つ。
「――仕方ない。取りあえずオレの家までは連れてってやる。ただし、交渉はあんたがしろよ」
「交渉?」
「オレの家は兄貴の家だ。あんたをどうするのかは兄貴が決める」
「承知した。其方の兄が家主なのだな。ならば、私からきちんと話をさせてもらおう」
どうやら説得できたようだ。第一関門突破というところか。
「あんた、名前は?」
「私は、フィオラ――……」
(いや待て。名を明かすのは避けた方が良いかもしれないな)
普段なら自分の名を知らぬ者はいないから、わざわざ名乗る必要はない。相手側に自己紹介される場合が殆どだ。
この少年は知らなくても、もし彼の近所に王子の名を知る者がいれば家出生活の妨げになってしまう。
「おいどうした? フィオって言ったか?」
「ああそうだ。私の名は、フィオだ」
――私は王宮を捨てた。あそこにもうフィオラートは居ない。私は今日から、フィオとして生きるのだ――
追っ手に見つからなければ永遠に帰らないつもりだ。とうに覚悟は出来ている。自分の好きなように生きたいから。
だからフィオラート……否、フィオは自由を得るために、身分も、家族も、家臣も、名前も手放した。
「ふーん、フィオねぇ。オレはアカネだ」
「アカネ? 珍しい名だな」
「そんなことどうだっていいだろ」
少年は、ラジオーグではまず聞かない名前だった。しかし、またさっきのように彼の気を悪くしかねないので黙っておく。
「じゃあ行くぞフィオ。遅れないでついてこい」
そう言ってアカネは、ここから抜け出すべくフィオに背中を向ける。
「あと一つ。何を見ても、文句言うなよ」
「もちろんだ。其方の厚意、恩に着るぞ」
アカネが走り出したのに合わせて、フィオも地面を蹴り出した。
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