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第12話 スタートライン

 春が来て、相楽は大学を卒業した。立花が想像していたような芸術家にはならず、とある製作所で働き始めた。 本人曰く、卒業制作の成績は、可もなく不可もなし。すぐに作品制作だけで食べていけるような身分には、程遠いのだそうだ。 その割に、表情は明るかった。 「捨てる神あれば拾う神ありってホントだったよ」 と笑って、就職が決まった経緯を立花に話して聞かせた。 卒業制作展を見に来た人間の中に一人、相楽の作品を気に入ったという人がいた。正確には、技術を採用してくれたのだそうだ。鋳物作品の製作所の経営し、自分でも制作をしている所長を名乗る人物は、相楽の作品の作家性には興味はそそられなかったが、堅実で丁寧な仕事ぶりを大いに買った。 卒業ぎりぎりで就職先もなかった相楽には、渡りに船だ。 「でも、好きなものは作れないんだろ?」 立花は、心配そうに尋ねた。だがその心配も、半分程度ですみそうだ。 「最初は注文通りの小さなものを作って、そのうちお客さんと相談しながら出来上がりを決めていくような仕事をしていくんだって。そのうち、本当に俺とお客さんとで作るようになったら、できあがった作品に自分の名前を入れてもいいんだって!」 ああ、それなら。 立花は、安堵の息を吐いた。それならば、相楽はきっと作り続けてくれるだろう。仕事の合間に、あのカナヘビや暖かい手のひらを越えるような美しいものを。 こうして、相楽は春から新しい生活を始めた。 拠点を、アパートから立花の古家にうつして。 ☆  秋のあの日に、立花は初めて相楽に身をあづけた。誰かと素肌を合わせるなんて、思いもしなかったのに。 こいつなら信じられる そう思ったら、後は意外と早かった。自分でも少し呆れるくらいに。 それから、真冬が来て春がきた。 相楽が大学を卒業するまでは、アパートと大学の生き返りの途中で立ち寄っていた。まるで妻問ひ婚だなと、ひっそり笑ったこともある。 文(ふみ)を送るように「今日行ってもいいか」とメールで問い、暗くなってからそっと入ってくる。違うのは、玄関からくることと一緒に飯を食べることか。 帰りしなには、別れを惜しんで必ずまた来るからとかき口説く。 事前に約束をしろ、その約束を守れと最初に立花が言ったから、相楽はそれをきっちり守った。そうすることで、立花の心と体をすっかりほぐしてしまった。  あれは、真冬だったろうか。それとも春が近かったろうか。 まだ、相楽が立花の家に通っていた頃。ずっとすぐ近くをかすめるようにしてきた行為が、完全な形をとった。つまりは、相楽を受け入れることができたのだ。  しっかりと暖房を聞かせた部屋で、広げた布団の上で裸の二人は転がっていた。 小さな声でおしゃべりしながら、ちゅ、ちゅ、とキスを繰り返して、伸ばした腕がだんだんときわどい所を撫でるようになって、そうして、二人はぴったりと寄り添う。 立花にリラックスしてもらうために始めた事だったはずだけれど、慣れた二人には気恥ずかしさをごまかすためのワンクッションのようになっている。 「う、ん、ん、お前、ちょっとしつこいって、何でそこばっかり」 「だって、乳首、繋がってるんでしょ。気持ちよくなれそうじゃない?」 「だから、だろ。バカ、あ、んんんん」 話の途中で、乳首をきゅっと吸われて、恥ずかしくも立花の股間はぐっと持ち上がる。 本当にどうしてなんだろうと思う。実際には、それほど乳首が気持ちいいわけでもないんじゃないか。乳首を吸われているという状況が恥ずかしいだけなんじゃないかなどと、答えのでない問いを頭の中でぐるぐるまわしているうちに、すっかり緩んだ膝をやすやすと割られてしまう。 「あ、ん、ん、そお、れ、」 「いい?」 ジェルをたっぷり手にとった相楽が、内腿をぬらりと撫でて会陰をなぞる。ぞくぞくと背筋が震えて答えられない。ただ腰ががくがくと動くのが恥ずかしくて、結局相楽にしがみついてしまう。 そうすれば、自分と相楽の腹に挟まれたものが熱く硬くなっているのも同時にばれて、もうどうしていいかわからない。 「そのまま、くっついててね」 相楽は、立花の返事を待たずにヒクヒクと動く入り口に指を差し入れていく。 浅い場所で何度も往復させて、ぐるりと入り口を開くように回してまた差し込む。そのまま指を二本三本と増やしていけば、立花は自分から足を大きく広げてたまらないと吐息を漏らす。 「ふっあ、あ、や、ああ、んん、ん、」 粘着質な音が繰り返されるのにも感じるのか、立花の動きが大きくなる。二人の腹は、互いの塊から延々と滴りおちる液体でびっしょり濡れている。 「ん、な、さが、ら、も、これ、や、あああ、もっと」 「もっと?違うのが、いい?」 「もっと、んんん、太い、の、それ、」 その声を聴いた瞬間、相楽の体は発熱した。かっと燃え上がりそうなほどに。 そして、震える息をゆっくり吐いて、指を抜いた。 「あ、ああ、ん」 切なそうに声をあげる人を見下ろして、相楽は自分の中の衝動と綱引きをするはめにおちいった。 今すぐつっこみたい。 でも、そんな事はできない。 立花と自分にゴムを付ける。立花の体の位置を整える。ジェルを追加する。 そうして、深く息を吐いてから耳元でささやいた。 「入れますよ?」 わずかに震える小さな声に、立花はぼんやりしたまま頷いた。 相楽は、一度ぎゅっと目を瞑り、それから立花の片足を抱え上げた。 目の前には、赤くてらりと光る入り口があって、無意識に蠢いている。そこに熱くなりすぎた先端を押し当てると、一瞬きゅっと縮こまる。 内腿をゆっくり撫でて膝にキスを落とすと、強張りが解け始めた。それに合わせて、相楽はずずっと自分を差し入れた。 「んん!あ、あ、は、あ、あああ」 一瞬の衝撃を受けてすぐ、立花は息を吐く。その呼吸にあわせて相楽は、少しづつ自分を押し進めていく。 そこは、熱くて、狭くて、柔らかくて、でも強くて。誰にでもあるのに、まるで知らない場所で、破けてしまわないかと心配なのに、ぐっと強く押し込みたくなる。 ここをどんな風にしたら、この人は啼いてくれるのか。 好奇心と淫らな情熱と単純な喜びと。相楽は、体が熱くてたまらない。 「うごか、ねぇの?」 「や、あの、大丈夫、ですか?」 「よく、わかんねぇ、けど、ゆっくりやってくれ」 言葉と言葉の間で、はふっはふっと息を吐いては小さく吸って、立花は違和感を逃しているようだ。さっきまでの気持ち良さに比べたら、やはり妙な感じらしい。 あんなに堅く反り返っていたものも、頭を垂れている。 「うん、ゆっくり」 相楽は、できる限りゆっくり腰を前後させて、少しづつ動く距離を大きくしていった。 立花は、必死で呼吸を合わせて、痛くならないように勤めていたが、ふっと力が抜けた。何かの境目を乗り越えたような。緊張が解けたのだろうか。 すると、相楽のものが楽に奥まで入ってくるようになった。 先端が、内壁を長くこすってどこかわからない場所に触れる。それを繰り返されているうちに、立花の喉から、ただの呼吸以外の音が聞こえるようになってきた。 「ふ、ん、ふ、ん、ん、ん、や、あ、あああ、あ、あ」 「連さん、エロい、可愛い」 「あ、や、あ、あん、あああああ、そ、れ、へん、やめ、やめやめあああああ、」 ずんずんとリズムをつけて腰を振っていると、だんだん立花の体が熱くなって、次第に同じリズムで揺れるようになって、そして、甘い嬌声。 その声に、相楽はがんっとひときわ強く腰を打ち付けた。 それと同時に、立花の中心が白濁を吐き出した。もう、声にならなかった。 膨らんだゴムの先が素肌に貼りついているのをはがすのも、何ともいえずいやらしくて、相楽はまだまだ行けそうな自分を宥めるのに必死になった。 なにせ立花は、気絶したかのように意識を手放してしまったのだから。 ☆  何もない真っ白な場所から、ふいに覚醒した。 ぱちっと目を覚ました立花は、自分の腕を撫でる手の暖かさにすぐに気が付いた。 「今、何時?」 「まだ、11時手前くらい。そんなに時間たってないですよ?」 そう言われて時計を見ようとして、立花は起き上がるのに失敗した。 「え?」 「体、痛いですか?」 「なんか、背中がすっごい疲れてるんだけど」 「あー。多分、明日筋肉痛です。腕、とかも」 「あれで、かー」 恥ずかしいのか、立花は寝転がったまま両手で顔を隠してしまう。赤くなった耳はそのままに。 「で、えーっとおまえは、その、いけたの?」 「はい。あの、すっごい良かったです」 「雑誌のマニュアルみたいなこと、言うんじゃないよ」 莫迦だなぁと立花はますます顔を隠して背中を向けてしまう。そのむき出しの肩と二の腕を、相楽はゆっくりと撫でおろす。 「連さん」 「ん?」 「今、描いてもいいですか?」 「何を?」 「この、連さんの背中です」 「俺は、このまま寝てたらいいの?だったらどうぞ」 「ほんとに?」 「モデルと作家が寝た後にスケッチなんて、フランス映画みたいじゃね?」 「恋人のきれいな姿を描きたいんですよ。恋人の」 「そこ、そんな強調すんな」 憎まれ口をたたいていても、立花はそのままじっとしている。動けないし、動きたくないし、自分の背中も見てみたい。 自分の仕事を見つめてきたあの視線を、裸の背中に感じてみたい。 ─── それで勃ったりしてな。 程なくして、鉛筆の走る音が聞こえてきた。それは、存外落ち着いた音で、視線は痛いというよりは暖かい。 妙な気分は落ち着いて、すっかりただの体、肉と骨の塊としてそこにいることに集中できた。 そのまま、すっと眠気が押し寄せた時、肩に手が触れた。 「終った?」 「はい」 相楽の手を借りて抱き起してもらい、手渡されたスケッチブックを見た。 そこには、まぎれもない男の背中とぐっとつきでた肩甲骨がある。なのに、上に伸びた首筋と耳たぶに、妙な色気があった。 「見ます?」 相楽の問いかけに、え?と振り返ろうとした目の前で、スケッチブックのページがめくられた。 「ああ」 そこには、立花の横顔が用紙いっぱいに描かれている。もう一枚めくると、正面を少し外した顔。もう一枚、もう一枚。 幾つもの自分の顔は、まるで自分じゃないように思えるほど、端正だ。 立花は、絵の顔を指でなぞり、自分の顎をすいっとなぜた。 「きれいでしょ?連さん」 「ばーか。でも、お前、俺んこと好きなんだな」 「そうですよ?」 「莫迦ついでに、うちに来るか」 「はい?」 「そんな簡単にはいかないか」 「いやいやいや、ちょっと待ってください。いいの?ほんとに?」 相楽が、スケッチブックを取り上げるようにして、立花と正面で向かい合う。 「ね、ほんとに?俺、ここに住んでいいの?連さんとずっと一緒にいていいの?」 「お前が飽きるまでな」 あんまり相楽が嬉しそうなので、立花は目を合わせられず、やっぱり少し素直じゃない言い方をする。 「ずーっといますよ?」 にやりと笑ってみせる相楽は、腹は決まっているとばかりに立花の視線を再度捕まえる。 「どうだかな。でも、居ろよ。俺んとこ。でさ、また描けよ」 「はい。生きてる限り」 「大げさなんだよ」 くすくすと笑いあう二人の額が触れて、鼻先がかすめて、そのまま唇を重ねあう。 ふわふわとクリームのように柔らかくて甘くって。 ぞくぞくと背中を駆け上がる刺激が、スパイスみたいでくせになる。 「連さん、好きです」 「ん」 深夜を迎えようとする寒い夜、二人の影はまた一つになって沈んでいった。 ☆  そしてまた、梅雨がきた。 「で、今日は何焼くの?」 そう言いながらキッチンをのぞき込むと、そこには小麦粉、卵、砂糖、などお馴染みの面々と一緒に大きめの四角い型が並んでいる。 喫茶シャロンの品ぞろえは、最近すっかり様変わりした。立花がやる気を出したのを幸いに、有実子も商売っ気をだしたのである。つまり、はやりのスイーツをどんどん出して売上をあげようという作戦である。 「台湾のカステラだってさ。新しいメニューを始める時には、それなりに練習が必要だって言ってるのに。有実ちゃん、ちっとも聞いてないんだよ。ちょっと前には、バスク風チーズケーキ、その前はスフレパンケーキ、固いプリン、柔らかいプリン。どれも粉と卵を混ぜてオーブンで焼くんだから、一緒でしょ?だって。一緒じゃねぇっつーの」 ぶつぶつ文句を言いながら、立花の手はどんどん粉を計って混ぜていく。メレンゲもあっという間に角が立つ。 「しかもさ、今までずっと好きなものばっかり作ってきたんだから、そろそろいいでしょ、だって。まぁ、それを言われちゃ何も言いかえせねぇんだけどさぁ」 段々とトーンダウンした声に合わせるように、大きな作業は終わり、洗い物がシンクに重ねられていく。 相楽は、愚痴のような近況報告のような話を聞きながら、立花の作ったおやつを朝ごはん代わりに食べている。今朝は、ベイクドチーズケーキヨーグルトたっぷりバージョンにアンズのジャムを添えて。 最後の一口をと、ケーキにフォークを指したところで、背後でバシャンと大きな水音がした。相楽は、跳ねるように振り返って、窓の外を見た。人影はない。バケツの水をかけたような跡が残っているから、車が水たまりを跳ね上げたのかもしれない。 「大丈夫だよ。誰もいない」 背後から少し呆れるような声がする。 ─── 連さんは、俺のことを心配性だと思ってるっぽいんだよね。 「うん。店の窓に悪さされてないかと思って」 「だから、そんな奴いるわけないだろ?」 今度こそ本当に呆れたと、立花は口をへの字に曲げている。 果たしてそうだろうか。現に自分はその窓の外からあなたを見つけたのに。 伺うようにキッチンに立つ男を見上げるけれど、そこには何の裏も影もない。ただ、まっすぐ自分を信じてくれていると信じられる。 「連さん、今日もかっこいいね」 「はいはい。それ食ったら、仕事いけよ」 「はーい」 軽口で揶揄われたって平気だと涼しい顔をしている立花に、相楽は精一杯の笑顔を見せる。 そのまま立ち上がって店の中をぐるりと見渡せば、あちこちにひっそりと自分の作品が飾られている。植木鉢のすぐ傍にはカナヘビが。花瓶の縁には、蛙が。彼らにも、がんばれと言われている気がする。 「よっしゃ。今日もがんばりますよ!」 「傘、持ってけよ」 まるで兄のように、立花がぼそりと呟いているけれど、相楽はたいして聞いていない。もう、今日の仕事が頭の中を占領しはじめている。 「行ってきます!」 宣言するようにそう言うと、相楽はフードをかぶって元気よく店を出て行った。 背後に「傘!」という大声を聴きながら。 ─ 終 ─

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