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第5話

 【2】  翌日の昼過ぎに自宅へ帰ってきた。  帰りの道中にあるダイナーで朝食を摂りつつ、郊外のショッピングモールがオープンするまで時間を潰し、ヨキのチャイルドシートや着替え、玩具や絵本、子供用の食器、当面必要なものを買いそろえ、ヨキの好みそうな食料などの買い出しも済ませてから帰宅した。  自宅は、新市街地の川沿いの住宅街にある。  ナツカゲの持ち家で、地下一階と地上二階の三階建ての一軒家だ。  家の外観や周辺の景観は、新市街地にしては珍しく、古めかしい。自宅を含め、この一帯は百年を超える築年数の建造物ばかりで、赤茶けたレンガ造りの建物が密集している。自然も多く、高層ビルなどはない。物静かな風情があって、川沿いからの眺めはアオシもナツカゲも気に入っていた。  自宅は、川に面した正面玄関のほかに勝手口がある。自宅横の小路を入った右手がその勝手口で、それを横目に通り過ぎてまっすぐ小路を抜けると、裏庭や駐車場に回れる構造になっていた。川沿いの通りとは反対の、自宅の裏が庭と駐車スペースだ。そこに、いま乗って帰ってきた車と、アオシが多用するバイクを一台停めている。  ナツカゲは、アオシがバイクに乗るのを危ないと反対するが、このイルミナシティでは小回りのきくバイクが便利なので、アオシは重用していた。  裏庭は、アオシもナツカゲもどちらも手入れしないので植物は植えていない。この家が建てられた時の石畳のままだ。リノベーションは最低限に抑え、昔ながらの装いを大切にしている。こぢんまりとしていて、閑静な住宅街という雰囲気も相まって、仕事で疲れた心身を落ち着けるには最適の土地柄だった。 「ヨキ、着いたぞ」  小路のなかほどにある勝手口で車を停めて、荷物とヨキを下ろし、アオシが続く。 「ここ、おうち?」 「そう、自宅兼仕事の事務所」  アオシがヨキに家を案内する間に、ナツカゲは荷物を家へ運び入れる。  ヨキも、買ってもらったばかりの自分の絵本を大事そうに抱えていた。 「地下には、食糧庫とか仕事道具の倉庫とか、川に停めてある船に乗る地下通路がある。鍵かかってるけど、地下は危ないから入る時は俺かナツカゲさんと一緒な?……で、一階はメシ食うとこ、のんびりするとこ、台所とバスルームとランドリールーム」 「ヨキはどこに寝るの?」 「あー、そうだな~……二階の主寝室は物置になってるし、使ってない部屋を掃除するにしてもちょっと時間かかるから、それまでは俺の部屋か、ナツカゲさんの部屋だな」 「アオシとナツカゲは一緒のお布団じゃないの?」 「……一緒のお布団じゃないな……」 「どうして?」 「どうしてって……恋人じゃないし、伴侶じゃないし、つがいじゃないから」 「そっかぁ」 「それより、屋上にテラスがあるんだけどさ……」 「ヨキ、屋上すき! ひなたぼっこしたり、みんなで毛づくろいしたり、おひさまぽかぽかの時にお弁当食べたり、夜、おほしさま見たりするの! アオシもナツカゲとする?」 「しないなぁ」 「そっかぁ……ヨキのおうちはするんだよ」 「仲良しな家族だな」  アオシは、楽しそうに家族のことを語るヨキの頭を撫でる。  アオシとナツカゲは、恋人でなければ伴侶でもなく、つがいでもなく、ましてや家族でもない。同じ屋根の下に暮らして六年になるが、ひなたぼっこはおろか、一緒にのんびりしたこともないし、食事すら別々のことが多い。  お互いに、好きなように生活して、好きなように生きている。  仕事にかんしては息も合うし、これで上手くいっている。  この関係性になるまでに、随分と時間を要した。  出会い頭の最悪な状態から、やっとこの距離感に落ち着くことができた。  アオシは、これ以上は望まないし、望めない。  それになにより、やっと落ち着いてきたこの関係を乱したくないし、発展させることも望んでいない。アオシはこれで充分だった。 「おじゃまします」  お行儀よく挨拶して、ヨキはリビングへ足を踏み入れる。  この家は、最初、ナツカゲが一人暮らしをしていたから、基本的には獣人の体格にあわせた仕様になっている。  人間用の建物よりもサイズが大きくて、間取りも広々としている。窓も大きいし、食器や電化製品、風呂、ソファやダイニングセット、ベッドももちろん獣人サイズだ。  天井が高く、間口は広く、一部屋の区分が獣人用で、人間とは別規格になる。  そこに、あとからアオシが転がり込んできたから、ナツカゲが日曜大工で手直しして、人間のアオシでも不便なく暮らせるようにしてくれていた。  そういった事情もあってか、この家は、獣人と人間の親が暮らしているヨキの家とよく似た雰囲気があるらしい。  ヨキは、「ヨキのおうちもね、パパの靴とかね、椅子とかね、おっきいんだよ!」と目を輝かせて教えてくれた。 「ヨキ、手洗いうがいするなら洗面所はこっち。腹空いてるか? ……どうした?」  ヨキがきょろきょろするので、アオシはヨキの目線にしゃがみこみ、ヨキと同じものを見る。 「ナツカゲは?」 「あー……自分の部屋に行ったんじゃないか?」  アオシがヨキに部屋を案内する間に、ナツカゲは買い出しの荷物などを片づけてくれて、自室へ入ったらしい。  昨夜の仕事を反故にしてしまったので、その件についてナツカゲから依頼主へ連絡し、処理してくれているのだろう。ついでに、ヨキについての情報収集も始めているはずだ。  こういう時、ナツカゲは仕事が速い。 「おかえり、アオシ」  ヨキがアオシをぎゅっと抱きしめて、ちゅ、と頬にキスする。 「……ただいま?」 「おしごとおつかれさまです。……アオシも、ヨキにおかえりって言って?」 「あぁ、うん、そうだな、おかえり、ヨキ」  ヨキがしてくれたように、抱きしめて頬にキスする。  久々に、誰かと「ただいま」や「おかえり」と声をかけあい、ハグをした。  アオシとナツカゲはそういう言葉をかけあうことはない。同じ仕事をしているから、帰宅も大体同じくらいになるし、改めて、「おつかれさん」と労うこともない。  ハグなんて、生まれてこの方、一度もしたことがないし、それぞれが家に入るなり無言で別々に行動する。 アオシとナツカゲは、日常を過ごす部屋や寝室もすべて分けていて、同じ空間でほとんど一緒に過ごさない。バスルームも各々の部屋にあるから、かろうじて共用しているのはキッチンくらいのものだ。 「ヨキの家は、ただいまとおかえりって声かけあったり、おつかれさまって言ってハグするんだな」 「うん! 家族みんなでぎゅーって固まって、いっこの群れになるの」 「そっか、家族で一個の群れか、いいな」  そういう家族のもとで育ったヨキからすると、アオシとナツカゲは仲が悪いように見えるのかもしれない。  ナツカゲがすぐに部屋へ入ってしまったことも、アオシからすれば、ヨキの家族を捜す為や、昨夜の事後処理の為だと分かるが、ヨキにしてみれば素っ気なく映り、個人的行動が目立って、愛情も思いやりも会話もなく、寒々しく感じるのかもしれない。  アオシとナツカゲは、二人ともいい年をした大人で、生活習慣もバラバラで、人間と狼獣人で、仕事以外に接点はないし、共通の趣味もない。互いにあまり関心を持たずに生活しているのは確かだ。  ……というよりも、アオシがナツカゲを遠ざけている。それを察して、ナツカゲも仕事以外ではあまりアオシに近寄らないように配慮してくれている。それが、二人の関係を表す正しい表現だ。  アオシにも、ナツカゲにも、過去はある。  二人とも、あまり良い家庭環境で育っていない。  金銭的に困窮したことはないし、空腹に飢えたこともないし、どちらかというと、なに不自由なく生活してきたが、家族と他愛ない話をしたり、ただいまやおかえりと声をかけあったり、ハグをしない環境で育ってきたのは事実だ。  アオシも、ナツカゲも、愛情表現に乏しいとアオシは思っている。  世間話もほとんどしない。  仕事以外では相談事もしない。  仕事の収入は、一旦、会社の口座に入って、ナツカゲが管理し、そこからアオシが給料をもらっている。給料から、家賃と水道光熱費、保険料や税金を引いてもらって、食費や個人にかかるものは自分で出している。  経理や保険、税金関係の難しいことは、ぜんぶナツカゲが処理している。ナツカゲに任せておけば間違いがないし、そもそも、会社はナツカゲ名義だから、アオシには口出しする権利がない。  アオシは、あくまでもこの家の間借り人であり、会社の雇われ人だ。  ナツカゲと対等な関係ではない。  それは、生まれた時から決まっていることだ。  だから、ヨキの家とは、きっと正反対なのだろう。  アオシとナツカゲのあり方は、幼いヨキにしてみれば、「自分のせいで二人は仲が悪いの?」と狼狽えてしまうような、そんな家族観に見えるのだろう。  そんなふうに不安を感じとってしまうのだろう。 「俺とナツカゲさんはこれで普通だから。……っと、泣くなよ。ほら、昨日の晩からなにも食ってないんだろ? なんか食うぞ。それから、ちょっと昼寝しろ」 「ん」  ぐしゅぐしゅ。涙が溢れそうな両目を小さな手で拭って、頷く。  こういう時には抱きしめてやればいいのだろうが、アオシはこの小さな生き物をどう抱きしめればいいのか分からず、親が子に与えるような優しい言葉や話し方も分からず、しゃくりあげるヨキの隣にじっと寄り添うしかできない。  こればかりは、どんな資格をとっても、たくさんの子供と接してきても、どれだけ勉強しても、いつも難しくて、上手にできなくて、ナツカゲに頼ることが多かった。  ヨキはこんなに小さいのに、知らない大人の、それも、会話もほとんどない静かな家に連れてこられて不憫だ。一刻も早く家族を見つけよう。改めてアオシはそう思った。

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