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第1話

ガッシャーン! 本来、静穏であるべき病室内に、耳をつんざくような派手な音が響き渡った。 「あ。す、すみません…」 回診中、注射器やアルコール綿が乗ったトレイに肘を突っかけ、ついうっかり落としてしまった山岡が、オロオロと頭を下げる。 「またですか、山岡先生。もう少し気をつけて下さいよ…」 はぁっ、と溜息をついたのは、バイタルや処置等の入力のためのパソコンの乗った、ナーシングカートを押しながらついて歩いていた看護師だ。 「す、すみません…」 床に散らばってしまった器具を拾おうと手を伸ばす山岡を、看護師が制止する。 「私がやります。新しいものに代えてくるので、先生は回診を続けていて下さい」 言うが早いか、手早く器具を拾い集めた看護師が、そのまま病室を出て行った。 「あ、う…。はぃ」 すでにいない看護師に、かなり遅れた山岡の返事が虚しく病室の空気に消えていく。 「ちょっと先生、大丈夫ですかぁ?」 とても不安そうな顔を向ける患者に、のそりと頷いて、山岡は置き去りにされたパソコンに手を伸ばした。 「あ~、もう信じられない」 「どうしたの~?お疲れじゃん」 ファイルやカルテ、パソコンに筆記用具、壁際にはナースコールの統括機に、様々な医療器具。 雑然としたナースステーション内で、看護師たちがたわいのない雑談を交わしていた。 「ダメ岡よ、ダメ岡。今日あたし、回診のお付きだったんだけどさ~」 「うわ、ついてないね」 「ほんっと!処置道具は落とすし、診察は遅いし。ボソボソ何言ってるかわかんないし、患者はいちいちあたしに聞き直してくるし!普段の倍疲れるし、時間かかるし。なんなのよ…」 「わかるぅ。ダメ岡と担当なった日、朝からブルー入るよね~」 キャッキャとしゃべっている看護師たちの話は、ナースステーションの前の廊下にまで聞こえている。 運悪く、たまたまナースステーションに来ようとしていた山岡は、ちょうどナースステーションからの死角になっている廊下の角で、ばっちり話を聞いてしまい、出ていくに行けなくなっていた。 「あららぁ」 不意に、クスッと笑う声が、山岡の後ろに湧いた。 パッと振り返った山岡は、そこに長身の白衣の男の姿を見つけた。 「あ、日下部先生…」 モデルか俳優かと思われるほど整った顔立ちに加え、スタイルも抜群。医者としての腕もよく、頭も性格もいい。 ここ消化器外科のエースで、看護師たちにもモテまくる医師、日下部千洋(くさかべ ちひろ)だ。 「クスクス、山岡先生。あんなの、気にしたら駄目ですよ。彼女たちはただのストレス解消に悪口を言いたいだけなんですから」 大丈夫、と山岡の肩を軽く叩いた日下部から、山岡は視線を逸らして俯いてしまう。 その動作につられて、サラサラの長めの黒髪が、目の半分くらいまでを隠した。 その下に掛けている眼鏡がまた、山岡の表情をさらにわかりにくくさせている。 「でもオレ、本当に…」 「ほら、顔を上げて下さい。大丈夫ですよ、あなたの腕がいいことは、俺が知っていますから」 「いえ、オレなんか…」 「ほらほら。ナースステーションに用事でしょう?行きましょ」 俯いてモソモソ言っている山岡の背を押して、日下部は歩き出してしまった。 「……」 ひょこりと廊下の陰から姿を見せた山岡に、看護師たちの雑談が止まる。 その後ろから日下部が姿を見せれば、途端に目が輝く。 「あっ、日下部先生!」 「あ~、日下部先生。ちょうど良かったです、この点滴の指示でお聞きしたいことが」 「あっ、私も、私も。この患者さんなんですけどね…」 山岡と並んでナースステーションに入った日下部の方に、一気に押し寄せる看護師たち。 徐々に隅の方に追いやられてしまった山岡が、身を小さくして端の方のデスクにそっとつく。 誰もそちらに注意を払わない中、自分で必要なカルテを取り出し、無言で仕事を始めていった。 サラサラとカルテを書き込み終わり、山岡は黙って席を立つ。 入り口へ向かう途中では、相変わらず看護師たちに囲まれ、あれやこれやと指示を仰がれながら、日下部が対応している。 その横をスルリと通り抜けた山岡には、誰も注意を払わない。 いや、チラリ、と一瞬だけ、日下部の視線は向いたのだが、山岡は気付かずに静かにナースステーションを出て行った。

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