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第4話

「山岡先生、山岡先生~」 「ん~?」 「ほら、ちょっと、せめてリビングまで歩いてください…」 山岡をタクシーから下ろし、なんとか自宅マンションの玄関まで辿り着いた日下部は、玄関に入った途端に蹲って眠りそうになる山岡を引っ張り立たせていた。 「どこですか~?ここ」 「俺の家ですよ。ほら、とりあえずここに座ってください」 小柄とはいえ成人男性。決して軽くはない山岡をどうにかリビングのソファーまで導いた日下部は、そこに山岡を座らせ、対面式になっているキッチンの向こう側に行った。 「ふぅ。まさかあの山岡先生がこんなに酔っ払うなんてね…」 くにゃりとソファーに倒れていく山岡を見ながら、日下部がクスッと笑い声を漏らす。 「はい、山岡先生。お水…」 ミネラルウォーターのペットボトルを冷蔵庫から取り出して戻ってきた日下部は、すでにソファーに沈没している山岡を見て苦笑した。 「あらら。ちょっと山岡先生~?寝るんならベッドに行きましょうよ。眼鏡も外して…」 そっとソファーの前に膝をつき、山岡の顔に手を伸ばす。 掛けっぱなしで眠ってしまった山岡の眼鏡を、スッと外してあげた、その時。 「っ?!」 軽く前髪を退けて、眼鏡を外した山岡の顔。それを視界に捉えた瞬間、日下部は驚きで目を瞠った。 「嘘だろ…?眼鏡取ったら別人とか、漫画かよ…。なんだこの美形…」 スヤスヤと眠る山岡の顔は、普段騒がれている自分の顔を見慣れた日下部から見ても、驚くほどに整った顔立ちをしていた。 「しかも、伊達ね…」 ふと翳して見た眼鏡に、度は入っていなかった。 「ふぅん…」 面白い、と山岡を見下ろす日下部の目は、いつもの人のいい柔らかなものではなかった。 「ますます興味が湧いちゃうなぁ」 クスッと笑った日下部の手が、山岡のサラサラの黒髪を優しく梳く。 「ん…」 無防備に眠る綺麗な顔を見下ろして、日下部は頭の中にこれからのプランを思い描く。 ニヤリ、と緩んだ日下部の口元は、ゾクリとするような色気を含んでいた。 翌朝、山岡は携帯のアラーム音で目を覚ました。 「んっ…」 スルリと布団から出た手が、パタパタと音の発信源を探し求める。 手探りで探し当てた携帯を取った山岡は、ふと目を開き、見慣れない天井にガバッと身体を起こした。 「えっ…」 どこだ?と彷徨う目が、ふと隣に眠っている人の姿に気がついた。 「く、く、日下部先生っ?!」 「ん?あ~、おはようございます」 素っ頓狂な山岡の声に、日下部がのそりと起き上がる。 寝起きでも恐ろしいほど綺麗な顔が、ニコリと山岡を見た。 「あのっ、えっ、えっと…おは、ようございます…」 半ばパニックになりかけながら、山岡はストンと俯いてしまった。 サラリと髪が山岡の顔を半分以上隠してしまう。 「山岡先生?覚えていませんか?」 ニコリと微笑みながら、ベッドから抜け出した日下部の首が、ふわりと傾ぐ。 山岡はオドオドと視線を床に彷徨わせながら、ポツリと口を開いた。 「あの…オレ、何かご迷惑…」 俯いたままボソボソ言う山岡に、日下部がスッと近づいた。 「山岡先生」 「っ、はぃ…」 そっと頬に伸びてきた日下部の手に、ビクリと身を竦ませながら、山岡はチラリと目だけを日下部に向けた。 「駄目ですよ。人と話すときは、ちゃんと顔を上げて目を見ないと」 山岡の頬に触れ、そのまま顎の方に手を滑らせた日下部が、クイッと山岡の顔を上向けてしまう。 ぐずるように小さく首を振った山岡が、日下部の手から逃れようともがいた。 「山岡」 「っ…」 ピシリ、と鞭打つような声を放たれ、山岡がビクリと固まった。 「苦手な人付き合い、克服したいんじゃないのか?」 ズン、と普段より1段低くなった日下部の声に、山岡はオドオドと視線を上げた。 「人と上手く話せるようになりたくないのか?」 口調も雰囲気もガラリと変わった日下部の様子に、山岡はただ戸惑っている。 「カンファレンスもインフォームドコンセントでも…そのままでいいと思ってる?」 チラリ、と目を覗き込まれ、山岡はまた俯いていきそうになる顔を、そっと左右に振った。 「だめ…なのはわかっているんです。でもオレなんか…」 結局俯いてしまった顔を、日下部はそれ以上掴み留めはしなかった。 「顔、上げろ」 「っ…」 言葉だけ放って、山岡の側から離れた日下部。ビクリと身を竦ませた山岡は、床に視線を落としたままだ。 「山岡先生」 ふわり。いくらか優しくなった日下部の口調に、山岡はソロソロと顔を持ち上げた。 「できるじゃないか」 ニコリと笑った日下部の顔が、山岡の目に映る。 相変わらず髪が邪魔をしてよく見えないが、確かに日下部と合わさっている山岡の視線。 「ゆっくりでいい。ひとつずつな」 「日下部先生…」 「まずは、人と話すときは顔を上げる。あと、『オレなんか』は禁止。約束しよう」 ニコリと微笑む日下部に、山岡は小さく首を傾げて頷いた。 「クスクス。もし破ったら、お仕置きな?」 最後は山岡の耳に顔をスッと近づけてコソッと言った日下部に、山岡の身体がビクリと跳ねる。 「さぁてと、シャワー浴びたら?昨日、酔っ払って寝て、そのままだから」 サッと山岡から離れていった日下部が、クローゼットの方へ歩いて行きながら笑った。 「ちなみにここは俺の家。山岡先生、家をちゃんと教えてくれなかったからな。特に迷惑は被ってないよ。うちに着いてすぐソファーで寝ちゃったし」 「あ、その、すみません…」 しゅんと俯いてしまう山岡を、日下部の目が鋭く捉えた。 「顔、上げろな?」 ピシリと言われ、山岡は慌てて顔を持ち上げた。 「まぁ、次はお仕置きだな~」 クスクス笑いながら、日下部は新しいワイシャツとスラックスを身につけていく。 「山岡先生?早くしないと遅刻するぞ?」 仕事だろ?と笑う日下部に、山岡はハッとして慌ててベッドから飛び降りた。 「あのっ…」 「ん?」 「すみませんっ。シャワーお借りします!」 真っ直ぐ、日下部の方を見て言った山岡に、日下部の目が満足そうに緩む。 「合格。風呂場案内するからついてきて」 すでにネクタイまでキュッと締め終えた日下部が、寝室の扉に歩いて行った。 慌てて後を追った山岡は、バスルームを借り、急いで身支度を整えた。

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