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第156話
*
山岡は、深い深い闇の中にいた。
自分が目を開けているのか、閉じているのかすら定かではない、真っ暗闇。
膝を抱えて、小さく身体を丸め、暗い暗い小箱の中に座っていた。
「出して」
ポツリと口にした声は音になったのか。
それすらわからない、反響のない世界。
闇が全ての音さえも吸収してしまうかのようで、自分の息使いすらわからない。
「ボク、いい子にしているよ?」
幼く舌ったらずにもつれる唇は、確かに言葉を作ったと思うのに、空気が震える感じすらない。
「おかぁさん…」
縮こまって両膝を抱えながら、ぼんやり思い浮かぶのは、ぼやけた女性のものだろう顔か。
『外は危険がいっぱいよ。出てきてはいけないわ』
「そうなの?」
『あんたは疫病神!醜いその顔がいけないの。出てきては駄目。みんなを不幸にしてしまうから』
「ボクは悪い子なの?」
『その顔を見せないで。嫌い、嫌い、大嫌い!ずっとそこにいて。出て来ないで』
空気を揺らさない、頭に直接響くような声が、闇の中から次々と襲い来る。
ギュッと膝を抱えた手が、小さく震える。
「ボクが顔を見せなかったら、もう怒らない?もう泣かない?」
『そうよ、いい子だから、ここにいてね。ほら、パンをあげる。いい子だから、いいと言うまでここでじっとしているのよ』
優しい声と、ぼんやりぼやけた、多分笑顔。
「うん、わかった。まってるね」
カサリと音を立てた、手の中のパンの袋。
お腹が空いたから、一口齧った。
「おいしい」
ふわりと笑ったら、少し楽になった。
お腹が空いたから、二口、三口とパンを齧った。
だんだん味がしなくなった。
四口五口…パンは次第に小さくなり、いつの間にか手の中から消えていた。
「なくなっちゃった」
キュッと握った手のひらに、もう何の感触もない。
「のどがかわいた」
お水が欲しいと思ったけれど、真っ暗闇には何もない。
伸ばした手はすぐに小さな小箱の壁に当たる。
「おしっこいきたい…」
もよおす感覚に焦るけれど、暗い小箱の出口はわからない。
「あ、あ、あ…」
じわりと温かくなる股間に、尿意が消えた。
「ごめんなさい、ごめんなさい。いい子にするから、行かないで。いい子にするから、早く来てね」
ぼんやりと、眠気がゆっくり襲ってきた。
「さむい…」
震える身体を両手で抱きしめ、コロンと横に身体を倒す。
「のど、かわいた…」
ピチャンと触れた、ほっぺの下の水溜り。
必死で舐めて、喉を潤した。
「ねむい…。ねむいよ…」
急速に襲う眠気。小さな小箱で、さらに小さく丸くなる。
「さむいよ…。そしてとてもねむいんだ…」
暗闇を揺らす音はない。
「だれか…」
自分で呟いた言葉を考えるけれど、思い浮かぶ人の顔はなかった。
「……」
暗い小さな小箱の中で、ゆっくりすべてが闇に溶けていった。
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