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第157話

「っ…?!」 ふと、日下部は目を覚ました。 気づけばいつの間にか、山岡の眠るベッドに頭を預け、すっかり眠り込んでいた。 「山岡…?」 相変わらず、人形のような綺麗な顔で、器械に囲まれて眠っている。 「もう朝か…」 カーテンの向こうに、夜明けの日差しを感じ、日下部はそっと身体を起こした。 「山岡、今日もいい天気…」 カーテンを開けようとして、ついうっかり、ベッドサイドのキャビネット付きテーブルに、足をつっかけてしまった。 「痛て…」 不意に、そこに置いてあった着替えの間から、ヒラリと小さなカードのようなものが床に落ちる。 何気なくそれを拾おうと手を伸ばした日下部は、それが何かに気づいて息を止めた。 「っ!こんな…」 ピクリと震えた指先が触れたのは、緑色の、名刺サイズのカード。 「今は必要ないだろうっ?!」 なんでこのタイミングで、これが目に入ることになったのか。 「ふざけるなっ!なんのつもりで…」 運命のいたずらに腹を立て、日下部は拾ったそれを反射的に破り捨てようとした、その時。 プルルルン、プルルルンと、ベッドサイドモニターのアラームが鳴り響いた。 「っ!」 ビクリとしながら、パッと目を向けたモニターを瞬時に読み取る。 血中酸素濃度がぐんぐん落ちている。 「山岡っ…」 自発呼吸が消えかけているのを見て取り、日下部は慌ててベッドに飛びついた。 「山岡駄目だっ…」 いくな!と叫びながら、ナースコールを押す。 すぐに返る声に、必死で叫ぶ。 「アプネア(無呼吸)!挿管の準備して!」 「はい、ただいまっ」 ブツッと切れたスピーカーの音を聞くより早く、バサッと山岡の布団をめくる。 着せられたパジャマの下から、いくつものコードが伸びている姿があらわになった。 「日下部先生っ…」 バタバタと、看護師が駆けつける。 必要器具の乗ったカートが、ガーッと押されてくる。 「枕置いて!」 手早く手袋をはめながら、山岡にスニッフィングポジションを取らせるよう看護師に指示を出す。 「スタイレット入れといて。喉頭鏡!」 パッと渡される器具を受け取り、山岡の口を開かせる。 「気管チューブ!」 怒鳴り声にすぐに渡されたチューブを慎重に山岡の口の中に通した。 その瞬間、またもピーッ、ピーッとベッドサイドモニターがアラームを轟かせた。 「っな…VFっ?!すぐDC持ってきて!当直誰だっけ?悪いけど叩き起こして!」 「井上先生ですっ、もう呼んでます」 バタバタと看護師が出入りする。 気管挿管をしながら、日下部はモニターに目を走らせる。 心電図の波形が乱れ、心拍、脈拍が減り、血圧がぐんぐん低下していく。 アラームが絶え間なく鳴り響き、さすがの日下部にも焦りが浮かび始める。 「っ…アレスト(心停止)。すぐにCPR(心肺蘇生法)!」 挿管を終え、バックバルブマスクを看護師に渡し、ヒラリと身を翻す。 「くっそ!CPA(心肺停止)かっ…戻れ山岡っ!戻れっ!」 バッと前開きボタンのパジャマを肌蹴させ、すぐに圧迫点を定め、心臓マッサージを始める。 「日下部先生っ!」 直流除細動器をガラガラ引っ張ってきながら、当直でいた井上が駆け込んで来た。 「すぐチャージして」 「はいっ」 パパッと器械を操作し、山岡のベッドの横にスタンバイする。 その間も日下部は必死で胸骨圧迫している。 「チャージ完了」 「離れて!」 キュイーンと電気が高まる音がして、全員が一旦山岡から離れたところで、ドンッ!と電気ショックが加えられる。 ビクンッと跳ねた山岡の身体が、ベッドに沈み込むのを見て、みんなの視線はモニターに集まった。 一瞬急激に乱れた心電図の波形が、またもユラユラと真っ直ぐに近くなる。 「くそっ!もう1度チャージして」 再び山岡の胸に両手を当てて、圧迫を開始する。 ピッ、ピッと規則正しく心電図が動き出す。 「戻れ山岡。戻って来い!行くなっ、いくなよ、頼むからっ!山岡ぁっ!」 悲痛な日下部の叫び声だった。 ハッ、ハッと心臓マッサージに息を上げながら、ただひたすら願う。 「山岡っ、いくなっ!こっちだ!俺はここだっ!頼むっ!頼むから戻ってくれぇっ!」 額に汗を浮かべて、必死で叫ぶ日下部を、看護師たちが目に涙を浮かべて見つめる。 「日下部先生っ、チャージできました」 「っ、離れて!」 ドンッ! 背中を浮かせて跳ねた山岡の身体が、ストッとベッドに沈む。 1秒、2秒…激しく乱れた心電図の波が、ユラユラ上下して…。 「っ…」 ドッと安堵した空気が病室内を満たした。 「っ、はぁ…」 ピッ、ピッ、ピッ、ピッと、規則正しい波がモニターに描かれる。 クルクル変わる脈拍、血圧の数字が、正常値に戻って落ち着く。 鳴り響いていたアラーム音が止まり、呼吸器の静かな音だけが空気を震わせる。 「自発は?」 「ない、ですね…」 「っ…きっとすぐ戻る。けれどICUに運んで」 呼吸管理状態でこの病室では不安過ぎる。 静かに告げた日下部に、看護師が静かに頷いた。

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