426 / 426

第426話

5年後。 「ねぇねぇ、聞いた〜?」 「何なに?」 「今日、なんだかアメリカ帰りらしいドクターが、うちの科に来るらしいんだけど」 「うんうん」 「なんだか超絶イケメンらしいよ!」 「マジか〜っ」 ワァッと湧く新入りの看護師たちの間で、しみじみとその噂話に、とある2人の医師の姿を思い浮かべるのは、半数が入れ替わった消化器外科病棟の、5年前当時からここに残っているベテランの看護師だった。 「ふふふ、超絶イケメン」 それってあれですか、と笑う原が、たまたまナースステーションに立ち寄り、ひょっこりと顔を覗かせた。 「あぁ、原先生」 そうです、あれです、とこちらも含み笑いをして、原と悪戯っぽく目を見交わすベテラン看護師が、騒がしく盛り上がる新入り看護師たちの輪の後ろから離れ、カウンターの方へ歩いてきた。 「クスクス、相変わらず、噂話に事欠かない人達ですよね」 「5年振りですか。少しはお変わりあるんでしょうかね?」 何せ当時から美魔男たなんだと、年齢不詳っぷりが凄かった2人なのだ。 「5年くらいじゃ、何も変わりも老けもしていなさそうですけど」 「ふふ、原先生は大人になりましたよね」 「え〜?」 「落ち着きが出ました。すっかり独り立ちしたお医者様ですし?」 「あはは。やだなぁ。田所さんの中じゃ、おれはいつまで経っても研修医だった頃の、あのおれのままです?」 もう一人前ですよ、と笑う原は、あれから2年、様々な科で揉まれに揉まれ、医師の仕事の酸いも甘いも噛み分けてきた。 そうして消化器外科に戻って3年、すでに一人の医師として、立派にその足で立っている。 「ふふ、これ、ご依頼のカルテです」 「あぁ、ありがとうございます。森口先生、これ」 ひょいとベテラン看護師からカルテを受け取り、くるりと振り返った原の後ろには、スクラブ姿の若い青年が立っていた。 「はいっ、先輩」 「ふっ、だから、その呼び方やめろって」 医者は医者だから、と笑ってカルテで頭をぶつ振りをする原に、きゅっと肩を竦めたのは、ほんの数ヶ月前から、原の指導の下に入った研修医だ。 「ふふ、原先生が研修医の指導まで受け持つようになったんですものねぇ」 「まぁ、あれから5年ですからね」 成長もする、と笑う原が、チラリと盛り上がる新入り看護師たちの方を見た。 「あの人たちのこと。教えてあげなくていいんですか?」 「ふふふ、狙っても無駄よ?っていう話?」 相変わらずラブラブなの?と首を傾げる看護師に、原も原で首を傾げた。 「おれはこの5年間、直接連絡は取り合っていないんですけど。とら先生が、日下部先生とは結構頻繁にやり取りをしているらしくて」 「そうなの」 「時々、思いついたように近況報告をされていたんですよね。ちぃのオペが成功しただとか、リハビリを頑張っているらしいとか」 「そう」 「相変わらず山岡先生とはお熱い新婚生活を送っているだとか、あっ、そうだ。あの2人のタキシード姿。あの写真は傑作でしたよ」 メールで見たんですけど、と笑う原が白衣のポケットをゴソゴソし始める。 「あ〜、医局だ」 残念、と眉を下げる原は、自分のスマホ内に、日下部と山岡の挙式の写真が、谷野が送って寄越した数枚ほど、保存されている。 「本当、あの鬼元オーベンの、デレッデレの幸せそうな顔。山岡先生の控えめな笑顔と、とても似合いの白いタキシード。2人のあんな表情はね…。見ているこっちが照れますよ」 「まぁ」 「でもまぁ、さすがにあの美貌ですからね、まるでトップモデルの広告写真みたかったのは、想像に難くないと思いますけど。本当に本職医者か?って思うくらい」 今度見せますね、と笑う原に、「楽しみにしてます」と笑い返したベテラン看護師が、パンパンと手を叩いて新入り看護師たちの注目を集める。 「ほらっ、あなたたち。おしゃべりもいいけれど、仕事は大丈夫?」 「あっ、田所さん。え〜、でも、今日から来られるっていう先生のこと、気になるじゃないですかぁ」 「そうです、そうです。だってアメリカ帰りの超絶イケメン医師ですよ?興味を持つなっていう方が無理ありません?」 どんな優良物件が来るか、あわよくばワンチャンあるかな?とか、と期待に目を輝かせる看護師たちに、ベテラン田所は、ふふふ、と意味深に微笑んだ。 「あの2人は、無理ねぇ」 「えっ?2人?2人も来るんですか?」 「っていうか、田所さんはその来られる先生方、知っているんですかっ?」 「ふふふ」 「うん。確かに。あの人たちには、ワンチャンどころか、ノーチャンスです」 くつくつと笑い声を上げながら、横から原が面白そうに口を挟んだ。 「えっ?何?何です?原先生まで。ご存知なんですかっ?」 途端にワァッと原と田所に群がる看護師たちに、原と田所がクスクス笑う。 「まぁ、見れば分かるよ、見れば」 「そうね。一目で理解できると思うわ」 パチリとウィンクを交わしながら、2人が悪戯っぽく目を細めたところに、更に新入り看護師たちが詰め寄ったところで。 「あ〜、みんな、ちょっと時間、いいかな?」 不意に、廊下の先からパタリとサンダル履きの足音を響かせて、光村がナースステーションに声を掛けた。 「「「「っ…!」」」」 途端に、水を打ったように静まり返った新入り看護師たちに、原と田所がゆっくりと首を巡らせる。 ふらりと2人が目を向けた、光村の、その後ろに。 ヒラリと白衣の裾を靡かせて、悠然と微笑み立ち並ぶ、山岡と日下部の姿があった。 「っ、あ、あれが…」 「本当にイケメン。だけどあの2人って…」 「嘘でしょ?空気が…」 「うぁ〜っ、なるほど、そっかぁ。そういうことか〜」 途端にどより、と空気を揺らめかせ、新入り看護師たちが次々に脱力して、ぐったりとなっていく。 「っ、あぁ」 やっぱり隣同士で並んで立つだけで、2人はこんなにもしっくりと当てはまる。 「日下部先生、山岡先生」 2人を紹介するように、横に寄った光村の後ろから、山岡と日下部が前に出る。 同じように、複雑な雰囲気を醸し出すナースステーションの空気を割って、スッと一歩前に出た原が、にこりと笑って白衣の裾を靡かせた。 「お久しぶりです。日下部先生、山岡先生。消化器外科の、医師の、原元一です」 スッと胸を張り、さらりと差し出された原の右手に、日下部の目が薄く細められる。 「原医師(せんせい)」 そうか、そうか、と嬉しそうに微笑んだ日下部が原の右手をふわりと取った。 「っ、あ、右手…」 きゅっと確かに指先まで力の入った、日下部の右手。なんの異常も障りもなく、スムーズに動く日下部の右手を感じ、原がくしゃりと表情を潰した。 「っ、お帰りなさいっ。お帰り…っ」 きゅぅ、と口元を持ち上げて、へにゃりと眉を情け無く下げた原の目の端に、キラリと小さな雫が光る。 「ふふ、ただいま」 にっこりと微笑んだ日下部が、スッと隣の山岡の腰を左手で抱き寄せて、ぐるりとナースステーション内のスタッフたちを見回した。 「今日からまた、こちらの消化器外科で働く、医師の、日下部千洋です」 「わっ、ととっ、ちょっ…。ぁ、ぇっと、同じく山岡泰佳です」 にっこりと、自己紹介を述べる日下部に、引き寄せられてしまった身体をジタバタと暴れさせ、山岡も慌てながら名前を名乗る。 「まぁ、知っている人は知っていると思うけれど」 「うわっ、ちょっ、日下部先生っ?」 パッと原から離した右手で、ひょいっと山岡の頭まで引き寄せた日下部に、山岡がギョッとして目を見開いている。 「これからまた、山岡共々、どうぞよろしくね」 「んっ、ん〜〜っ!」 にっこりと、笑顔で宣った日下部が、スタッフたちの目の前にもかかわらず、チューッと山岡の唇に口付けた。 「キャァァッ」 「やばい、イケメン同士の熱愛!」 「あ〜っ、悔しい。なのになんなの、このときめきは」 「やっば。これはこれで、あり。ありすぎ!」 途端に沸き立つ看護師たちの歓声や悲鳴に、にっこり微笑んだ日下部が、優雅に鮮やかに頭を下げた。 「っ、もうっ、日下部先生っ!ここでの再勤務初日から、何するんですか〜っ!」 プリプリと怒っている山岡だけれど、その目がふにゃりと日下部の行動に絆されて、あまりに幸せそうに緩んでいる姿は、なんの迫力も本気もない。 「だから、アンタたちは…」 ははん、と胡乱な目を向けて、疲れたように額を押さえる原をシラッとスルーして、日下部はスタスタと、ナースステーションの中に入っていく。 「それで?俺が担当を引き継ぐ分の患者データは?これ?」 颯爽とパソコンの1台を占拠し、勝手知ったる様子で近場にいた看護師に尋ねた日下部に、たまたま側にいた看護師が、はわっ、と奇妙な声を上げながら、慌てて日下部に答えようと画面を覗き込む。 「あはは。ぇっと、それでオレは…いきなりこんなにオペ待ちの患者さんの治療か…」 山岡の分だと、ドサリとテーブルに積まれたファイルを、これまたスタスタとナースステーション内に入った山岡が、早速捲り始める。 「はぅぅ、あぁ、これですよね、これ」 「そうですね。5年。お変わりなく、けれどますます頼もしく、素敵になられて」 5年前、そこにあった光景と重なるように、互いに背を預け合い、自分の仕事に集中し始める山岡と日下部の、背中合わせに座る白衣姿を、原と田所がしみじみと見つめる。 「なぁ、原先生。この患者の術前検査…」 「すみません、原先生、この患者さんの最新検査データは…」 あ、の形に口を開いた日下部と山岡が、同時に原を振り返ってしまったことに、目を見交わしてから、プッと吹き出す。 「はいはい。あ〜もう、まったく何ですか」 イチャついた気の合いっぷり発揮しないで下さい、と苦情を漏らす原に、日下部と山岡がとうとうたまらなくなって声を上げて笑い出す。 キラリ。そんな2人の左手薬指に光る揃いのリングは、今日も鮮やかに銀色に輝いていて、顔を見合わせて、今度はどちらがお先にだとかどうだとか、原への話を譲り合う2人の笑顔は、5年前、最後に見たときと変わらない。 「はいはい、ただいま」 その輝きはきっと、今も、これからも、その先もずっと、こうして翳らず、輝き続けるんだろうなと、原は呆れて和んで幸せに当てられながら、じわりと思った。 病院の外は、今日は久しぶりに青い空を覗かせた快晴。 明け方まで降り続いた雨が嘘のように、明るく晴れ渡る青空には、ぐるりと鮮やかに、かかる虹の橋が1つ。 どんなに暗い曇天も。どんなに激しい雨脚も。いつかきっと、必ず止む日はやって来るから。 明日、もしも雨が止んで、雨上がりの空に虹がかかったら。 その晴れ渡る青空の下で、鮮やかな虹の橋を眺めよう。 明るい晴れ間は、きっとどこまでもいつまでも、遠く長く続いていく…。 〜fin〜

ともだちにシェアしよう!