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第1話

昼下がりの午後の都内、北向由紀也は黙々と手帳に書き込んでいく。手帳は、自分のものではなく園児のもので、午前中にあった出来事などを子ども達が午睡をしている間に担当の子の分を一人ずつ書くのだ。これも大事な仕事となっている。 由紀也の仕事は保育園に勤める保育士。さほど大きくない園ではあるが、アットホームであり雰囲気も良いこともあり、ただ一人の男性保育士である由紀也も、居心地は今は悪くない。    保育士になり3年目、今は4歳児の担任をしているが、5歳児と同じ保育室を使用しているためもう一人の女性保育士と共に4歳と5歳を見ているかっこうになっている。  由紀也が保育士になろうと思ったのは、ニュースで保育士の数が足りていない現況を知り、男手も必要であることがわかったからだった。割と細身であり、そんなに体格が良いわけではなかったけれど、それでも子どもは好きだったし、自分でも役に立てるのではないかと思ったから、この仕事を選んだ。 しかし、根底には違う理由もある。由紀也は現在22歳だが、生まれてこの方女性を好きになったことがない。  これまで好きになってきたのは、自分と同じ男ばかり。要するにゲイということ。 しかし、高校の頃に好きになった同級生の男子に告白をしたところ、撃沈した。撃沈しただけならまだいいが、「気持ち悪いから近寄るな」とまで言われてしまったという、苦い過去があった。 その時には、絶望で物を食べられなくなったし、相手と顔を合わせたくなくて何日も学校を休んだりもした。 想いを告げなければ良かったと思ったし、それ以来由紀也は人を好きになることを避けていた。 しかし、それなら悲し過ぎると思ったし、気持ちも癒えた頃に、もしかしたら女性ばかりの保育の職場に身を置けば、自分も女性を好きになれるかと思いつき、保育の短大に進むことにしたのだった。 由紀也はある1人の園児の手帳を開いたところで書く手を止めた。実は、由紀也はこの園児、安藤陸斗の父親に恋をしていた。あってはならないのだけれど、密かに想いを寄せていたのだ。 陸斗の手帳を開くと、どうしても父親の顔が浮かんできてしまう。自身の担任する子どもの父兄だし、不埒な想いを抱くことは許されないことくらい、由紀也だってわかっている。けれどどうしても、担任と父兄という接点があることもあり、想いを断ち切ることができない。  由紀也が惚れたのは、もう3年ほども前のことだ。由紀也がまだ保育士になったばかりで、陸斗の担任もしていなかったころに、玄関の係りをする時に会うようになり、一目惚れをしてしまったのだ。 女性を好きになれるかもしれないと思い就職した保育園だったが、あろうことか惚れたのが園児の父親だという事実に、由紀也は自分でも呆れてしまった。やはり自分は男しかダメなのだと改めて思う。 就職して数か月後のことだったろうか。女性に興味が湧くどころか、まさか園児の父親に心を奪われるとは思いもしなかった。  陸斗の家は、2年前に離婚をしている。陸斗が父親と2人きりで生活をしていることは、調書を見て由紀也も知っている。それもあり、父親に相手がいないのなら…などと良からぬことまで考えてしまうことがある。ただ、第一父親も一度は結婚をしている身だし、園児の父親なのだから由紀也の想いが叶う可能性は限りなく0に近いと思われた。

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