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 大学生のひとり暮らしというくらいだから、質素なアパートかなと思いきや、築浅っぽい綺麗なマンションだった。  室内も物が少なくて整頓されていて、大人の俺がちょっと情けなくなるくらい――急に、台所に置きっぱなしの鍋とお玉を思い出した。  大槻くんは、俺のコートを受け取り、ハンガーにかけながら言った。 「あの……和久井さんって、他人に合わせてしゃべるのが癖だったりしますか?」 「えっ?」  突然の話題に、ドキッとしてしまう。 「相手をよろこばせたくて、欲しそうな言葉や行動をする、みたいな。自分の意思とかは二の次で」  目を丸くしたまま、固まってしまった。心臓がドキドキと鳴る。 「え、っと……」  なんと答えるのが正解か分からなくて言葉を失っていると、大槻くんは、俺のそばにたったと寄ってきて、抱きついてきた。 「和久井さんは、オレが欲しかった言葉とか優しさを全部くれました。それが偽善とかでもなくて、本当にオレことを思ってるんだというのも分かります。でも、和久井さんのその、見返りを全然求めない純粋な優しさは……なんか……責任感にとらわれてる感じがします」  背中に回した腕がぎゅうっときつく俺の抱きしめて、首筋に顔を埋められたら、どうしていいのか分からなくなってしまった。 「あー……、そんな風に考えたことってなかったな。大槻くんはそういう、人の心の機微みたいなのを感じやすいタイプなのかな?」  言いながら、さりげなく彼の顔をひきはがそうとする。  言われていることも耳が痛いし、恋愛がそっち系の子なのだとしたら、さすがにそれは応えられないので、お互いのためにも早く離れたほうがいい。  耳をはむっと甘噛みされた。 「こういうことされたら、和久井さん、どうするんですか? オレがそうしたいって言って、心底困ったような顔をしてたら」 「いや、こういうのは、冗談とかその場でぱっとすることじゃないと思うよ。好きな人とするべきことだから……」 「嫌なら嫌って言えばいいのに」  ぴしゃりと言われてしまい、二の句が継げなかった。 「和久井さん。ううん、昌也さん。オレ、昌也さんが欲しいです。嘔吐なんて汚いのに嫌な顔ひとつせず介抱してくれて、いっぱい話聞いて励ましたりほめてくれたりして、もっと優しくして欲しくなりました」 「いい友達としてなら、全然。でもこういうのはやめた方がいいと思うよ。自分を安売りしちゃダメだから」 「だから、嫌なら嫌って言ってくださいよ。オレの心配はいいから……」  泣きそうな声で言われて、本当に、何が正解なのか分からなくなってしまった。  いや、正解の対応を求めている時点でダメなのかも知れないけど、彼を傷つけないで終わる方法があるなら、それが1番いい。  意を決して、話してみる。 「じゃあ、言うね。ごめん、君とはそういうことはできないや」 「何でですか?」 「普通に女性しか好きじゃないから」  彼を否定することなく、正直に言うには、これしかなかった。  自分の信条に反する表現ではあったけど。  大槻くんは、すっと離れて、悲しそうな顔でうつむいた。 「……そうですよね。困らせてごめんなさい」  それっきり、黙ってしまう。  帰れとも言わないし、かと言って何か言ってくるわけでもない。  もちろん、試しているわけでもなさそう。 「大槻くん? 何考えてる?」 「昌也さんにエッチなことして欲しかったって考えてます。オレ、昔から男の人しか好きになれなくて、したことないから」  ド直球すぎて、言葉に詰まってしまう。 「でもしてくれないのも分かってるんで、ここまで付き合ってくださって、ありがとうございました」  そう言いつつ、追い出すわけでもなければ、彼も動くわけでもない。  でも。 「大槻くん、泣いてる」  少し顔をのぞき込むと、彼は目をそらした。 「同情して欲しくて泣いてるわけじゃないですよ。ほんとになんか、涙が出ちゃうだけです。ごめんなさい。気にしないでください。気にしたら、また放っておけなくなっちゃいますよ」  突然すっとしゃがみ込んだと思ったら、ひざを抱えたまま、わんわん泣き出した。 「ちょ、ちょっと……」 「優しくされたらすぐこうだ。自分が嫌い。もうやだ」  子供みたいに、わあわあと泣く。  思わずしゃがみ込んで、頭をなでてしまった。 「ダメだよ、自分が嫌いなんて言っちゃ。言霊って言って、口から出た言葉は、自分に返ってくるんだから。良いことも、悪いことも」 「じゃあ、『昌也さんのことが好きになった』」  ぐずぐずと、涙をこらえて、鼻をすすりながらつぶやく。 「昌也さんが好き。昌也さんが欲しい。昌也さんにもオレのこと好きになって欲しい。昌也さんと付き合いたい。昌也さんにエッチなことして欲しい。昌也さんが……」 「言霊は、何でも願いが叶う魔法じゃないよ?」 「なにそれ。よくわかんない」  またひざを抱えて泣き出す。  このまま放って部屋を出ていくこともできるけど、それで俺は後悔しないだろうか。  見ず知らずの子を、中途半端な優しさで傷つけたまま逃げてしまったことを、何年も先になって急にふっと思い出して、罪悪感を覚えたりしないだろうか。  俺は、大槻くんの頭に手を置いた。 「ひとつだけなら聞いてあげる。何がいい?」  彼はゆっくり顔を上げて、袖でぐいっと涙を拭ったあと、絞り出すような声で言った。 「エッチ」

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