12 / 72
3
大学生のひとり暮らしというくらいだから、質素なアパートかなと思いきや、築浅っぽい綺麗なマンションだった。
室内も物が少なくて整頓されていて、大人の俺がちょっと情けなくなるくらい――急に、台所に置きっぱなしの鍋とお玉を思い出した。
大槻くんは、俺のコートを受け取り、ハンガーにかけながら言った。
「あの……和久井さんって、他人に合わせてしゃべるのが癖だったりしますか?」
「えっ?」
突然の話題に、ドキッとしてしまう。
「相手をよろこばせたくて、欲しそうな言葉や行動をする、みたいな。自分の意思とかは二の次で」
目を丸くしたまま、固まってしまった。心臓がドキドキと鳴る。
「え、っと……」
なんと答えるのが正解か分からなくて言葉を失っていると、大槻くんは、俺のそばにたったと寄ってきて、抱きついてきた。
「和久井さんは、オレが欲しかった言葉とか優しさを全部くれました。それが偽善とかでもなくて、本当にオレことを思ってるんだというのも分かります。でも、和久井さんのその、見返りを全然求めない純粋な優しさは……なんか……責任感にとらわれてる感じがします」
背中に回した腕がぎゅうっときつく俺の抱きしめて、首筋に顔を埋められたら、どうしていいのか分からなくなってしまった。
「あー……、そんな風に考えたことってなかったな。大槻くんはそういう、人の心の機微みたいなのを感じやすいタイプなのかな?」
言いながら、さりげなく彼の顔をひきはがそうとする。
言われていることも耳が痛いし、恋愛がそっち系の子なのだとしたら、さすがにそれは応えられないので、お互いのためにも早く離れたほうがいい。
耳をはむっと甘噛みされた。
「こういうことされたら、和久井さん、どうするんですか? オレがそうしたいって言って、心底困ったような顔をしてたら」
「いや、こういうのは、冗談とかその場でぱっとすることじゃないと思うよ。好きな人とするべきことだから……」
「嫌なら嫌って言えばいいのに」
ぴしゃりと言われてしまい、二の句が継げなかった。
「和久井さん。ううん、昌也さん。オレ、昌也さんが欲しいです。嘔吐なんて汚いのに嫌な顔ひとつせず介抱してくれて、いっぱい話聞いて励ましたりほめてくれたりして、もっと優しくして欲しくなりました」
「いい友達としてなら、全然。でもこういうのはやめた方がいいと思うよ。自分を安売りしちゃダメだから」
「だから、嫌なら嫌って言ってくださいよ。オレの心配はいいから……」
泣きそうな声で言われて、本当に、何が正解なのか分からなくなってしまった。
いや、正解の対応を求めている時点でダメなのかも知れないけど、彼を傷つけないで終わる方法があるなら、それが1番いい。
意を決して、話してみる。
「じゃあ、言うね。ごめん、君とはそういうことはできないや」
「何でですか?」
「普通に女性しか好きじゃないから」
彼を否定することなく、正直に言うには、これしかなかった。
自分の信条に反する表現ではあったけど。
大槻くんは、すっと離れて、悲しそうな顔でうつむいた。
「……そうですよね。困らせてごめんなさい」
それっきり、黙ってしまう。
帰れとも言わないし、かと言って何か言ってくるわけでもない。
もちろん、試しているわけでもなさそう。
「大槻くん? 何考えてる?」
「昌也さんにエッチなことして欲しかったって考えてます。オレ、昔から男の人しか好きになれなくて、したことないから」
ド直球すぎて、言葉に詰まってしまう。
「でもしてくれないのも分かってるんで、ここまで付き合ってくださって、ありがとうございました」
そう言いつつ、追い出すわけでもなければ、彼も動くわけでもない。
でも。
「大槻くん、泣いてる」
少し顔をのぞき込むと、彼は目をそらした。
「同情して欲しくて泣いてるわけじゃないですよ。ほんとになんか、涙が出ちゃうだけです。ごめんなさい。気にしないでください。気にしたら、また放っておけなくなっちゃいますよ」
突然すっとしゃがみ込んだと思ったら、ひざを抱えたまま、わんわん泣き出した。
「ちょ、ちょっと……」
「優しくされたらすぐこうだ。自分が嫌い。もうやだ」
子供みたいに、わあわあと泣く。
思わずしゃがみ込んで、頭をなでてしまった。
「ダメだよ、自分が嫌いなんて言っちゃ。言霊って言って、口から出た言葉は、自分に返ってくるんだから。良いことも、悪いことも」
「じゃあ、『昌也さんのことが好きになった』」
ぐずぐずと、涙をこらえて、鼻をすすりながらつぶやく。
「昌也さんが好き。昌也さんが欲しい。昌也さんにもオレのこと好きになって欲しい。昌也さんと付き合いたい。昌也さんにエッチなことして欲しい。昌也さんが……」
「言霊は、何でも願いが叶う魔法じゃないよ?」
「なにそれ。よくわかんない」
またひざを抱えて泣き出す。
このまま放って部屋を出ていくこともできるけど、それで俺は後悔しないだろうか。
見ず知らずの子を、中途半端な優しさで傷つけたまま逃げてしまったことを、何年も先になって急にふっと思い出して、罪悪感を覚えたりしないだろうか。
俺は、大槻くんの頭に手を置いた。
「ひとつだけなら聞いてあげる。何がいい?」
彼はゆっくり顔を上げて、袖でぐいっと涙を拭ったあと、絞り出すような声で言った。
「エッチ」
ともだちにシェアしよう!