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 夏休みに向けて、楽で割のいいバイトを探していた。  しかしこのご時世、そんなに虫のいい話はない。  そんなことを大学の友達に愚痴ったら、『治験』なるバイトがあることを知った。  簡単に言えば薬の実験台で、と言っても、ほとんどテストは済んでおり、変な副作用はないことが分かっている状態のものらしい。  国の認可をもらうためにサンプルの人数を集めるのが目的の実験だから、絶対安全だと、友達は言っていた。  何日か施設に入院して、指示通りに薬を飲むだけ。  あとは、ダラダラ漫画読んだりゲームしたり、好きに過ごしていい。  健康に産んでくれた母親に感謝しつつ、1番楽そうかつ給料の高い、PKS研究所というところに応募した。  東京から電車とバスを乗り継いで2時間半の山間部に、その寂れた研究所はあった。  廃病院、みたいな。  2階建ての古びた建物は、壁についたコケやツタでさらに朽ちた雰囲気になっているし、玄関ポーチは、切れかけた蛍光灯がチカチカとしていて、不穏だ。 「ごめんくださーい」  建物に入ると、むわっと、カビのようなにおいがした。  返事がない。  もう1歩進んで再び声をかけると、廊下の奥の扉がガチャッと開く音がして、コツコツと足音がこちらに向かってきた。  現れたのは、30歳前後と思しき白衣の男性。  色白で、髪や瞳の色など、全体的に色素が薄い、はかなげな雰囲気。  すうっと目を細めて微笑んだ。 「谷口(たにぐち)(あゆむ)さんでいらっしゃいますか?」 「あっ、はい、そうです」 「はじめまして。私はこの研究所の所長を務めております、緋室(ひむろ)と申します」  物腰やわらかな感じで、そっと片手を差し出される。  おずおずと握手をしようとしたら、ふんわりと両手を包まれた。 「2日間、よろしくお願いしますね」  若そうなのに所長だなんて、きっとすごく頭がいいのだろうと思った。  緋室さんに連れられてやってきたのは、実験室だった。    雰囲気としては、ミュージシャンの録音スタジオみたいな。  一面の大きなガラスを隔てて、被験者が過ごすベッドのある部屋と、操作パネルのような大きな機材がある部屋に分かれている。  緋室さんは、数枚の書類を手渡してきた。 「まず、実験の趣旨をお伝えしますね。今回お飲みいただく新薬は、簡単に言うと、気分に作用する薬です」 「精神薬ってことですか?」 「厳密には違いますが、ドーパミンにも作用しますので、元気になるお薬という風にとらえていただければ。極微量の筋弛緩剤も含まれていますので、脳内物質とフィジカル面の両軸でリラックス効果を期待できるものです」  難しいことは分からないが、説明を読めと言うことで、さらさらと流し読みした。 「早速お飲みいただきますが、1錠で48時間作用しますので、それ以降は特にしていただくことはありません。最初の3時間だけ、こちらのベッドで観察させていただきますが、その後は普通の個室ベッドへご案内いたしますので、ご自由にお過ごしください」  ふんわりと微笑む緋室さんに、気になっていることを尋ねた。 「あのー、この実験って他に誰かいるんですか?」  友達の口ぶりでは、たくさんの人を集めていっぺんにやるものなのかと思っていたけど、ここまで、俺と緋室さん以外の人間の気配を感じない。 「谷口さんおひとりですよ。お恥ずかしながら、零細研究所ですので、スタッフに十分な人員が確保できないのです。ですから、安全を考慮して、おひとりずつ治験に参加していただくことにしております」 「スタッフさんというのは?」 「……私ひとりです。つい先日、唯一の助手が退職してしまったもので」  日本は、大学とか研究機関にお金を出さないみたいなことを、うちの教授から聞いたことがある。  何でも削減削減すりゃいいってもんじゃないな、と思う。  緋室さんは、ぺらっと紙をめくって、ボールペンを手渡してきた。 「同意いただけましたら、こちらにサインを」  きょうの日付と、名前。そして捺印。  日給は4万。  2日ここで過ごせば、夏休みは安泰のはずだった。

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