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「勤務時間内に君の相談を受けるのは、私の業務です。しかし、突然私の家に上がり込んできた君の相談に乗るのは、業務外です。出て行きなさい」
僕は確かに、そう言い放った。
……はずだったのだが、目の前のバイト(上京3日目)は、深刻な顔でこう返してきた。
「あ……じゃあ、俺、残業代払います。そしたら聞いてもらえますか?」
「君に雇われた覚えはありません」
「どうしたら聞いてくれるんですか?」
やめろ。捨て犬のような目で僕を見るな。
小5の夏、台風のなか川沿いで見かけた迷子の犬を知らん振りして通り過ぎてしまった、あのときの後悔が頭をよぎる。
ついに根負けした僕は、はあっとため息をつきながら言った。
「手短に話してください。ただし、実際に対応するのは勤務時間内です。きょうは何もしませんよ」
極限まで眉間にしわを寄せたが、目の前のバイト(イマドキ塩顔男子21歳)は、困ったように言った。
「業務時間内にやったら、変態になっちゃいます」
「は?」
「抱かせてください。いま、ここで」
「は!? 何、何言って……」
「絶対後悔させませんので」
目の前のバイト(3日目にして既にアイドル)は、真剣な目で僕に迫った。
「俺、見たんです。きのう。店長が男とラブホテルに入るところ」
心臓が止まりそうになる。
目の前のバイトこと駒沢は続けた。
「せっかく東京に来たし、新宿二丁目に行ってみたんです。そしたら店長がお」
「待て! 待って。待って……」
額に手を当て、うつむく。
どっちだ。
観光気分で二丁目に来たら上司(27歳)を見かけて、興味本位で誘っているのか。
それとも、駒沢はゲイで、二丁目に来たところを体よく知り合い(普段必死で冷酷キャラを装っている)を見つけたので、誘っているのか……。
身を裂くような沈黙が流れる。
しかし、黙っていても何にもならないことも、重々よく分かっている。
僕は、意を決して口を開いた。
「……黙っていていただけませんか。勤務時間を操作すれば、時給は水増しできます」
「いや、そんなの要らないです。犯罪じゃないですか」
駒沢は、ずいっと身を乗り出して、上目遣いに僕を見た。
肌つやがいいな。
いや、そんなことを思っている場合ではない。
「ただ、店長としたいだけなんです。その、あの……綺麗な人だなって初めて見たときから思ってたので……店長が男とできるんだって知ったら、もう気持ちが止まらなくて」
「申し訳ないですが、面識のある人間とワンナイトを楽しむ趣味はありません。他をあたってください」
「え!? ワンナイトじゃなくて付き合えばいいってことですか!?」
「何をどう曲解したらそうなる!?」
思わず大声を出したが、駒沢がこれまた子犬のように怯えた顔をしたので、謎の罪悪感が芽生えてしまった。
「て、店長。したい、です」
顔が『くぅん』と言っている。
もし犬の耳が生えていたら、しゅんとしていることだろう。
耐えきれず、つい聞いてしまった。
「駒沢くんは……その、どちらなんです?」
「タチです」
「は!? その顔で!?」
驚きのあまり、大声を上げてしまった。
その、その可愛らしい顔でタチはないだろう。
「やっぱりダメですか? 男らしくないってよく言われます……」
「いえ、ジェンダーフリーの時代に性別らしさなどを押し付けることはしませんが……なんというか……意外だっただけです。他意はありません。気分を害したのなら申し訳ない」
「ていうかあの、最初から僕ずっと、『抱かせてください』って言い続けてるんですけど」
そういえばそうだった。
頭痛がしてくる。
駒沢は、ごくっと唾を飲んで、真剣な顔で言った。
「絶対後悔させません。下手だったらバイトもクビにしてもらっていいんで」
「は? するわけな……」
と、言い終えることはできなかった。
くちびるをふさがれたのだ。
あごを掴まれると無理やり口が開き、抵抗するより先に舌がねじ込まれる。
「……ッ」
ゾクゾクするような舌づかいで上あごををなぞられたら、つい、甘ったるい声を漏らしてしまった。
「……ぁ、」
「店長、可愛い。クール美人系かなと思ってたのに」
クールは、ナメられないためのキャラだよ。
お前みたいなバイトにな……!
そう思うのに、口の中をまさぐられたら、力が抜けてしまう。
「名前、なんていうんですか?」
答えず、ぎゅっと目をつぶる。
駒沢はさらに追い詰めるように、口の中にくまなく舌を這わせた。
「ねえ、名前は?」
「……慶久 」
「僕のことは良弥 って呼んでください」
かすれ声でささやきながら、耳の裏に触れる。
首筋をつつっとなぞり、背中を繊細になでる。
服の上からなのに、声が我慢できない。
「ん、ぁ……、やめなさ……、はぁっ」
「慶久さん、全然やめろって顔してないですよ」
力が抜ける。自重を支えきれずもたれかかると、駒沢はふふっと笑った。
「可愛い。すっごいトロ顔です。体、直接触ったらどうなっちゃうんでしょうね?」
「やめ……むり……っ」
「本当? やめちゃっていいんですか? ほんとは欲しくないですか?」
何も言えず、ぐっと眉間にしわを寄せ睨む――迫力ゼロなのは、自分でも重々承知だ。
「なんにも言わないの、イエスってとっちゃいますね?」
首筋に、ちゅ、ちゅ、っと口づけられる。
触られたところ全部が熱い。
「はぁ、……ゃだ、ぁ」
「店長。嘘をつくのは一番やっちゃダメなことって、自分で言ってたじゃないですか」
「業務外っ」
駒形の目が、色めき立った。
「……仕事じゃないんですから、全部忘れてエッチなことしましょ? ね?」
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