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 北京ダックは正解だったようで、入店するなり、ずらりとつりさげられたアヒルの中から自分で食べるのを選んで着席するところや、席の目の前に運ばれて大きな包丁を華麗にあやつって皮を切るパフォーマンスに満足したようだった。  スープやほかの料理が次々出されて、それにも驚いている。 「皮を食べるだけじゃないんだね」 「北京ダックはこういう専門店で食べれば、コース料理なんです。皮をまず食べて、そのほかのところも、全部、料理になって出てきます」 「専門店じゃない場合は?」 「大学内の食堂にも北京ダックってありますよ。30元くらいだったかな。街中の食堂にもあります。それは皮だけ。ていうか肉もけっこうついてますけど」 「日本円で500円もしないのか。そんな気軽に食べれるもんなの?」 「はい。こんなパリパリの皮じゃないけど、おいしいと思いますよ」  そのあとは青島ビールを飲みながら、三人はきょうの出来事を振り返りつつ、ホテルで休憩したとき同様、中国進出の難しさについてあれこれ検討していた。  孝弘はもくもくと料理を食べながら、それを興味深く聞く。  仕事をしている大人に間近で接したのは初めてだ。  王府井で街を見ながら、西単で買い物をしながら、会社員の三人はそんなことを考えていたのかと驚いた。  同じものを見ていても、まるで考えていることが違う。  ふしぎな気分だった。 「あの、このあとって、どこか案内したほうがいいんですか?」  トイレに立った祐樹をこっそり追って、孝弘はちいさく声をかけた。  意味をつかみ損ねて祐樹は首を傾げた。 「どこかって?」 「ええと……女の人のいるお店とか? カラオケとか?」  孝弘の言葉がよほど思いがけなかったのか、祐樹は一瞬あっけにとられた顔をしたあと、くっくと笑い出した。 「まいったなー。学生さんにそんな気遣いされるなんて。あー、もう」  駐在員ってどう思われてるんだかとつぶやく。もちろん女性のいる店に取引先を連れていく事も、あるいは接待されて連れて行かれることもままあるが、学生にそんな案内をさせるわけにはいかないらしい。  うつむいて苦笑し、それから顔を上げると祐樹はきっぱり首をふった。 「いや、それはいいよ。あの二人をホテルまで送って行ったら、今日はもう終わり。上野くんもそのままタクシーで送っていくよ。あ、でも精算があるか。ええと、使ったお金、メモでいいから明細もらえるかな。人民元もFECも日本円も全部書いておいて。ああ、トイレ代とかもね」  昼間の衝撃を思い出したのかいたずらっぽい顔になる。  あまりにかわいく子供みたいに笑うので、駐在員などにはまったく見えない。  そういや、この人いくつなんだろう。 「それで、手間かけて悪いんだけど週末にでも会えないかな? お礼がてら食事でもどう?」 「北京ダック、食べさせてもらったけど?」 「これは接待。仕事だから、お礼じゃないよ」  そういうものなのか。学生の孝弘にはよくわからない感覚だ。この食事で十分だったが、それではすまないということらしい。 「無理をいったから、ちゃんとお礼がしたいんだ。なんでも食べたいもの、ごちそうするよ。バイト代と精算のお金はいま渡せるけど、明細はその時でかまわないから」  子供みたいな笑顔のままでそんな提案をしてきて、孝弘に断りを言わせない押しの強さでてきぱき話をまとめてしまう。  結構、強引なんだよな。  そう思ったが、不快にはならない絶妙な力加減だ。これが社会人スキルってやつなのか。この人、仕事できるんだろうな。  そうして結局、土曜日にまた一緒に食事をすることになった。

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