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第6章 留学生寮
長城に行ってから5日ほどが過ぎて、孝弘は写真ができたことを伝えようと祐樹に電話をかけた。学生寮には各部屋に電話など当然なくて、1階フロントにある共有電話が市内通話なら無料で使える。
名刺のうらに自宅の電話番号を書いてくれていたので、夜の8時過ぎにかけると「もしもし」と日本語で出た。
「喂 、高橋先生在吗 ?」(もしもし、高橋さんいますか)
いたずら心で北京語で話しかける。
「え、上野くん?」
あっさり呼びかけられた。
声を覚えていてくれたことがうれしかった。名乗らずにわかってもらえたくらいで喜ぶなんて、われながら単純だ。
「こんばんは、高橋さん」
写真ができたことを告げ、忙しいだろうから届けに行こうかといえば、しばらく考えた祐樹は「上野くんの学校に行ってみたい」と言いだした。
留学生の寮生活を見てみたいらしい。
前回、自宅にお邪魔して風呂まで使わせてもらって、断るわけにはいかない。
学生寮なんて見てもたいして面白くはないだろうし物好きだなと思ったが、とくに断る理由もなかったので、土曜日に校門前で待ち合わせをした。
校門まで祐樹を迎えに来た孝弘が、タクシーを降りた祐樹に手をふった。
「タクシー、大丈夫だった?」
「何とかね。ドキドキだったよ。教えてもらったとおりに言ったら通じた」
電話で教えてもらった大学名はちゃんと運転手にわかってもらえたようで、遠回りされずに着いた。
「なんか大冒険した気分だよ」
「レベル上がった?」
「そうだね。一人でタクシー乗ったの初めてだし」
仕事の移動は会社が雇っている運転手がついていて、先輩社員と一緒に行動することがほとんどだから一人で乗ったことがなかったらしい。
「そうだったんだ。寮までけっこう歩くよ」
「大丈夫。中国でもやっぱり広いんだね、大学って。公園みたい」
祐樹はきょろきょろと校舎等や通路に植えられた街路樹を見回した。
「日本の大学よりかなり広いよ。って俺は日本の大学はよく知らないけど。こっちの大学は全寮制だから学生寮や職員寮のほかに、職員の子供が通う小学校とかまで大学の敷地内にあるから。とにかく広いよ」
「え? 職員の子供の小学校まで? 大学のなかに?」
驚いて、目をぱちっと見開く。
「そう、学内になんでもあるよ。校舎とか図書館はもちろん、スーパーも郵便局も食堂も本屋も。体育館では週イチで映画上映もダンスパーティーとかもするし。大学生のための施設でもあるし、職員とその家族のためでもあるんだ」
大学のなかは一つの町といってもいいくらいの規模で、生活に必要なものがすべてそろっているのだ。敷地内から出なくても、卒業まで暮らせそうなくらいだと孝弘が解説する。
「すごいね。あ、あそこ小学校?」
フェンスに囲まれた校庭を祐樹は指さした。鉄棒やジャングルジムなど日本にもあるような遊具が備えられている。
「そう。その向こうが留学生寮」
寮の入り口のカウンターで孝弘は中国人の服務員に「友達が来てるんだ」と声をかけた。部外者は帳簿に記入が必要で、身分証をチェックされた。
6階建ての寮にエレベーターはなかった。あったとしても孝弘は使わないという。
「どうして?」
「しょっちゅう停電するんだ」
数分から数時間で復旧すればいいほうで、夜間だと一晩中停電することも珍しくないらしい。
実際、一晩閉じ込められた別の大学の留学生の話を聞いて、学校のエレベーターには決して乗るまいと決めているとさらっと話す。
「え、それは怖いね」
「うん。高橋さんも気をつけたほうがいいよ」
途中、すれ違った友人に声をかけたりかけられたりしながら4階まで上がる。
開けっ放しのドアに、カーテン代わりにドア枠に押しピンでとめた赤い布をめくって、孝弘は祐樹を招き入れた。
大きな赤い布には、逆さになった福の字が角を下にした正方形のなかにおおきく描いてある。福が落ちてきますようにという意味のそのデザインは、食堂や商店などの壁に貼ってあり、とてもよく見かけるものだ。
コンクリートむき出しの4畳半ほどの正方形の部屋だった。二人部屋なのでその空間の半分が孝弘のスペースだ。
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