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 祐樹はまんべんなく一人一人に声をかけ、控えめに笑いながら会話を交わし、ビールを注いだり注がれたり、いかにも社交慣れしている感じに見えた。  ぼんやりとまるい月を眺める。明るく光った月はぽっかり浮いて、作り物みたいだ。  中国では月にはヒキガエルが住んでいるという。  去年の教科書に載っていた中国の伝説だ。  ヒキガエルってなんだよ。西王母から不老不死の薬を盗んだ嫦娥という女の変化した姿だったっけ? そんなマイナーな生物が月にいるって設定はどうなんだ。  今夜の満月はただきれいで、ヒキガエルなど住んでいそうにない。  月餅の丸。そういや中国人の友人たちからもらって、月餅は10個近く集まった。そんなに食えるかよ。三ヵ月以上もつらしいが、どんな保存料が入ってんだか。  あーでもイギリスの留学生が何年ももつケーキ焼くとか言ってたっけ。    とりとめのないことを考えているうちにすこし眠ったらしい。 「大丈夫です、うちに泊めますから」  遠くから祐樹のやさしい声が聞こえる。夢かな。 「でも明日出発でしょ、いいのかしら?」 「午後だから平気ですよ」 「本当に?」 「ええ、午前中には目を覚ますでしょう」 「そうか。きょうはうちに泊めようと思ってたんだけど」 「お子さん二人、寝ちゃってて大変じゃないですか。上野くん、もって上がれないでしょ」 「確かに。最後に悪いな、じゃあ頼むわ」 「いいですって。じゃあ、おやすみなさい」 「おやすみなさい」 「お世話になりました」 「気を付けて帰ってね」 「ええ、おやすみなさい」  ぼんやりとどこからか声が聞こえていた。  ああ、みんな帰るのか。  俺も帰らなきゃ。  どこへ? 月に? いや違うな。  ふわふわといい気分で酔ったまま、肩をかつがれた。 「ほら、起きて。立てる? 帰るよ、酔っぱらい」 「んー、平気。酔ってないよー」  目を開けると至近距離に祐樹の顔があった。 「あー、高橋さんだ。こんばんは、元気になった?」  うれしくてにこにこ笑いかけると、祐樹が目をみはった。 「なに言ってるの。ずっと一緒だったでしょ。ほら、乗って」  目の前にはタクシーがあった。月に向かうのは嫌だった。 「やだ。まだ飲む。帰らない。月にはヒキガエルがいるんだから」 「ヒキガエル? なに言ってるの。いいから乗って」  タクシーに押し込まれ、孝弘はぼんやりと窓の外を見る。  肩を揺すられて目を覚ましたのは、祐樹のマンションだった。  寮じゃなかった。どうする? 言うか? やめとく?   支えられながら部屋に入って、孝弘はぐらぐら揺れる思考をまとめようとする。 「大丈夫?」 「んー、平気」  いつも泊まっていた部屋のベッドで体を起こした。 「はい、お水飲んで」  グラスを渡されてごくごく飲んだら、その冷たさですこし頭がはっきりした。  どうしようか、いや、迷ってる場合じゃない。  たぶん、これは最後のチャンスだ。

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