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「天津に?」
「そう、あした、通訳として同行をお願いできる?」
安藤の言葉に孝弘はうなずいた。
港に着く急ぎの積み荷の受取りらしい。ほかのスタッフが出払っているので、祐樹が行くことになってしまったそうだ。
「わかりました」
天津までは車で二時間ちょっとの距離だ。
夕方までには帰ってこられるということで、資料を持って出かけたのだが。
「は? 着いてない?」
天津港の事務所に着いて確認してみると、なぜかコンテナは届いていなかった。中国人の担当者は無責任に「我不知道 (知らんよ)」の一言で済ませて知らん顔だ。
祐樹があちこちに電話をかけ、孝弘はそのたびに北京語と日本語で何度もやり取りをした。
結局、中国側の手違いで別のところにコンテナが発送されたことが判明し、その返送手続きをしているうちに日が暮れた。
「はー、まじ疲れた。コンテナが行方不明ってけっこうあるの?」
「日本じゃそんなにないと思うけど、この国ではどうだろうね。あの対応じゃ、よくあることなんじゃないかな」
「でも、高橋さん、あんまり動じないね」
何か所も電話をかけてコンテナの行方を捜しているあいだ、祐樹はほとんどうろたえることはなかった。その度胸というかジタバタしない態度に、孝弘は社会人ってすごいと感心していたのだ。
通訳の孝弘は祐樹のいうとおりに話していればよかったが、一人だったらあんな冷静に相手の話を聞いて会話ができただろうか。
「んー、そんなことないよ。でもここで怒ったり焦ったりしても荷物が出てくるわけじゃないから探すしかないなって。見つかったから冷静でいられるけど、そうじゃなかったら相当焦ったと思うよ」
涼しげな顔でそういわれても。焦った様子なんてこれっぽっちも見せなかった。
中国人相手の仕事でははったりも必要だ。
仕事をしている祐樹はかっこいいと思う。そしてなんだか悔しかった。大人の余裕を見せつけられた気がした。
それなのに。
「上野くんのおかげだよ。やっぱ語学ができるってすごいな。すごく安心できた。ありがとう」
真顔でそんなふうにストレートに信頼を示されて、孝弘は顔が赤くなるのを自覚した。
ちょっと待って、そんな子供みたいな顔でありがとうとか。まじで照れる。
「いやいや、そんな。はいちゃーだゆえんな(まだまだですよ)」
恥ずかしくて思わず棒読み北京語になってしまった。
「ところで、あしたは用事ある?」
「大丈夫、一緒に来るよ」
「じゃなくて、昼にはコンテナ着くから、今から北京戻るより、もう泊まったほうがよくない?」
往復4時間以上だからそのほうがいい。急いでショッピングセンターへ行き、下着と替えのシャツを買った。それからホテルを探す。
「シングル空きがないそうなんで、ツインでいい?」
「いいよ」
交代でシャワーを浴びて、テレビをつけてベッドに転がる。
横を見るとまだ濡れた髪の祐樹が書類に目を通している。その真剣な横顔にどきりと心臓がはねた。仕事中の男の顔した祐樹は格好良かった。
ホテルのオレンジがかった照明のなかで、祐樹のきれいな輪郭がぼんやりとにじむように浮かんでいて、思わず手を伸ばしたくなる。
いや、男の顔に見とれるとか。
自分の気持ちがつかめずに、孝弘は戸惑う。なんだろう、このむずむずする感じ。
夕食のビールが思ったより回っているのかもしれない。
視線を感じたのか、祐樹がふっと顔をあげて孝弘を見た。
「眠いなら寝ていいよ。きょうは疲れたでしょ」
そうか、眠いのかも。
一日、しゃべりっぱなしだったし、緊張したし、中国人相手に怒ったりなだめすかしたり。
仕事って大変なんだな。それがわかっただけでも、このバイトをしてよかったかもしれない。
孝弘はそんなことを思いながら、いつの間にか眠りに落ちた。
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