85 / 157

第20章 5年ぶりの北京

 東京本社での顔合わせから五日後、祐樹は北京事務所で孝弘と再会した。  孝弘は事前に中国入りして諸々の手配を済ませていた。安藤と鈴木はすでに国内の別の事務所に異動になっていたが、今も原田と趙英明は残っており、孝弘とはずっと親交が続いていたようで親し気に話をしている。  祐樹は目の前の孝弘を見て、夢の続きを見ている気分になる。  お互いに社会人の顔で何ごともなかったかのようなふりをして会っているのがふしぎだった。  東京で会ったスーツ姿ではなく、きょうの孝弘はシャツに綿パンツというカジュアルな格好だ。そのせいで五年の時間なんてなかったような錯覚を起こした。  ここで同じような服装でアルバイトしていたのが昨日のことのようだ。仕事帰りに一緒に夕食を食べに行っていたことを鮮やかに思い出した。  孝弘に会ったら何を話せばいいのかと内心、祐樹はあれこれ心配していたのだが、事務所で顔を合わせた孝弘は穏やかな態度で話しかけてきた。  ほかのスタッフもいるのだから当たり前なのだが、ほっとするようなもやもやするような複雑な心境を祐樹は自分でも扱いかねた。  一体どんな態度をとって欲しかったというのか。 「初めて会ったの、王府井(ワンフージン)でしたね」 「そうだね。忘れられない出会いだったな」  祐樹が笑うと孝弘もやわらかく微笑んだ。  笑ってもらったというのに、ふと寂しくなる。あのころ孝弘は営業用の笑顔なんて使わなかった。  基本的に無愛想な表情でいることが多かった。目つきが鋭くて背も高くて、なんとなく怖そうに見えることもあった。  実際に話してみるとけっこう親切で意外と世話好きで、祐樹は中国生活のコツやちょっとした知恵を孝弘に教えてもらったものだった。 「うん。上野くんが留学生だってわかったから、絶対に逃がしちゃだめだと思って必死だったな。ここで通訳を引き受けてもらえなかったら、クライアントになんて詫びたらいいんだろうって、もう心臓バクバクしてた」  あれが運命の輪が回った瞬間だった。  あの日、北京の街角で、「いってーな」と不機嫌そうなあの声を聞いたことが、現在につながっている。 「そんなふうには見えませんでしたけどね。北京は久しぶりでしょう? 行きたい店でもありますか? 同行者の方は日本料理がいいですか?」  中国に着いて最初の食事で腹をこわした祐樹の同行者は、いまはトイレにこもっている。青木は初めての北京で、どうやらあまり胃腸が強くないようだ。  それを気遣った孝弘の問いかけだったのだが、祐樹はくすぐったい顔になる。 「なんですか?」 「いや、上野くんからそんな言葉遣いされたことなかったから、なんか新鮮というか照れるというか」  孝弘はきまり悪げにこめかみを掻いた。 「それはだって…、高橋さんは今はクライアントですし。学生のころと同じってわけにはいかないでしょ」  あのころ孝弘は祐樹に対して敬語は使わなかった。中国初心者の祐樹に頼もしい友人のように接していたのだ。

ともだちにシェアしよう!