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第31章 意識のありか
安藤と二人で病室で夕食を食べた。
「腕どうだ? まだ痛むか?」
「痛み止め効いててあんまり感じません。ていうか、中国の薬ってめちゃめちゃ効きよくないですか?」
「ああ、言える。どんな成分入ってるんだろうな」
寝ている孝弘のそばでふつうに会話したのは、声が聞こえたら目が覚めるかと期待したのだが、眠ったままだ。
意識ってどこにあるんだろう。
どうすれば戻ってくる?
食事を終えて安藤がホテルに帰ると、今朝そうしたように名前を呼びながら布団をめくって、パジャマのうえから孝弘の心臓の音を確かめた。
とくとくと少しゆっくりな心音が手のひらから伝わってくる。
大丈夫、温かい。
祐樹はベッドの横に椅子を持ってきて座った。
そっと布団のなかをさぐって孝弘の手を握りこむ。
握り返してもこないって、どういうことだよ。
おれが手、つないでやってんのに、ねえ。
「起きてよ、孝弘」
静かな呼吸は乱れることなく、祐樹はじっと孝弘の寝顔を見つめていた。
窓を見あげれば、薄いカーテン越しにまるい月が透けていた。
満月を見ると中秋節の夜を思い出す。
5年前の中秋節。
最初で最後だと思って抱かれた記憶。
苦くてあまい思い出。
孝弘の熱い手を覚えている。
すこし戸惑いながら、でも情熱的にやさしく祐樹を愛撫した。
まっすぐな濡れたまなざしも。
触れた肌のしっとりした熱も。
あの最後の夜、抱き合った記憶が、2日前の夜と重なってよみがえりそうになり、慌てて振り払う。
あれから祐樹は満月が嫌いになった。
まるい月を見ると孝弘を思い出す。日常生活の中では、忙しいからふだんは満月など気に留めていない。
しかしいちばん忘れたい中秋節だけは毎年、嫌でも意識する。
中国に住んでいれば、中秋節は毎年盛大に祝うべき伝統祝日で、忘れようにも忘れさせてもらえないのだ。
8月になればどこのショッピングセンターにも月餅売り場が大きく展開し、赤と金の装飾が派手に飾られはじめる。取引先からは豪華な化粧箱入りの月餅がいくつも届き、こちらも贈り返す手配をする。
街中にいても灯籠の飾りつけや伝統食の用意、月見の宴会の誘いなどが目や耳に入り、中秋節は毎年、嫌でも意識させられるのだ。
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