139 / 157

31-2

 それでもなんとか忘れたふりをしてきたのに、でもそんなことは無駄なことだったのだと思い知る。  忘れたふりで心の奥底にそっと大切にしまったはずなのに、いつだって孝弘のことは意識のどこかにあったのだ。    薄闇のなかで「祐樹」とやさしく呼ばれた。  祐樹の好きな低いささやき声。 「好きだよ」  さわさわと髪をなでられて、気持ちがいいとその手に擦り寄った。頬を包まれて、手のひらの温かさと気持ちよさに微笑む。  くすりと笑う気配。  ……ああ、夢を見ている?  ふと、やわらかいなにかが唇に触れて、祐樹はふわりと目を開いた。  目を開けても視界が暗くて、あれ…?と思う。  ここはどこだったっけ? 「起きた?」   声を掛けられて、ぼんやり頭を起こした。  笑いをふくんだ低くあまい声。  孝弘が身を引いて間近で目が合って、それでキスされていたのだとわかった。  孝弘はベッドに横たわった状態で、祐樹は片頬を布団につけて寝ていたようだ。 「孝弘?」 「うん」  これはまだ夢のなかだろうか。  横になったままの孝弘に、やさしい手つきで頬をなでられた。  手のひらがほんわりと温かい。その感触がやけにリアルだ。 「どうしたの、なんかかわいい顔してる」 「え?」 「孝弘ってもう一回、呼んで」 「孝弘?」  誘われるまま名前を呼んだら、孝弘が目を細めてとてもうれしそうに笑った。  そこではっと目が覚めた。 「上野くん!」  意識が戻ってる!  がばっと身を起こした。 「あーあ、目が覚めちゃった?」  孝弘が残念そうに、かわいかったのになとつぶやく。 「目が覚めちゃったじゃねーだろ。そっちこそ、いつ起きたんだよ。勝手にいたずらしてんじゃねーよ」  安堵のあまり、乱暴な言葉になってしまう。  うれしさが突き抜けて、何を考えていいかわからなかった。 「うわー、祐樹がそんな言葉使いするなんて、すげー新鮮」  状況がわかっていない孝弘はのんきなものだった。 「ていうか、ここ病院? 祐樹は平気なのか?」 「それどころじゃないって。事故からもう2日も経ってんのに! 麻酔はとっくに切れてるのに目が覚めなくて、人がどんだけ心配したと思って」  祐樹が言えたのはそこまでで、つんと鼻の奥が熱くなって胸がつまったと思ったら、あっという間に涙があふれた。  孝弘が目をまん丸に見開いて、驚いた顔で祐樹を見つめた。  止めようもなくぽろぽろ涙がこぼれ落ちて、シーツにいくつも染みを作っていく。 「心配かけてごめんな」  頭を抱き寄せられて、耳元にそっと謝罪が落ちて来た。

ともだちにシェアしよう!