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52 恋の行方 三枝

     *  翌朝、航が仕事に出てから朝食の支度をしていると、スマホが鳴った。 「こんな朝早くに…」 『おい、ニュース見たか?』  医者の清原た。 「なんだ、藪から棒に」  言われて台所から、TVのある部屋へ移動する。 『隣に…いるのか?』 「いや、まだ寝てるよ」  いいながらTVを点けるが、台風の爪痕のニュースしかやっていない。こちらではそれが一番のニュースだ。 「まさか…」  都会で起こった事件など、こちらではやっていない。 『スマホと財布を渡された。多分、同居人に会ったってことだよな。その日からあのジジィ、帰ってこなくてさ。実は……』  電話を切って、呆然としていた。それほど長い時間ではなかったと思うが、立ち上がって新聞を取りに行こうと縁側へ近づくと、廊下でそれが開かれているのが見えた。  障子の向こうに座るのが、航ならいいと思いながら大股で近付いた。 「…ハル」  白い顔を上げて、向野がまた紙面に視線を戻した。三枝は、膝を落として隣から記事を見た。 『昨夜未明、中野区のマンションで男女2名が重症を負った事件で、住所不定の山口敦史(27歳)を現行犯逮捕した。事件があったのはX日午前2時ごろ、中野区のマンションで悲鳴が聞こえたとの110番通報を受け、警察が駆けつけた。住人の女性が頭から血を流して倒れており、血まみれの男が包丁を持って暴れていたという。女性の悲鳴を聞き、助けに入ったとみられる男性は、数ヶ所を切りつけられており、病院に運ばれたが命に別状はないという。山口は今年4月に女性への暴行と窃盗の罪で起訴されていたが、被害女性が起訴を取り下げたため不起訴となっていた。 男は当時危険ドラックおよび大麻を所持しており、他人名義のクレジットカードや借用書なども見つかったことから、余罪があるものとみて山口の回復をまって慎重に調べるという。』 「これ…」  読み終わる頃をまって、向野が口を開いたが、言葉は続かなかった。 「助けに入った男性って、君のお父さんみたいだよ」 「…やっぱり」  震える喉を押さえるように、向野が手を添えた。 「なんでわかるの?」  向野が首を振る。 「ただ、なんか、昔からシャーマンみたいなとこあるから」  ぼんやりとしかわからないその言葉を聞きながら、なんとなく納得した。 「お見舞いに…」  向野は首を振って新聞をとじた。 「あの人はきっと、完全犯罪を狙っていると思うから、接触しないほうがいいよ」  清原の言葉を思い出す。 『なにかあっても、心配するなって言われた。ここに滞在してたことも、誰にもいうなって』  完全犯罪――。女性の悲鳴を聞き、助けに入って応戦した? 猫の飼い主がその女性だとしたら、彼女の自宅周辺で待機し、悲鳴を合図に入って行ったということも考えられる。 『ネットの情報だと、警察が駆けつけた時には、捕まった男は股間を押さえて、廊下で包丁を振り回していたらしい。斬りおとされて、痛くて暴れてたんじゃねーかな? 暴れる男と応戦したってことになってるけど……復讐にしちゃ完璧すぎだ』  自分のものではないが、そんな話をされると身体が竦む。身震いしたところを見たのか、向野は冷徹に言う。 「正当防衛を演出するために怪我したなら、覚悟の上でしょう」  無情なことを言いながら、向野は唇を噛んだ。父親について、好き嫌いと決められるほど…と彼は言ったが、確かに複雑な感情がある。話してみてそう感じただけに、この状況を感謝すべきか、やりすぎだと批難すべきか三枝にもわからない。  自分にはできないことを成し遂げる力を羨ましくは思った。呪うくらいしかできない自分に比べ、遥かに行動力も推理力もある。自らの手で私刑を行いつつさらに、社会から隔離されるよう確実に追い詰めている。クスリや大麻でラリっている奴が、事実を伝えたとしても通用しないだろう。もみ合っているうちに大事な箇所を切り落としてしまった。正義感で飛び込んだ男が傷を負いながらも、被害女性を守って正当防衛? 被害者として向野の名前が上がらない限り、春山の素性も警察に伝わらないだろう。そうなれば、完全に善意の一般人の武勇伝となるはずだ。  正当防衛、向野からでた言葉だ。向野もそれを理解しているということだ。 「…こんな奴のこと想って、ちゃんとケリをつけようとしていた自分が悲しいよ」  向野は何度も新聞を畳んで、ついにポストに入っていた形に直すと、すっと押しやった。三枝はそれを受け取って、雑にTVの前に投げる。  終わったことだ、投げ捨てるようなことなのだ。「こんな奴」と向野は吐き捨てた。もう、向野の中で彼への恋は終わったのだと思った。 「すれ違いの生活になると、振り返って自分を責めがちだからね…」  苦い過去を思い出しながら言うと、向野も頷いた。 「ルール決めとく? 喧嘩したとき、とか」 「喧嘩、したくないよ」  三枝は向野に顔を近づけて囁く。 「多分、怒らせることはあるかもしれないけど、恋にルールはない。顔も見たくないと思うなら、出て行っても構わない」  縛りつけてまで、自分のものにしたいとは思わない。 「ただ、半身を切られたような痛みを抱えて、僕は君を探すだろう。君は怒りに任せて、僕を思い出さないならしょうがないけど、君がもしもまだ僕に恋をしているなら、僕の痛みが届くはずだ」  うん、と頷き向野が言う。 「思ったことを、京さんにぶつけたくて帰るね」  日差しを受けた向野の瞳が茶色く輝く。綺麗だと思った。 「京さんが浮気したら?」  笑ってしまう。 「こんなに、一瞬一瞬、恋をしているのに?」  向野がそっと口接けてくれた。  終わり  

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