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51 ふたり 三枝

 昼前には一気に晴れた。風は強いが、庭先で洗ったシーツを干していると父親から連絡があった。お互い安否確認をして短い電話が終わる。  縁側に座った向野が不思議そうに見ていたので、隣に座った。 「ハルはお父さん、好き?」 「…好き嫌いって決めるほど会ってないよ」  つまらなそうにそう言った。ならばきっと、自分から憶測をいうべきではない。いつかお互いが直接会って、話すべきなのだろう。 「君のスマホと財布をみつけたのも親父さんだよ。お金も取り返してくれたらしい」 「……」  驚いたように目を見開いたが、向野はぐるりと視線を回すと、 「…他国で企業探偵みたいな仕事してるって言ってたから、そういうこともできるんだろうね」  感情を込めないような淡々とした口ぶりだった。猫のことも話しておく。 「うん、元気でいるなら…。ちゃんと愛されてるなら、いいよ」  そういいながら、寂しげに笑う顔に胸が痛んだ。 「猫、飼いたい?」 「今はいい…」  首を振りながら、「て、いうかさ…」と言い淀む。促す代わりに顔を覗き込むと、向野は片膝を立てて、手の甲を口元に当てた。少し、その姿を懐かしいと思った。 「ここにはいつまで居るつもり?」 「考えてないけど、少なくとも君の傷が癒えるまで」 「そのあと…は?」  ああ、そんな話もできる状態ではなかったから、なにも言ってなかったことに今更気付いた。 「よければ、僕の部屋で一緒に暮らしてほしい」 「…よければ?」 「…悪くても?」言い直す。  口元を隠していた手を、向野は顎の下に置いて微笑む。 「野郎同士だから、結婚とかそういうの考えてないけど、必要だっていうなら籍も入れよう」 「…そういうの、考えたことないよ」  苦虫を噛み潰したような顔で向野が言う。バサバサとシーツが強風に煽られて靡いた。波の荒い青い海が、シーツの隙間からチラチラと見える。公園前のマンションを引き払って、二人の心地よい住居を作りたい。そういうと向野は思い描くように微笑んで目を閉じたが、ゆっくりと目を開いた。 「でも、俺…」  でも、と続く言葉に不安を感じて、三枝はただ、波の先を目で追った。 「式は挙げたいな。神様でもいいから、愛する人を見せびらかしたい」 「……」 「でへっ」  高い笑い声に驚いて横をみると、同じように驚いた顔の向野と目が合う。向野の目線が下に落ちると、床についていた指を奈都が握りながら笑っていた。 「でへ」  向野は顔を赤くしながら、噴き出した。 「なんだもう! 京さんの手にしては熱いとおも…」  奈都の後ろで、ニヤニヤしながらヤンキー座りしている航を見つけて、さらに飛びのいた。 「それ、俺も呼んでね。お兄ちゃん」  裸足で庭に降りた向野は、火を噴いたように顔を赤らめている。 「やめろ、バカ」  奈都が手を伸ばして縁側から落ちそうになるのを、向野が慌てて寄ってきて抱き上げる。そうするだろうと思っていたように、航はのんびりと三枝の横ににじり寄ってきて笑った。向野は奈都を抱き上げて、大股で離れていく。 「あれれ? 台風だったのに、出かけたぁ?」 「…は?」  航が首から肩にかけて手で掻くような仕草をし、 「でかい猫に襲われた?」揶揄された。  Tシャツから見えていただろうか。 「…ヤマネコが、飛んできたんだよ」 「そりゃあよかった」  いいながら航が隣であぐらをかく。奈都が手を上げて、向野の頬を叩くのが見えた。向野が笑って返す。普通の男女のやりとりのように。 「ありがとう。おかげであんなに笑ってる」 「…別に。話聞いてやっただけだよ」  両手を後ろについて、二人を眺める。 「パニックにならなかったのは、きっと、航にも聞いてもらってたから…」 「違うよ」  航が脹脛を揉みながら言う。 「話すことってさ、自浄作用があるから、誰が聞いてもいいのかなって思ったけど…。トラウマってさ、ここが安全な場所だってことと、信頼できる人がいることと同じくらいに、自分を信じる力だと思うからさ。 『オマエはどこも悪くない、フツーにいい奴だって』思ったこと、言っただけだよ」  自分以外にも認めてくれる人がいるということは、向野の力になるはずだ。悪い人ばかりではない。歩き出そうとする人に、手を貸してくれる人は”普通”にいる。 「…だから、ありがとう」 「兄弟が一人増えるんだから、そんな改まるなや」  航はニヤニヤしながら、顔を覗き込んできた。 「オマエのそういうとこ嫌い…」 「ぷ、似てんな、アンタら。みて、ハルがそろそろ体力の限界らしいよ」  見ると奈都の重さに耐えかねて、中腰で耐えているようだ。面白がって奈都が暴れている。朝方、念のため、サポーターをつけておいてよかったと思いながら、立ち上がった。

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