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第1話

〈章也〉 俺は篠原章也、24歳。 京都の国立大、京大学工学部の現在M2。 ここで散々下半身が世話になった若き准教授の早川歩(はやかわあゆむ)が、大学に残って自分の研究室の手伝いをしてくれないか、と言ってきて ―それもいいかなぁ…どうせ享は手に入らない。歩はけっこう気に入ってるし… 等と、このまま大学に残ることを薄らぼんやり考えている。 14の時に会った、兄貴の親友の恋人、長瀬享に一目惚れ。 享の彼氏の名知は、兄貴の親友でありながら、他人ではただ一人、俺がリスペクトする男だった。 だから、諦めていたのにその名知が死んだ。 俺が亨に初めて会ったのは、名知の職場。 職場ってのは、亨の通う中学だ。 名知と亨は、同性愛というだけでなく、年の差(バリバリの淫交だな)、教師と生徒という二罪を犯してまでも愛し合った運命の恋人だった。 名知は当時アメリカ住みだった俺が帰国する日、空港まで送ってきて、自分に何かあった時は亨を託したい、なんて言いやがった。 その時、何を名知が考えていたかは解らない。 もちろん 「断る」 と言ってやったわけだが、名知の死を知った俺は、日本へ飛んだ。 壊れてしまった享を、名知の代わりになって守る為に。 あれから約8年。 色々あって俺と享は、今は『体の関係もある最強の親友』という位置に収まっている。 享はバイのリバタチ。 男も女も相手にするが、全て攻め。 俺にだけ、抱かれるのだ。 大学が京都と東京で離れているが、今日も俺は享を抱きにはるばる京都からやってきた。 だが、今日は、あいにく享が来春から就職することが内定している五ノ井不動産恒例の、新人トップのお披露目会らしい。 享を食うのは深夜までおあずけ。 で、俺は、まあ、俺の享が日本を代表する企業の新人トップなのは当たり前だが、一応、あの美貌だ、何が起こるか判らん、と実家の指定暴力団、一世会若頭の薗崎桂を伴って、銀座の料亭「一会」で、隣の部屋から漏れ聞こえる声に耳をすませてる、ってわけだ。 しばらくは和やかに歓談が続いていて 「早く終わんねーかなー。おい、桂、お前ちょっと怖がらせて早く散らして来いよ」 などと言っていたのだが、事態が急変した。 「長瀬!」 「何考えてる?先生を誰だと思ってるんだ?!言ってみろ!幼稚園児でも言える言葉を、今年の新人トップは言えんのか?!」 「申し訳ありません!…申し訳ありません!!」 「貴様っ!ここを何処だと思ってる?!何を考えてるんだ?!!」 オヤジ共の怒声と享の必死の謝罪の声。 ―享!…何だ?!たった一人の青二才相手にオヤジどもが寄って集って、可哀想に!小曽根は総理だし、ここは個室だ、総理と呼んで何が悪い!何の先生だ、っつーんだっ!虐めだ、虐め! 享は、死んでしまった最愛の恋人、安西名知の生徒だった。 名知をずっと『先生』と呼んでいた享にとって『先生』は名知の名前。 名知の死後、その単語を言えなくなってしまっているのだ。 享が五ノ井の社長に宴席に喚ばれた、と言った時から何か胸騒ぎはしていた。 「おい、桂、もう我慢出来ねぇ。行くぞ」 「待って、章也さん、大丈夫です」 「んだと?桂、てめぇ、享に何かあったら・・」 俺が桂の襟首を締め上げた時― カターン! 勢いよく襖が開く音がした。 「ほら、お出ましだ」 桂があまり見たことのない、胸のすくような笑顔を見せた。 ―お出まし?誰が?? 「おや?小曽根さんじゃないですか。あれ、僕、部屋を間違えたな」 天から降ってくるように厳かで…だが、小鳥の囀りのような可憐な、聞いたこともない美しい声が聞こえる。 「お…お、これは…陽季さん。こちらこそ、朝はご馳走さまでした。いつもながら、あなたの淹れるコーヒーは最高に美味だ。あの……また…奇遇ですな…」 総理が急に狼狽えるような声に変わった。 ―ハルキ…?誰だ?僕、と言ったな、男? 場の雰囲気がガラリと変わる気配がする。 お偉方達が、慌てふためいてワイワイやっている。 「あー、煩い、暑苦しい」 綺麗な声が囀る。 「き、君!声が大きい!」 誰かの声がして 「こ、これは大変、失礼をッ」 誰かが謝る。 「あれ?そちらは岩名さんじゃないですか。お久しぶりです」 岩名さん、だと?…五ノ井不動産の社長を知ってるのか…?! 「はい…その節は…。関兼さん。本日は、大変…ッ…その、失礼を…」 焦りまくった声。 ―関兼……関兼グループの関兼か? 「長瀬!長瀬じゃないか!懐かしい!すごいね、長瀬、五ノ井に入ったの?流石、A組の秀才だ!」 俺は桂を見る。 桂はいつもの穏やかな笑顔で意味ありげに頷く。 高校時代の享を知ってる? じゃ、俺も?知ってる?? え、でも、関兼なんていなかったぞ? じゃ、中学?? 呆気に取られてその後の会話は耳に入って来なかった。 「章也さん、席に戻って」 桂に肩を叩かれ、テーブルに戻って胡座をかく。 数分後、まるで額の中に描かれた日本人形の様な男?(ほぼほぼ女…?)正直、性別不明なヤツに手を引かれて享が部屋に入ってきた。 「享!」 俺は駆け寄る。 「章也…。桂さんも…」 享が、ワケが解らない、といった風に俺たちを見比べるようにする。 「え?関兼と…章也?章也!!関兼を?!お前!!」 享の野郎、俺がこんなに心配して来てやったのに、俺が関兼を食ったかのような勢いで噛み付いてきた。 おいおい誤解もいいとこだぜ!! 「は?!てめ、何言ってんだ!桂だ、桂!桂の知り合い!俺は、こちらとは初対面だ、っての!!あ…ども…」 ちょっと、目を合わせにくい。 ―どうした、俺ッ……! 今までだって、ダントツの享を含め、綺麗な男は散ッざん…見てきた。 まだ子供だったせいもあるかも知れないが、この一目惚れした享でさえ、俺はジロジロ無遠慮に眺めることが出来たんだ。 だが、関兼陽季は男か女か、以前に、人か人形か神か?くらい、並外れた空気で、ただ見るのにも許可なくしてはダメ、という雰囲気なのだ。 今更ながら、オッサン共の狼狽を身を持って知る、と言うか…。 さすがの俺も、関兼陽季にかかっちゃ子犬ちゃん……? いや…いや、そんなのは篠原章也じゃねぇ。 章也!何か、ガツンと言ってやれッ…… 手を握り合って、泣きながら話す享と関兼を憮然と…横から、見つめる。 横からなら見れる。 関兼は名知のことも、享と名知の関係も、深く知っているようだ。 ちょっと面白くねぇな。享のことを、俺より知ってるのか?この人形は…。 その後の2人の話で、どうやら関兼は、名知の死に深く関わったらしいことが解った。 「あ…彼は…長瀬の…?」 いきなり、俺に話題が来て狼狽えるが、それ以上に享のヤツは、どう答えるべきかと迷っているのだろう、目を泳がせて狼狽えている。 そんな享を見て、俺は平静を取り戻した。 「いや。違う」 いきなり違う所から返事が来て、驚いたのか、関兼が俺を見た。 じっと見てくる目を、受け止める。 闇のような真っ黒の瞳…… ……ダメだ… 逃げてしまった。 関兼のその漆黒の瞳は、まるで奈落の底のようだったから…… 俺は、目を合わさずに続けた。 「俺は享に惚れてるが、享の心は相変わらず、名知のもんだ」 それを聞いて、関兼は慌てた様子で 「あ、ああ…何か、すみません、僕…。不躾でした…、その、てっきり…いや、これも…良くないな、こんな言い方…ああ、どうしよう…すみません、僕…」 と、救いを求めるように享を見た。 だが、享も俺を気遣ってか何も言えない。 ―止めてくれよ…今更気を遣うな…変に凹む。 「いいんだ。困るな。小曽根とやりあってたアンタは、日本一凄かったぜ?急に可愛くなっちまったな」 「……」 あれ?返事は?? じゃ、もう一押し… 「しっかし、恐ろしく綺麗なツラだな。享とはまた違う。享は極上のツラだけど、どっからどう見ても男だ。だけどアンタ、女みてぇだ。オネエ?」 「章也!」 「章也さん!」 享と桂が同時に声を上げ、関兼が固まった。

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