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春  1

電車で大阪遠征に行くと聞かされて、今西光(いまにしひかる)は大いに拗ねた。せっかくカッコいい4WDのRV車を買ったのに。仕事道具をたんまり積み込んで、うんと遠くまでドライブできるようになったのに。 「しょうがないよ、大阪って言っても、今回の仕事場所は梅田とか、とにかく都心で。車の方が不便なんだ。新幹線だとあっという間だよ、新幹線、乗りたくない? 一番早い便のグリーン席取ったし。普通に考えたら、充分贅沢だと思うんだけどな。移動中にゲームもできるよ」 だがそれがどれほどに便利な移動手段なのか、光にはさっぱりわからない。いつまでも口を尖らせる相方の機嫌を宥めようと、相羽勝行(あいわかつゆき)が必死に新幹線移動の魅力を語っていた。 別に新幹線が嫌いなわけではない。正直わがままを言っている自覚はあるのだ。だがとりあえず拗ねれば勝行が困った顔をしながら構ってくれる。そんな関係も少し楽しいと思っていると告白すれば、この男は怒るだろうか。 「どうして車がよかったんだ?」 「……わかんねえの?」 ご機嫌直しに買ってもらった持ち帰り用のカフェモカ・フラペチーノを啜りながら、光はコイツなんで気づかないんだろう、と盛大にため息をついた。 「決まってんだろ。お前とキスできねえからだよ」 「……は?」 「車だったら二人っきりで、堂々といっぱいできたのに」 「ちょ……」 「はー。気づかないなんてホントだっせー。それでも俺のコイビト?」 「こ……恋人って? なんだよいきなり」 「この前、ファンの誰かが言ってきた。勝行はぁ、俺のカノジョだって」 冗談じゃない、とでも言いたそうな顔をしている勝行を覗き込みながら、光は「だからちゃんと訂正したぞ」とぶっきらぼうに付け足した。 「……なんて?」 「オンナじゃねえ、オトコだって」 「……」 「そしたら、『どっちがどっちでも恋人には違いない』って言われた。だからまあ、それなら別にいいかなって」 「そ、そんな誤解を生みかねない公式交際発言、いつの間に!」 驚きのあまり声を荒げた勝行の顔は真っ赤だ。 二人の世間での肩書は、二人組Jロックバンド『WINGS』。元々仲良しコンビという評判もあるし、顔もいいせいか、芸能事務所側の狙いで若干腐女子向けアイドルバンドとして人気を博している。ファンサ―ビスでいちゃつくポーズを撮ることもしょっちゅうあるし、今更公式で「恋人関係」を匂わせても特に大騒ぎになるとは思わないのだが。 「コイビトって、好きな人のことじゃねえの?」 「そうだけど……それもそうだけど! 俺たちが『付き合ってる』……みたいな、勘違いされる発言はダメだ、スキャンダルになれば事務所に迷惑かかるし色々……そう、色々支障が出て仕事減るかもしれないし!」 「えー? 意味がわからねえ……俺らが仲良くしてちゃダメなのか?」 「いやそこはダメじゃない!」 「じゃあ別にいいだろ。俺はとにかく、家以外でもキスしたいだけ」 光はそう告げると、白昼堂々道端で勝行にフレンチ・キスを落とした。当然の如く、ゲンコツが頭上に飛んでくる。 「いっっっって」 「馬鹿、だからそれがダメだって」 「俺はこれがしたいんだっつーの! 殴んなよ」 平行線を辿る一方の痴話喧嘩を前に、気づけばひそひそと話しながら二人を取り囲むギャラリーができていた。埒が明かないと気付いた勝行は強引に光の腕を引っ張ると、ショッピングセンターの多目的トイレに駆け込んだ。 大人しくついてきた光は、怒りながら勝行がここまで来たら、この後何をしてくれるのか知っている。だから期待に胸を膨らませつつ、残りのフラペチーノを急いで飲みきった。 「移動中キスできない分、ここでたっぷりしてやるから、それで我慢しろ」 「……うん」 個室に潜り込み、顔と顔の隙間を一センチまで近づけて、勝行は耳打ちした。熱い息が肌に触れて、ごくりと光の喉が鳴る。 「あと、外では付き合ってるって言うな。俺たちは……」 「わかってる。兄弟っつってんのに、聞く耳持たねえ女だったんだよ」 「どういうファンか知らないけど、対応に困ったら俺を呼べよ。いいな? 変な奴と二人っきりになるとか、言語道断だからな」 「……うん……わかったから、早く……」 待ちきれない光の両腕が、お小言も忠告もおざなりにして勝行の背を抱いた。真っ赤に染まったその耳元で、吐息を何度も零されては我慢の限界が近い。 もう何年も二人きりで同居生活していて、お風呂もご飯も一緒。同じベッドで添い寝したり、キスして身体をまさぐり合う仲であったとしても。 『WINGS』は、義兄弟である。

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