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春  10

** 『新幹線をご利用いただきまして、ありがとうございます。間もなく二十五番線に――』 沢山の人が左右に散らばって交差していく。同じ方向に進む人もいるけれど、最後までずっと一緒にいる人なんていない。偶然が呼んだただの組み合わせ。 次に目を開いた時、隣に立っていた友人が、まだずっと同じ場所にいるなんて保証はどこにもない。それは、至極贅沢な話だ。 光は新大阪駅のホーム、名古屋・東京方面と書かれた看板の下にいた。遠く反対側に見えるのは、神戸・広島方面と書かれたホーム。向かい合う同じ看板には同じ地名が書いてあるのに、進行方向・矢印の先だけが異なる。 遠くにいて、声がすぐに届かなくて、触れることもできない、大切な人。そんな友人や血のつながる弟は、あの向こう側のホームの行き先にいる。そして誰よりも光を守り、愛しんできた男が服役している刑務所は、また別の行き先に。 (……会いたいなあ) まるで分岐点に立たされたみたいだ。選択肢がいくつもある沢山のホームが目に映る。だが「天国方面」と書かれた看板はさすがにない。あるとしたら、それは自分の命に限界が到達した時。その時は突然目の前に現れるだろう。行き先を選ぶ余地もない状態で、大好きな人も、音楽も、すべて取り上げられて、たった一人。 できれば、乗りたくない。しかしそれに乗れば、もしかすると――。 (会えるのかな……母さんに) ぼんやりそんなことを考えていたら、ホームにするりと新幹線が進入してくる。視界が大物の機体に遮られ、沢山あった看板は何一つ見えなくなった。 「ほら行くよ、光」 勝行の声が耳に届く。振り返る間もなくついと手を引かれ、光は車両内の指定席前にやってきた。ゆったり過ごせる二人掛けの座席。大好きな窓際を譲ってもらった光は、先に座って早速外を見つめた。 ふいに突然、ふわりと肉汁漂う旨そうな香りが漂ってきた。と同時に、お腹がぐうと鳴り響く。視線を上げれば、隣に座る勝行が、嬉しそうに紙袋を下げて通路を歩く片岡に話しかけていた。 「片岡さん何買ってきたんですか」 「いやあ、美味しそうな匂いに釣られてつい買ってしまいました。大阪名物、豚まんです。有名なんですよ」 「はあ……」 「豚まん!」 光は思わず身を乗り出してその紙袋の中を覗き込み、赤い箱を見て「俺これ知ってる!」と目を輝かせた。 「おっ、さすが関西出身の光さん。ご存知でしたか」 「俺の母さんがまだ生きてる時、もらって食ったことあんの。これすっげえうまくて、肉いっぱい詰まってて、高いやつ。贅沢なんだぞっ、スーパーで買う五個入り二九八円の肉まんより断然旨い」 「へえ、そうなの。でもそれ、ニンニク臭がするんじゃ……」 臭いのきついものが苦手な勝行は、眉間に皺を寄せながら鼻を鳴らした。 「大丈夫ですよ勝行さん、ここの豚まんは豚肉と玉ねぎしか使ってなくて、ニンニク入ってないんです。昔ながらの素朴な味ってやつですね」 「へえ……」 「よかったら、移動中にお席で食べませんか? 出来立てほやほやです」 「えっ、マジで? 食う!」 目を輝かせて喜ぶ光の笑顔を見て、ダメとは言えない勝行は「……しょうがないなあ、もう」と苦笑した。 片岡に一つもらい、からしもつけてもらって、光は早速脂ギトギトの豚まんにかぶりつく。こってりな肉汁が、じゅわり口の中に広がっていくのがたまらない。 「うんまー。……あれ、勝行食べないの?」 「……そんな風に、幸せそうに食べてる光を見てるだけでお腹いっぱいだよ」 「なんだそれ。よくわかんねえけど腹減ってないのか」 「そうだね。光、からしが口についてる」 「んん……」 すかさずティッシュで口元の黄色いたれを拭きながら、勝行は心配そうな顔でいつまでもこちらを覗き込んでいた。そんな顔しなくても、喉詰めたりしないのに――なんてことを思いながら、光は目の前の分厚い皮を口に放り込む。かなり大きな豚まんだが、光の手にかかれば消えるのはあっという間だ。夢中で食べるその間、勝行は何か言いたげな表情で光を見つめていた。 新幹線はいつの間にか目的地に向かって滑り出していた。ガタゴトンと揺れる運転音に合わせて景色が次々スライドしていく。 「なあ……お前さ、あの時椚田さんと何話してたの」 「ん?」 ふいに勝行から訊かれたものの、誰のことか本気でわからず首を傾げていたら、お前にたこ焼きの店教えてくれた人だよ、と言われて納得する。 ――リョウのことか。 「歌の話」 「歌の……?」 「あいつ、『over the clouds』聴いて、自分のこと歌ってるみたいだって思ったって。だから遠くにいる恋人に会いたくなったってさ」 「へえ……?」 驚きつつも、どこかホッとしたかのような表情で勝行はこちらを見つめていた。 「逢えなくて寂しい気持ち、共感したって。そんな理由で俺たちの曲聴いてくれる人もいるんだなって思うと、俺もなんか急に寂しくなった。だからライブ観に来て、元気になってくれたかどうか確認したくてさ」 「そっか。寂しい気持ち、か……」 彼の曲を作った時のことを覚えている勝行は、辛そうな面持ちでぼつりと零した。 「でも俺は、最初から行先の違う電車に乗って帰るなんて、辛くてできねえし。だからあいつの言う【恋愛】にはぜんっぜん共感できねえ」 「え? どういうこと」 タイミングよく、反対向きに走る電車がすれ違った。風圧でガンッと窓が揺れる。 「んー。俺には勝行が居て『よかった』って思った。以上! おわり」 「ええ? ますますよくわからないな。なんで俺」 「わかんねーの? ほんっとにお前、こーゆーの鈍いよな」 はああ、とわざとらしくため息をついた光は、戸惑う勝行の腕を強引に引き寄せ、頬にリップ音を立てた。 「ちょっ……」 「誰も見てない」 「そうじゃなくて……」 勝行を抱き寄せ、小声で囁く光の唇は、いつも以上に艶やかで熱を帯びていた。 「本気で好きな人とはずっと触れていたいし、離れたくないって……お前は思わないの?」 そんな甘ったるい言葉を投げかけられた勝行の頬は、少し赤らんだ。少しは光の言いたいことが伝わったらしい。そんな反応を見て「可愛いなお前」と真顔で覗き込んだら、またゲンコツが飛んできた。 「電車の中でキスはダメ!」 「まだしてないのに殴るなよ」 「する気満々だっただろうが、今のは雰囲気で察した」 「だって寂しいもん。大阪は温かったなー、優しい世界だったなあ。俺の見た目ばっかじゃなくて、ちゃんと『音楽』聴いてくれる人にも会えて」 「え……」 何をどう勘違いしたのか、本気で強張った顔を見せる彼の反応が面白くて、光は再び勝行の身体に抱きついた。 「でもさ」 「……な、何?」 「大阪の空も、東京の空と繋がってるんだろ?」 「うん、そうだね」 「ならよかった」 自分には勝行がいる。ちゃんとすぐ隣で抱きしめてくれる。弱虫で臆病な自分の代わりに歌声を紡ぎながら、前を向いて一緒に生きてくれる相方が。 だから好きな人と好きな時に手を繋ぐこともできないリョウの代わりに、自分の歌が、彼の恋人の元に届けばいい。 できればもう逢えない最愛の家族にも、届くことを願って。 「また俺の作った歌、歌ってくれよな、勝行」 「ん? いいよ。……何、今ここで?」 「それもいいな」 何も言わなくてもしっかり手を繋いでくれる勝行の肩に頭を垂らし、そのぬくもりを肌で感じながら、光は遠ざかる大阪の景色をぼんやり眺めていた。 おわり

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