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春  9

なんだかんだで長い時間そこに居たようで、外に出た時はかなりオレンジ色が落ちた薄紫の空に変わっていた。もう夜になる。 「はーなんか疲れたな。何食って帰ろうか……」 店の入り口から少し離れてスマホを取り出し、壁にもたれると意味もなくメッセージアプリを開いた。恋人からの着信履歴など何もない。なんだか無性に声が聴きたいと思ったが、彼の業務多忙な時間帯に用事のない電話なんてかけられるはずがないし――。 「あ、居た」 ふいに聞き覚えのあるまったりとした中音域が聴こえ、リョウは声のする方を振り返った。逆行する通行人にぶつかりながら、懸命にこっちへやってくる青年がいる。頭が金髪で、緑色のメッシュが揺らめいていて。――遠目に見てもすぐわかる、ド派手なその見た目は、もう少し隠した方がいいのでは、と驚いてしまう。 「ライブ聴きに来てくれたん、おっちゃん!」 嬉しそうな笑顔を零し、リョウの腕にしがみついた光は、少し息を切らして苦しそうにしていた。もしかして会場から走って追いかけてきたのだろうか。その笑顔は年相応に可愛くて、俺にもそんな笑顔向けてくれるんかと言いたくなったのだが……それよりも聞き捨てならない言葉にカチンときたリョウは、開口一番金髪頭をぶん殴った。 「あほか! おっちゃんちゃうわ! リョウって呼べリョウって」 「いってぇ、殴んなよ」 「しかもゲイノージンのくせして、こんなハデな恰好で出歩いて。ファンに見つかったらお前、どうすんねん」 「えー……逃げる?」 「……お前がそんなんやから、相方が過剰に過保護なんやなようわかった」 はあああと盛大なため息をついて頭を抱え込むリョウを見て、光は怪訝そうに「何言ってんの?」と首を傾げた。 「片岡のおっさんが、おっちゃ……じゃない、リョウ来てるって教えてくれたから、すっげえ探した。早く気づけよな、俺なんべんも叫んだのに」 「え、ほんまか……そら、悪かったな。つーか、なんて叫んだんだ?」 「そりゃ、おっちゃ」 「ああああああああわかったわかった、それ以上言うな」 もう一度叫ぼうとした光の口を慌てて塞ぎ、リョウは周りを見渡した。幸い、ここにWINGSのヒカルがいるとはまだ誰も気づいていないようだ。通行人に見られないよう角っこに移動して、ふうと一息つく。 「なあなあ、ライブ、どうだった?」 「ああ……」 純粋に観客へ感想を求めているその顔を見て、リョウも思わず笑顔を零した。 「すごかったなあ、ファンがいっぱいおってあんまり見えんかったけど、音楽はどれもよかったで。新曲もかっこええやん! 俺が好きやっつーた曲も、やってくれてありがとな。CDも買うたし、他の曲もこれからゆっくり家で聴くわ」 ありきたりな言葉しか思いつかず、簡単な感想しか言えなかったが、それでも光は満足げにほほ笑んだ。 「今日は悲しい気持ちにならなかったか?」 「え?」 「あの曲聴いたら心に突き刺さるって言ってたから。――だから、今日はなるべく元気出る歌になってほしくて、ちょっと変えて演奏した」 「そ……そうなんか……ははっ、憎い演出やな。おかげで恋人に会いたくなったよ、だから今連絡取ろうかなってスマホ見てたとこや」 お見通しかと笑いながらスマホを見せれば、ドヤ顔で「俺らの音楽すごいやろ?」と述べる。 アイドルでも芸能人でもなく、一人のミュージシャンとして、作曲家として、一人の聴き手に向けて言葉を紡ぐ。音楽の話だからこそ、この子はちゃんと言葉を返してくれるのだ。『見た目だけ』を騒ぎ立てるファンではないと認識してくれたのだろうか。だとしたらあの過保護な相方に目をつけられたのも何やら頷ける。 「あのさ。そのおまえの恋人って奴、関東におるんやろ。俺、出会ったら代わりに握手しといてやるよ。たこ焼きとCDのお礼」 「なっ、なんやそれ」 突然とりとめなく非現実的な提案を出され、リョウはぶはっと噴き出した。 「どこに住んでて、どんな奴かも知らんのに?」 「わからんけど、多分わかる」 「なんでや、変な子やな」 自意識過剰にもほどがあるしお前厨二病か――と笑いながら光を見たら、今度は自信満々なドヤ顔ではなく、少しだけ寂し気な笑顔を見せていた。息を呑むほどの綺麗なその姿に、リョウは思わず言葉を失った。 「音楽が全部教えてくれる。お前の匂いする奴、すれ違ったら絶対わかる。――生きてさえ、いれば」 「……」 「だってお前、あったかい空気と、大阪のたこ焼きの音がするからな」 「たっ……」 たこ焼き? 「光! 何やってんだそんなところで」 光の言葉が理解しきれず呆然と立ち尽くしていたら、彼を探しに来たらしい勝行がこちらに向かってくるのが見えた。 「あ、勝行きた。じゃあな」 光はひらりと手を振り、店の中へと足を向ける。ステージ衣装そのままな光沢ストライプスーツが、リョウの目の前で街灯に照らされ七色に煌めいた。 「あ、あのな、最後に一個だけ聞いてええか!」 咄嗟にその背中に向けて声を上げると、光は不思議そうに振り返る。 「なに?」 「その……お前の好きな奴は、今すぐ隣におる、お前のことを大事にしてる男やないんか? やっぱ、遠く離れてる方なんか……?」 こんなことを聞いていいのか、わからない。ただ、純粋に――彼は今幸せなのか。それだけ知りたくて、咄嗟に出た言葉だった。 すとんと日が落ち、あっという間に暗くなった世界。 輝くイルミネーションの灯を背にして光は答えた。 「――秘密や」 不思議なことばかり告げて立ち去る金髪の美少年が、一体どんな顔をしてその言葉を返したのかは、リョウにはわからなかった。 入れ替わりのようなタイミングでスマホがブブっと振動する。ゆるゆるとその画面を見つめ、通知欄の文字に思わず微笑む。それから、地下鉄御堂筋線への道中にあるたこ焼きを食べて帰ろうと決意し、賑わう人混みの中へと足を向けた。

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