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春  8

** 「カツユキとヒカル、仲良しすぎやねえ」 「うんうん。今日も演奏中にキスしてくれたし、やっぱ最高やわ」 「せやなあ。並んだ甲斐があったわ。もうあの子らすぐに抱き着いたり背中合わせして目配せしたりするから……心臓がもたん……」 「二人ともかっこよかった……ナマで観れてめっちゃうれしい」 そんな女子の会話が漏れ聞こえてくるCDショップでは、まだライブの余韻を残したWINGSのファンたちがそこかしこに居て談笑していた。その会話内容にぎょっとしたものの、色んな意味で腑に落ちたリョウは、レジで手に入れたアルバムCDと握手整理券を暫く眺めて立ち尽くしていた。 「WINGSのCDならどれを買ってもOK! 握手会整理券を先着配布しています。本日限り。ちなみに本人から直接ご購入希望の方はこちらの列で……」 場内アナウンスでは、店員がマイクを持って何度も同じ案内を繰り返している。リョウの目の前にはすっかり長蛇の列ができており、その最前列で握手しながら笑顔を振りまく黒髪の青年がちらちら見える。だがもう一人の金髪――ヒカルの姿は見当たらない。 (あいつ逃げたかな) こういうファンサービス業は苦手そうだ。思わず苦笑いを零し、リョウは整理券をショッパーの中にするりと落とした。 『どんなに会いたいって思っても、物理的に手が届かないのに……なんでそんな相手好きになるん』 ふいに昨日聞いた質問を思い出す。 そうだ。遠距離恋愛なんて今時流行らないし辛い。ましてやあの子の想い人は――どう足掻いても二度と逢えることなどないのだろう。いつまでも続けて拗らせるような思いはしなくて済むのならしない方がいい。すぐ隣に好きでいられるパートナーがいるのなら、尚の事。 勝手に親近感が湧いて、まるで弟のような感覚であの子を見つめていた自分にも少し呆れる。自嘲気味に吐息を零したリョウは、憂さ晴らしの試聴ヘッドホンに手を伸ばした。だがどれも、心に刺さるものがない。手応えがないまま、WINGSのCDだけが入った袋を持ってリョウは店を出た。辺りはまだ明るいけれど、昼と夜の混在した黄昏時の空が見える。 オレンジと紫の混じる綺麗な世界に見とれていると、ふいに肩を叩かれた。 「こんにちは、椚田涼司くぬぎだりょうじ様」 「あ、あんた……WINGSのツレあいの」 「相羽家のSP、片岡と申します。突然に失礼を」 サングラスを外し、穏やかに笑う男の目尻には憎めない年齢皺が見えた。 「勝行さんから、椚田様がこちらに来ていらっしゃったら引き留めていただきたいと伺っておりまして。お時間よろしいでしょうか」 「は……え。俺?」 「ええ。昨日の御礼を申し上げたいそうです。あともう少しお待ちいただけたら、握手会は終わりますので……」 どうやらイベントが終わるまで待っていて欲しいようだ。片岡はそう告げながらも、時間の潰せる隣接の喫茶店に入らないか、お代はいりませんと誘ってくる。だがそこまでして特別扱いしてもらうほどのことをした覚えはない。 「わかった、ほんなら俺から会いに行くわ」 「え、いやしかし」 「大丈夫、俺整理券持ってるから、ちゃんと並ぶで」 そういうとリョウは、ショッパーの中に剥き身で突っ込んだ握手会整理券を取り出し、にっかり笑った。 ** 「――あ、椚田さん」 「俺の名前覚えてるとか君すごない? しかも苗字」 握手会の順番が巡り、勝行の前に立った途端すぐに名を呼ばれてリョウは驚いた。勝行はリョウの手元にぶら下がるショッパーをちらと見つめ、CD買ってくださったんですねとにっこり微笑む。 「名刺頂きましたので。昨日はありがとうございました。あの曲、気に入ってもらえてうれしかったです。CDも……あとお勧めの美味しいお店も。どこ行っても外れなしで光も喜んでました。御礼を言いそびれてたので、どうしてもお伝えしたくて」 要件を早口で手短に言うと、勝行はロックバンドアイドル「カツユキ」の顔をしてリョウの手をしっかりと握った。後ろがつかえている以上、一人の持ち時間は短い。 「――あの、あいつは?」 遠慮がちに気になることを咄嗟に口にすると、カツユキは握っていた手にもう一つの手を添え、真正面からリョウを見据えた。 「ヒカルですか?」 「……やっぱあれか、こういうんは苦手か……」 「察して頂けて助かります。すみませんが……彼は、僕以外の人間とはうまく話せなくて。本当にありがとうございました」 心なしかその視線が鋭い。ぐっと手に力を込められ、リョウは思わず唾を飲み込んだ。 ――なぜか妙な牽制をされたような。 「……あ、あのな」 伝言をと思ったその時には、もうカツユキの手は離され、流れに沿って強引にその場から追い出された。リョウの背後で待ち詫びていた女性ファンが、きゃああいつも応援してますっと言いながら勝行の手を握り締め、思いの丈を大声でぶち撒き始める。『カツユキ』の顔をしたまま続々と流れてくるファンへ笑顔で応える彼が、もう一度リョウを振り返ることなどなかった。 「……はっ、なにあれ。俺の名刺って……」 察しがよくて助かる、だなんて。わかりやすすぎやろ。 リョウはぼそっと呟き、握手会場の出口で暫く立ち尽くしていた。

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