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春 7
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「おっ、更新してるやん。どれどれ……」
昨晩フォローしたおかげで、SNSのタイムラインに上がってきたWINGSの公式アカウント。たこ焼きを頬張る光の写真や、昨日二人に紹介した店の料理写真がいくつかアップされている。通勤電車に揺られながらその呟きを見て、リョウは思わずふふっと笑みをこぼした。
――大阪で念願のたこ焼き食べれました。現地の方に教えていただいたお店! めちゃくちゃ美味い。東京で食べたものと全然味が違う――
(現地の……って俺のことか。ちゃんと食えたんやな、よかった)
昨日見かけたあの強張る表情からは想像もつかない、あどけない顔が画面に映る。遠距離の想い人はいないのかと聞いた時は、その思わぬ回答に激しく反省したが、無事旨いたこ焼きにありつけて笑顔を取り戻せたようだ。
(にしても、俺には見せへんかった表情、するやん)
写真を撮っているのはきっとあのボーカルの青年だろう。そしてこの緩んだ笑顔はきっと、カメラレンズを向けた彼に向かって晒す無防備な姿。
(きっとヒカルくんはこのボーカルくんが好きなんやろうなあ。まあ……ただのバンド仲間かもしれへんけど。そういえば俺にも『恋人は男か』って聞きよったなあいつ。芸能とか音楽やる奴は、普通のリーマンよりはそういうのに抵抗ないんかな)
すぐ隣にあの彼がいてくれるから、どうにもならない悲恋であっても消化することができているのだろうか。彼は悲しい別離をいくつ乗り越えてきたのだろうか。――まだあんなに若いのに。綺麗な詞だと思ったあの歌詞が、想像以上に重く辛い現実から生まれたものだと知ってしまい、昨日からそんなことばかり悶々と考えていた。
――今日のインストアライブがんばります、よかったら聴きに来てください。入場無料、整理券配布なし……
ふと、宣伝の呟きがツリーに繋がっているのを見て、リョウは思わず画面をスクロールした。イベント時間や場所などの詳細が記載されている。ライブ会場はよく知る音楽CDチェーン店で、職場から割と近くだ。今日はやむを得ずの休日出勤だが、早く終わらせれば行けるかもしれない。
(梅田か……せや、ついでにCD探そう)
折角だからCDを買って彼らに少しでも貢献したいし、遠方の恋人にも聴かせてあげたい。今度のドライブのBGMにかけてみて、どんな感想をもらえるか想像するだけでも顔がにやけてしまう。どうせ今日の仕事は残業しても終わらなかったという後輩の尻ぬぐいだ。とっとと終わらせ、午後はCD屋で散財して憂さ晴らししよう。ついでに店頭の試聴ブースを片っ端から回って好みの音楽を新規開拓するのもいいな。そう計画立てると、リョウは軽快な足取りで地下鉄のプラットホームに降り立った。
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沢山の歓声を飲み込むようにギターをかき鳴らして、カツユキは笑顔で歌い続ける。その隣には楽し気にピアノを弾きながら、ハミングして歌うヒカルが立つ。それぞれに設置されたスタンドマイクには、おしゃれな銀の翼マークがついていた。
昨日公園で見かけたあどけない子どものそれとは違う、完全に「プロミュージシャン」としての顔だった。カツユキは飾りの付いた白スーツをスマートに着こなし、揃いの白ストラトキャスターを鳴らすたびに女子の黄色い声をしなやかに浴びる。王子様かと真顔で突っ込みたくなる、まさに『アイドル』姿だ。色違いの黒スーツを着たヒカルは、ネクタイもゆるくセクシーな開襟ラフ仕様。美少年というよりは、抱いてほしいと女子が殺到しそうなエロカッコいい男に変貌していた。
【WINGS】のロゴマークが大きく掲げられた簡易ステージには、所狭しと大型機材が詰め込まれ、二人の後ろではバックバンドメンバーが一緒に演奏を盛り上げていた。
「来てくれてありがとうー!」
「きゃああああっ」
明らか女子ファンが多い中、たまにぽつぽつと見かける男性ファンに紛れて後からそっと覗き見たインストアライブは、リョウが想像していた以上にキラキラ眩しいものだった。よくこれで整理券入場にしなかったな、と驚くほどの動員数。店員も予想を超える人数に驚いたのか、会場を広げて販売フロアを観客に開放していた。おかげでその姿は見えなくても、フロア全体に勝行の歌声と光のピアノがよく聴こえてくる。
急に二人が遠い存在になった気がして、リョウははたとその手を口元にやった。
(何考えてんねん……元々ネットで見た時にすごい奴らって知ってびっくりしたやん、俺。これが本来の姿やろ)
店にメジャーCDが沢山並べられて。取り巻きやファンが数百人以上もいて。それだけでも十分遠い存在だった。なのに妙な庇護欲が湧いて、何としても自分が見に行ってやらねば、という使命感に燃えていたのは何故なのだろうか。
昨日リョウの隣でコーヒーを苦そうに飲んでいた光が、速弾きパッセージやグリッサンドを織り交ぜるたびに客からきゃあきゃあと黄色い歓声を浴びている。リョウお勧めのグルメスポットを真剣にメモっていた勝行が、ウインクしながら歌うだけで、観客席で合いの手や大合唱が始まる。
なんとも言えぬ妙な寂しさを感じたリョウは、二人に背を向け耳だけを音楽に傾けていた。今日は新曲のリリイベと書いてあったが、それは昨日リョウが聴いていた曲ではなく、正統派オルタナティブロックの青春ソングだった。そういえばあの曲はなんというタイトルだったのか……聞くのを忘れていたせいで、どのCDを買えばいいかもわからない。まるで彼らの何もかも見知っている古株ファンの気分で勢いよく飛んできたくせに。
「アンコール! アンコール!」
やがて設定済のセットリストが終了し、大きなアンコールに包まれる。店員にひそひそ相談していたカツユキが、水を飲みながら「お待たせ、ありがとう」と再びマイクを手に取る。
「アンコールいけるみたいなんで、あと一曲だけ。新曲じゃなくて……去年出したアルバムの曲をやりたいと思います。作った時から僕らには結構思い入れのある歌で……大切な誰かを想う、ラブソング。まだちょっとうまく歌えなくて自信なかったからセトリから外してたんですけど、ほんとは今日絶対やりたいと思ってたんで、やっぱりチャレンジさせてください」
ラブソングと聴いて女の子たちが再びきゃあきゃあと騒ぎ出す。
「今日来てくださった大阪の皆さんに。心を込めて歌います。聴いてください。
――『over the clouds』」
タイトルコールと共に上がる黄色い歓声も、ヒカルのソロ前奏が流れ出した途端、ゆるゆると静まり返っていった。どこからともなく出てきたサイリウムが、ゆっくりと色とりどりな灯を浮かび上がらせ、出演者を包み込んでいく。
甘いハイトーンボイスが、ピアノソロに合わせた切ない詞をしっとりと歌い上げる。懸命に、丁寧に。まるで公園に居ついた小動物たちに聴かせる時のように、優しい声色で。
リョウは思わず振り返り、サイリウムライトで全く見えない二人のステージを見つめて真剣に聴き入った。
それは昨日聞き惚れたあの遠距離ラブソングだった。
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