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第43話 エピローグ
それから間もなく――翡翠は都筑とは別れ、水谷と一緒に住むようになった。
翡翠が都筑と別れ話をする時、水谷は心配でわざわざついて行った。いつでも自由に出て行けと常々言っていた都筑だが、いざ金を入れてくれる翡翠がいなくなるとなったら何を言い出すかわからないと考えたからだ――だが都筑は頭を掻いて、やれやれ、ヒスイが俺をふるとは思わなかったな、と言っただけだった。
水谷はその後、役所に翡翠の境遇について相談に行った。翡翠がきちんとした居場所を得るためならどんな責任でも引き受けるつもりだった。担当してくれた人の良さそうな初老の男性職員は、事情を聞くと親身になって世話をしてくれ、やがて翡翠は無事戸籍を得ることができた。そうして今、彼は昼間はあの喫茶店でバイトをしながら、夜学に通って勉強している。ゆくゆくは高卒の資格をとって、大学にも行きたいらしい。翡翠は聡明だからきっとやり遂げるだろう、水谷はそんな風に――翡翠の事になるとまるで親馬鹿のように考えてしまう自分をなんだか滑稽に感じたが、いや、いいんだ。なにしろ、惚れてるんだからな、と思い直した。翡翠は俺の――自慢の恋人だ。
ある日麻衣から電話があった。水谷は、夜間授業に出ている翡翠と外で待ち合わせているところだった。
「おお、久しぶりじゃん。どしたの?」
のんびり話す水谷に、麻衣が呆れたように言う。
「なんだ呑気なのねえ……変な噂聞いたから心配になって電話したのに」
「変な噂?」
「仁が男に走ったとかなんとか」
「ああ……」
水谷は苦笑した。麻衣とは別れてから会う機会はなかったのだが、彼女と水谷は高校から一緒なので共通の友達が何人かいる。その辺りから伝わったのだろう。
「うん、その通りだよ。今は付きあってる男と一緒に住んでる……別に隠して無いよ」
「じゃあ……ほんとだったんだ……。隠してないって、カミングアウトしてるってこと?会社とかで何も言われない?」
「言われないよ。最近うち同性愛扱った作品も作ってるし、理解あるんだ」
「そう……でも一体……何があったの?私にふられておかしくなっちゃった?」
「うんそうだよ。君のせいだ」
水谷が答えると麻衣は吹き出した。
「冗談でしょ。罪悪感植えつけようったってそうはいかないわよ」
「あ、ばれた?」
「ばれるわよ。何年仁と付き合ってたと思ってるの。――でも、声が明るいね。幸せなんだ」
「え?そうかな」
「仁は顔より声の調子に感情が出るのよ。自覚無かった?」
「そうか……気付いてなかった。でも君、あんまり驚いてないね。今まで騙してたのね!とかって、なじられるのかと思った」
「そんな訳無いじゃない。仁がそういう人じゃないことはよく知ってるもの。それに私も理解あるのよ。この業界じゃバイセクシャルも別に珍しくないし」
「そうだったんだ――そういや……そういう業界だったんだなあ」
「そ。最先端ですから」
「最先端とかわざわざ言うのも、なんかバブル期っぽくてイマイチかっこわるいもんだなあ」
「かっこわるいですって?失礼な人ねえ。気を悪くしたわ」
そう言って麻衣は笑い出し、水谷も一緒に笑った。
やがて麻衣は呟くように言った。
「……なんだかあたしたち、捨てちゃったわね、色々」
「そうか?」
「うん、そんな気がする。でもいいの。これが私、って……そう思ってるから」
「うん……そうだな、俺もだよ」
その時翡翠がやってきた。横断歩道の向こう側から水谷を見つけた彼は、嬉しそうに笑い、こちらに向かって手を振った。水谷も片手を上げてそれに応える。
信号が青に変わり、自分に向かって駆け寄って来る翡翠を見守りながら考えた――確かに、捨てたものもあるのかもしれない。だけど、俺にはそのおかげで得たものがある。きっと麻衣も――同じ思いなんだろう。
「元気でね、仁」
「うん、君も。それじゃ……またな」
「ええ、また」
「あ、いいよ。話してて」
傍らに来た翡翠が言った。だがすでに通話を切った後だった水谷は
「いいんだ」
と微笑んで答え、隣の翡翠の肩を抱いて引き寄せた。
[終]
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