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第5話

「クエル!」  目の前で倒れた男に縋り付く。  なぜ。なぜだ。  肉を裂く手応えが手に残る。  なぜ鎧を解いて、剣をその身に受けたのか。  ――言わなくちゃいけないことが……、いっぱい、ある、けど……。  ――俺は……っ、ディヒトさんが、好き、です……。  ――俺は、何があっても……、ディヒトさんの、味方です……。  ――だから……、怖がらないで。  そんなことを伝えるために自分の身を投げ出したというのか。 「おい、クエル! 目を覚ませ! クエル!」  何度でも名を呼ぶ。彼は目を閉じたままだ。  彼を失いたくない。その衝動に任せて名前を呼び続ける。船の上でも同じように、彼が意識を取り戻すまで形振り構わず何度も名前を呼んだ。  たった半年だが、彼と共に過ごした時間は穏やかだった。  順序を違えた関係だったが、その時が長く続けば良いと思うほどには心地よかった。  その彼を、自分の手で傷つけてしまった。 「クエル! クエル!」  名前を呼ぶことしか自分にはできない。  何か、彼を助ける方法は。  その時、アカートが駆け寄ってきてクエルチアの頬を叩きながら声をかける。 「鎧を着けろ! 傷が塞がるのが早くなる!」  その言葉が届いたのか、クエルチアは力を振り絞るようにして魔鎧を纏った。 「おい、クエルは……」 「魔鎧があるなら助かるはずだ。近くに洞窟がある。そこまで運ぼう」  意識を失ったクエルチアに肩を貸して立ち上がると、アカートの先導するまま洞窟に向かった。  洞窟の地面にクエルチアを寝かせると、わずかに彼が呻く。 「大丈夫か」 「なんとか……」  弱々しい声だが返事のあることに安心した。 「……ねえ、聞いてください」 「喋るな。あとでいくらでも聞いて……」  クエルチアは手を動かして探り、ディヒトバイの手に絡めた。その力の弱さに言葉が詰まり、言葉は最後まで声にならなかった。 「今話しておかないと、後悔する……」  今にも消えそうな小さな声をかき消すように雨音が響く。  クエルチアの言葉を聞き逃すまいとディヒトバイは顔を近づけた。青藍の瞳がディヒトバイの姿を捉え、目を細めた。 「俺の両親は、兄と妹の関係だった」  その言葉にディヒトバイはわずかに目を見開いた。 「お母さんがどうして俺を産んだのかわからない。ただ、優しくしてくれた。父は違った。大きくなって、段々と自分に似てくる俺につらく当たった。何も知らない俺を、兄と妹が番ってできた子なんだと言って殴った。その時の傷が顔に残って、ずっとそれが嫌だった」  静かに語られるクエルチアの言葉をディヒトバイは静かに聞いていた。 「ある日、湖に行こうと言われた。その時だけは父も優しくて、それがとても嬉しかった。お母さんが蜂蜜のお菓子をくれたけど、変な味がした。それを食べると頭がぼうっとして、体が動かなくなって……。両親も同じように何かを口にすると、俺の隣に座った。両親はやがて苦しみだして、口から血を吐いて死んだ。俺は動けないまま、それを見ていた。俺には何もわからなかった。ただ、両親が俺を置いていってしまったことが、悲しかった」  手を握る力がわずかに強くなり、それに応えるようにディヒトバイも握り返した。 「そのうち荷物を漁りに野盗が来て、俺はその一味に拾われた。殴られるなんて当たり前で、ずっとこんなところ抜け出してやるって思ってた。でも俺に一人で生きていく力はなかった。そんなとき、野盗の奪った荷物の中に魔鎧を見つけた。これしかないと思った」  不意に痛みが襲ったのか、クエルチアがわずかに声をあげた。 「野盗から逃げて、それから成り行きで教会の傭兵団に入ることになった。けど、空気が合わなくてすぐ一人になった。それでふらふらしていたところに、ディヒトさんに会った」  そこでクエルチアの声音が喜色を含んだものに変わる。 「ディヒトさんほど強い人に出会ったのは初めてで、俺はディヒトさんみたいに強くなりたいって思った。強くなれば、一人でも生きていけるって。それからディヒトさんを探して、やっと会えた。嬉しかった」 「……そうか」  静かな声でディヒトバイは相槌を打った。 「初めて戦ったとき、ディヒトさんは次があるならって言ってくれた。今まで生きてきて、初めて次があることが嬉しいって思えた。俺は生きていること自体、誰かの罪だったから、生きていてはいけないんだって思ってた。あのまま毒で死んでいた方がよかったんじゃないかって。でも、初めてそうじゃないんだって思えた。それから今まで、俺はずっとディヒトさんのそばにいて、楽しかった」 「……そう、か」 「俺、謝らなくちゃいけない。二十五歳だって言ってたけど、本当は十七歳なんです。子供扱いされるのが、怖くて……。でも、ディヒトさんは俺と同じ歳に、もっと大きなものを背負っていたんだって思うと、やっぱり言わなくちゃって……。やっぱり、ディヒトさんに嘘をつきたくない」 「……そうか」 「俺はディヒトさんの過去を見てしまったけど、だからってディヒトさんのことを責めたりしない。優しい人だって思う。俺は誰にも望まれなかったけど、そんな俺が何か言えるとしたら、俺はあなたに生きていてほしい。ただ生きるんじゃなくて、泣いたり、笑ったりしながら、生きていてよかったって、思ってほしい。それで、もし許されるんだったら、俺はディヒトさんのそばにいたい。俺は一人では生きていけないから、ディヒトさんと一緒に生きて、いたい……」 「……ああ」  ディヒトバイはクエルチアの言葉を噛み締めるように沈黙した後、静かに頷いた。クエルチアの手を握り、自分の頬に寄せる。 「……俺もだ。俺も一人じゃ生きていけない。だから、そばにいてくれ」 「……よかった」  クエルチアは安心したように微笑むと、そのまま意識を失った。  ディヒトバイはその口元を覆う鎧越しにそっと口づけた。  ただ、雨の音だけが響いていた。  半開きになった窓からの日差しでディヒトバイは目を覚ます。  義眼と眼帯、手拭いを取り、服を着替えて外の井戸で顔を洗う。右目に義眼を入れ、眼帯をつけるのも手慣れた手つきになってきた。持ってきた手拭いも濡らして固く絞る。  そのまま炊事場に向かい朝食を作ってもらう。自分の分のパンとチーズ、クエルチアの分の麦粥を受け取ると、クエルチアの部屋に向かった。  静かにノックをし、部屋に入る。テーブルに食事の乗った盆を置き、部屋の窓を開け、ベッドに向かう。  ベッドにはクエルチアが静かに寝息を立てて寝ていた。その姿を見てほっとする。  一ヶ月前、フリースラントから這々の体で帰ってきた。魔鎧に傷を癒やす力があるとはいえ、腹に空いた大穴がすぐに塞がるわけでもない。傷は塞がったが、自由に動けない彼の面倒を見るのが自分の役目だ。  アカートは悪魔を喚んでしまった自分の責任を感じて最初はしおらしかったものの、気にするなと言うといつも通りに戻った。今は別の仕事でどこかに旅に出ている。薬草の心得があるとかで、クエルチアに苦い薬を残していった。  キースチァは稼ぎ頭が二人とも大怪我を負って帰ったことに驚いていたが、それでも追い出すようなことはしなかった。  しばらくは賭け試合にも出られなくなるが、自分たちがいない間に新しく始めた演劇が軌道に乗っているそうで、傷が治るまで休んでいいと言ってもらった。  朝だ、と声をかけようとしたが、寝顔をもう少し見ていたくて口を閉じた。  ベッド脇に椅子を持ってきて腰掛けると、その穏やかな顔を見る。  彼はいつも自分が起きる前に部屋を出て行くものだから、寝顔をゆっくりと見る機会は今までなかった。  彼の寝顔は年相応に幼く、この寝顔を見ていれば体を重ねることなどしなかっただろう。  ディヒトバイはクエルチアと出会ったときのことを思い返す。  初めて会った戦場。  大きな体をしたヘラジカの魔鎧を着込んだ彼。  一撃で仕留めるはずの剣を、ぎりぎりとはいえ避けてみせた。その後も臆病すぎる戦斧捌きであったが、致命傷に至る攻撃は受け流した。  素質はあるが精神が新兵そのものだ。もし彼が場数を踏んだら化けることもあるかもしれないと思いながら戦場を後にした。  そして一年後に再会を果たした。  彼はクエルチア・チェルボッティと異国の名を名乗った。  歳はまだ若く、薄茶のざんばら髪を括り、どこかの騎兵の着るようなジャケットは筋肉質で大きい体躯によく似合っていた。  顔はマスクで隠れ、長い前髪の隙間から目が見えるだけだったが、緊張してはいるものの一本芯の通った目をしていた。  これならば自分の相手も務まるだろうと思い、対戦相手に選んだ。  そしてリングの上で戦った。見違えるほどの戦斧捌きで、戦斧の間合いや力という武器を自覚した戦い方をした。  本当はもっと打ち合っていたかったが、リングの上ではそうもいかず、隙を見せてわざと負けた。  それが気に食わなかったのか、すぐに部屋まで押しかけてきた。  そして自分を求めてきた。  よりにもよってこんな自分を欲しがるなど、変わった奴だと思った。  一回きりだ。そう思って彼に抱かれた。  観客の注目を浴びながら戦うのは思った以上に気を遣う。魔鎧同士ならではの、生身では死んでしまうような激しい戦いも彼の気を昂ぶらせたのだろう。  夕方から日付が変わるまで、彼の欲の尽きるまで抱かれた。  行為が終わると彼は言った。  ――俺、ディヒトさんに会いたかったんです! 一年間ずっと探してたんです、成長したところを見せたくて。その、初めて会ったときは、すごい、情けないところを見せてしまったから……。  呆れと驚きが同時に襲ってきた。  自分を一年間も探していたとは。しかも、成長したところを見せたいからだと言う。  本当に、変わり者だ。  ――次があるなら相手をしてやる。次があるなら、な。  柄にもなくそんなことを言ったのは、彼の若さと真っ直ぐさに絆されたからかもしれなかった。  ただ生きているだけの自分を欲しいと彼は言った。  次も、その次も、彼の求めるままに抱かれた。体と与えられる快楽を求める欲に流され、何度も体を重ねた。  抱き方は荒っぽかったものの、その激しさは嫌いではなかった。快楽に身を委ねて何も考えないでいられたからだ。  母のことも、子供のことも、自分だけが生き残ったことも、他人への恐怖も、そのときだけは忘れることができた。  ぬるま湯に浸かったような日々の中、手合わせの帰りに魔物に襲われた一家の亡骸を見た。  一時でも忘れることなど許さないというように目の前に現れた亡骸。  それから逃れるように彼の元に赴き、自分から彼を誘った。  自分のために彼を利用しているようで気が咎めたが、だからといって罪に耐えられるほど強くないのは自分がよくわかっている。  自分は一人では生きられないと、彼に抱かれながら思ったことを覚えている。  一人では生きられないが、他人がそばにいるのは耐えられなかった。他人がそばにいることは恐怖がそばにあることと同じだからだ。  彼も、自分の犯した罪を知れば責めるのだろう。  物静かな彼と共にいることは心地よかったが、今以上に親しくならないことを望んだ。  護衛の依頼の話は断りたかった。今更どの面を下げて故郷の国に帰ればいいというのか。しかし、オーナーにあそこまで頭を下げられては断るわけにもいかなかった。  ひたすらに酒を飲んで気を紛らわせることしかできないまま、出立を迎えた。  そして、船に乗っているときにそれは起こった。  クラーケンに巻き付かれて海に引きずり込まれた自分を、彼は捨て身で助けに来た。  船の上で気を失った彼の名前を何度も呼んだ。  怖かった。  また他人を犠牲にして生き残ってしまうのかと。自分を求めてくれた年下の彼が命をなくしてしまうのかと。  助かるべきは自分ではない、彼のほうだ。  そして彼は息を吹き返したとき、安堵に体中の力が抜けそうになった。  自分に祈るべき神はいないし資格もないが、こういう時に人は感謝をするのだろう。  彼がナイフをなくしたというので代わりを買ってやった。  そして、二度とこういうことのないように、次は自分を見捨てるようにと伝えた。自分なんかのために命を投げ出すべきではないと。  ナイフを大事そうにしまう彼はいつもより幼く見えた。  その夜、宿のバルコニーで一人気を紛らわせているところに彼がやってきた。  ――その、深く聞きたいわけじゃないんです。誰にだって言えないことはあるし……。俺はまだまだ頼りないかもしれないけど、こう思ってます。ディヒトさんが困っているなら、力になりたいって。  わからなかった。  なぜ彼がここまで自分を気にかけるのか。  しかし同時に、心の奥底に湧く感情があった。嬉しい、と。  ずっと他人を拒絶していた自分に久しぶりに向けられた好意は、ひたすらに温かいものだった。  そして、それに応えることができない自分を何よりも恥じた。  目的地の北部の森こそ、自分が何より忌避する場所だった。  霧に包まれた森。  そこで全てが始まった。自分の命も、罪も、罰も。  再びこの地に足を運ぶことになるとは思いもしなかった。  魔法使いと怪物が現れ、魔法をかけられた。  敵意、憎悪、怨嗟を煮詰めたような感情の汚泥に叩き込まれ、何に剣を向けるべきかもわからなかった。  その先にあったもの、それは。  獣の理性が頭を支配する。それはとても心地よかった。  人間であるしがらみから解放され、思うままに地を駆ける。  しかしそれも長くは続かなかった。  悪魔にもたらされた追憶、それによって人間であることを思い出してしまった。  悪魔は言った。  ――その目で見ろ。あれはお前が何をしたか知っているぞ。お前の愚かさを知っているぞ。人は人にとって狼だ。さあ、殺される前に殺すがいい。剣(きば)を貸してやろう。  その通りだ。  正しさで殺される前に殺さなければならない。  自分が背負う罪を知られたならば、彼らが牙を剥く前に殺さなければならない。  それしか自分の生きる道はない。  感情のままに剣を振るった。  彼が何かを言っているが、それは欺瞞だ。一時凌ぎの嘘だ。  この罪が理解されることなどない。  そんなことはあり得ないはずだった。  肉を裂く手応え。  鎧を纏っているはずなのに、なぜ。  ――言わなくちゃいけないことが……、いっぱい、ある、けど……。  ――俺は……っ、ディヒトさんが、好き、です……。  ――俺は、何があっても……、ディヒトさんの、味方です……。  ――だから……、怖がらないで。  彼は何を言っているのか。  彼を、彼をこの手で傷つけてしまった。自分を欲しがってくれた彼を。  自分の身を顧みずに助けようとしてくれた彼を、この手で。  何度も彼の名前を呼んだ。その灯火が失われないように。  激しい傷の痛みの中、彼は静かに自分のことを話し始めた。  兄と妹が番ってできた子供であること。心中の中で自分一人だけ助かったこと。誰にも望まれない人生を歩んできたこと。  その中で、自分に出会ったこと。  今まで誰にも明かさなかった胸の内を、彼は明かした。  自分の罪の先に生まれた彼は、自分と過ごした時間を楽しかったと言ってくれた。  そのとき、やっと彼が自分を欲しがっていた理由がわかった。  本当に、好きなだけだったのだ。何の見返りもなく、ただ純粋に焦がれていただけだったのだ。自分の命など投げ捨てても構わないと思うほどに。  ――俺は一人では生きていけないから、ディヒトさんと一緒に生きて、いたい……。  その気持ちに応えてやれるなら。  ――……俺もだ。俺も一人じゃ生きていけない。だから、そばにいてくれ。  生まれる前に死んだ自分の子供と彼を重ねているのは確かだ。  そして、彼を置いていってしまった親の代わりになれればと思っているところもある。  彼も、どこかで親に向けるはずだった強い思いを、自分への恋慕と勘違いしているのだろう。それほどに彼は幼かった。  これを恋だの愛だの言う気持ちはない。  ただの傷の舐め合いだと人は笑うだろう。それでも救われるものがあった。それだけで、いい。  ベッドの上の彼がゆっくりと目を開けた。 「朝だ。飯が冷めちまうぞ」  彼は自分の姿をその青藍の瞳に捉えて微笑んだ。 「おはようございます」 「ああ、おはよう」  夕食の後、コップに注がれた濃い緑色のどろどろとした薬を、決心したようにクエルチアは飲み干した。 「苦い。人が飲んでいいものじゃないですよ、これ」  口の中を洗い流すように水を飲むクエルチアからディヒトバイはコップを受け取り、脇の机に置いた。 「よく飲んだ。えらいえらい」  そう言ってディヒトバイはクエルチアの頭をぐしゃぐしゃと撫でる。まるで子供にするような仕草にクエルチアは不機嫌そうな顔をした。 「子供扱いしないって、言ったじゃないですか」 「そうだったかな」  とぼけてみせる彼の口元には微かな笑みがあった。  あの事件でディヒトバイは右目を失ったものの、憑きものが失せたようにさっぱりとした顔をして日々を送っている。  ディヒトバイがつきっきりで看病をしてくれている間、二人でつまらないことを沢山話した。食事がおいしかったことや、夏を迎えて緑が濃くなったこと。変な噂話。  話を重ねるごとにディヒトバイの表情は柔らかいものになって、最近では声を出して笑うまでになった。  彼は本来このように人と触れあうことのできる人間だったのだ。それが、誰もそばにいなかったから表に出なかっただけのこと。その変化を嬉しく思う。 「何かすることはあるか?」  ディヒトバイが尋ねてきたので、ベッドを示してそこに座るよう促した。  不思議そうな顔をしながら座る彼を、力一杯に抱きしめる。 「どうした、急に」  クエルチアの腕に手を絡ませながらディヒトバイが尋ねる。 「ディヒトさんは、今の暮らしが楽しいですか」 「……ああ」  静かに返された答えに、クエルチアは満足そうに微笑みそっと唇を重ねた。口づけは徐々に激しくなり何度も角度を変え、歯列をなぞり、口内を犯し尽くすように舌を絡ませる。 「ディヒトさん、あの、そろそろ……、動いても、構わないっていうか……」 「そんな誘い方があるか」  ディヒトバイはいたずらっぽく笑うと、クエルチアの額に軽く口づけをする。 「で、でも、俺もずっと我慢してて……」 「もうちょっと言い方ってのがあるだろ」  言いながらディヒトバイはベッドに乗り、クエルチアの下衣の前を寛げる。そのまま固くなったクエルチアの陰茎を口に含んだ。 「ディ、ディヒトさん……っ」  初めて行われる奉仕の刺激に声を上擦らせながら、クエルチアがディヒトバイを止めようと声をかける。  喉深くまでくわえ込まれ、舌は絡みつくように陰茎を刺激する。筋をなぞるように舐め上げられると背筋を快感が這った。 「ディヒトさん、もう、出る……っ」  クエルチアの言葉も気にせずにディヒトバイは口を動かした。口内で吸うように陰茎を強く刺激されてクエルチアは達し、体内に溜まった濃い白濁を残らずディヒトバイの口の中に出す。  口の中に欲望をぶちまけてしまった羞恥と、彼の口を汚してしまったという焦りがクエルチアの顔を赤くする。  ディヒトバイは顔を上げると、口の中に吐き出された白濁を見せつけるようにして口を大きく開け、それを飲み込んだ。飲み下す喉の動きが妙に艶めかしい。 「どこでそんなこと覚えたんです……」 「秘密だ」  責めるようなクエルチアをよそに、ディヒトバイは自身の服をもどかしいように脱ぎ捨てる。脇腹の狼の刺青が、興奮して荒くなった呼吸に合わせて動く。  ディヒトバイの陰茎もすでに昂ぶり、先走りを滴らせている。指を唾液で濡らし、自身の後孔に宛がった。 「お前は動かなくていい」  慣らし終えるとディヒトバイはクエルチアに跨がり、後孔に陰茎を宛がうと体をゆっくりと沈めていく。 「ん、んっ……」  後孔が押し広げられる刺激に、ディヒトバイは声を漏らす。  久々に味わう彼ディヒトバイの体内はいつもより熱く、強く陰茎を締め付ける。体重をかけて徐々にくわえ込まれると、それだけで達しそうになった。  ゆっくりと時間をかけてディヒトバイは陰茎を飲み込んだ。 「ん、う……。……でけえんだよ、お前の」  言いながらディヒトバイは自身の下腹部をなぞった。その場所に陰茎が収まっていることを強調されたようで、クエルチアの心臓が大きく高鳴る。  ディヒトバイはゆるゆると体を上下させて抽送を始めると、更に大きな声を上げた。 「あ、あっ……、んぅ、んっ……」  強く扱くように腸壁は陰茎を絞り、後孔はきつく締め上げる。 「はぁ、あっ……」  吐息混じりの声を上げながらも、ディヒトバイは腰を揺らし続けた。 「クエル……っ」  抜く寸前から一気に体重を乗せて腰を深く落とし、陰茎に奥を突かれるとディヒトバイは体を震わせて達した。  余韻に浸っているその体をクエルチアは強く抱きしめる。 「名前を呼ぶなんて、卑怯ですよ」  耳元で囁きながら腰を突き上げると、ディヒトバイは大きく啼いた。 「もう、我慢できない」  体勢を入れ替えディヒトバイを下に敷くと、足首を掴んで腰を上げさせ、後孔を露わにさせる。後孔に陰茎を宛がうと情動に任せて一気に貫いた。 「あ、あぁっ……!」  奥まで突かれて淫靡な声を上げるディヒトバイの顔を見てクエルチアは笑った。 「さっきみたいに、名前を呼んでください」 「んっ……、ク、エル……、クエル……」  クエルチアに言われるがままにディヒトバイは名前を呼んだ。何度も、何度も。彼を求めていることが伝わるように。  最奥まで突き上げた瞬間にクエルチアは達し、白濁を吐き出す。その白濁を味わうようにしてディヒトバイも達した。  クエルチアの陰茎はまだ固さを保ち、溜まった欲は留まるところを知らない。 「まだですよ、ディヒトさん」  耳元に囁きかけ、クエルチアは再びディヒトバイの体を貫く。  二人の情交はまだ始まったばかりだった。  夕方頃から始まった交わりは夜半まで及び、体力も精も尽き果てたディヒトバイはクエルチアに抱かれていた。 「けだもの」 「だって、ずっと我慢してたし……。ディヒトさんも乗り気だったじゃないですか……」 「お前は怪我してるから動かねえ方がいいと思って……」  反論するも、自分の行動に思うところがあったのかディヒトバイは黙りこんでクエルチアの胸に顔を埋めた。 「ディヒトさんが俺の名前を呼んでくれたと思ったら、嬉しくなっちゃって」 「……お前はいつでも俺の名前を呼ぶな」 「だって、ディヒトさんはディヒトさんですから」  クエルチアが言うと、笑ったのかディヒトバイの体が微かに揺れた。 「俺は自分の名前が嫌いだった」 「それは、どうして」 「すぐそばに、って意味だからだ。俺のそばには誰もいないのに」  クエルチアはディヒトバイを強く抱きしめた。自分の存在を示すかのように。 「でも、今はお前がそばにいてくれる」 「ええ。ずっと、そばにいますよ」 「ああ。ずっと、そばにいてくれ」  その声音は、他人への恐れなど忘れたように穏やかなものだった。  恐怖の中で孤独に生きていた狼は、大きな木陰という寄る辺を得て、安らぎの中を生きている。  願わくば、その安らぎが一瞬でも長く続くように。  一ヶ月後。  闘技場は熱に浮かされていた。  久々にシナバーとブル・マリーノの試合が行われることになり、彼らの勇姿を一目見ようと観客たちが押し寄せた。  二人は慌ただしく人が行き交う裏方の通路を歩いていた。クエルチアは歩けるようになると、ディヒトバイの見えない右目を補うように常に彼の右側を歩いた。 「ディヒトさん、無理をしないでくださいね」 「散々手合わせをしただろうが。大丈夫だ」  クエルチアが心配そうに声をかけると、ディヒトバイは少しうんざりした様子で答えた。自信満々そうな答えにクエルチアは苦笑いをする。 「お前こそ大丈夫なのか」 「俺は頑丈なのが取り柄ですから」  試合に向けた手合わせで、右目を失ったことで彼の戦いぶりも色褪せてしまうのかと不安に思っていた。しかし、それも最初の数回遅れを取っただけで、以降は右目が見えないとは思えないほどの反応を見せた。  試しに完全な死角を突いてみたものの、それすら鮮やかな剣捌きに退けられ、死角を突いたからといって安心するなと説教までされる始末だった。どうやら、魔鎧を纏うと感覚がわずかに戻るらしい。  少しくらいは自分が優勢なところを味わいたかったというささやかな夢も砕かれ、剣の勢いが衰えなかったことに喜び半分、悲しみ半分でクエルチアは手合わせを続けた。  あの様子ならば心配することもないだろうが、リングの上で何かが起きた場合、観客の目もあってすぐに対応することは難しい。念には念を押したくなるものだった。  それぞれの扉に向けて分かれるところで、ディヒトバイはクエルチアに言う。 「おい、ちょっと屈め」 「なんです急に」 「いいから」  ちょっとしたやり取りの末にクエルチアが屈むと、ディヒトバイの顔が近付いてきて、唇と唇が触れあった。 「ディ、ディヒトさん……!」  突然の口づけに、こんな人目につく場所で何を考えているのかと焦っていると、ディヒトバイは悪戯っぽく笑った。 「今日は俺が勝つ」  それだけ言うと、ディヒトバイは通路を先に歩いて行った。その背は真っ直ぐに、凜々しかった。 「俺も負けませんよ!」  クエルチアの言葉に、彼は手をひらひらと振るだけで返した。  どんな風に仕掛けてやろうかと考えながら、クエルチアも通路を歩き出す。  この試合でディヒトバイが勝ったら、次は自分が勝とう。  自分が勝ったら、その次も勝てるように頑張ろう。  自分たちには、次がある。  今まで歩いてきた道は暗く、誰にも望まれなかったものだったが、この先に歩いて行く道がある。  その道には木漏れ日が差していて、そばに歩む人がいる。  その幸せを噛み締めながら、歩いていく。  もっと遠くまで。ずっと遠くまで。

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